第173話 百鬼夜行

昔とは違う人間どもの村落であった。

封印から解き放たれたばかりの牛鬼ぎゅうきは空腹だった。能見一族を殺して喰ったくらいではその飢えは満たされぬ。ここまでの道すがら襲った、奇怪な作りの民家に人間はいなかった。人払いの術だ。邪魔する妖怪どものせいだった。

牛鬼は"うしおに"とも読む。名前に反して浜辺で人間を襲う妖怪であり、毒を吐き、巨体で、牛と鬼の頭と胴体を備えたり昆虫の羽で飛ぶ者もいる。この個体は蜘蛛のように伸びたねじくれ、先端が鋭い爪になった脚と鬼の頭に巨大な角が二本。マイクロバスほどもある巨体だった。

仲間たちと共に道を進む。百鬼夜行だ。田畑の合間を抜け、向こうの集落に突入する。民家の塀を踏み破り、中の家屋を角で突き崩す。中を検める。人間は———いた!!牛鬼は歓喜の声を上げた。就寝中だったのだろう。老夫婦が寝ぼけ眼でこちらを見上げている。男の方を角で引き裂いてやる。何が起きたのかわかっていないのだろう。呆然としたままこと切れる男。そいつに喰らい付く。たちまち全部食ってしまった。女がこの段階でようやく目を完全に覚ましたらしく絶叫。面白い。即死させないよう慎重に角で貫く。ますます悲鳴が大きくなった。耳をすませばそこかしこで断末魔が上がっている。仲間たちの仕業であろう。人間どもへの復讐はまだまだこれからだ。女をバリバリと喰ってしまう。他に何かいないか壁を崩して探す。走っていく足音。さすがに気付いて逃げ出したか。家を破壊し、外に飛び出す。庭を振り返りながら逃げていく少年少女だ。老夫婦の孫なのだろう。うまそうだ!!

塀を破って先回りする。玄関から出て来た彼らの絶望する表情。いいぞ。それでこそ復讐のし甲斐がある。

殺戮の興奮で、牛鬼が舌なめずりをした時のことだった。真横から、強烈な火炎が投げつけられたのは。


―――GGGGGYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAA!?


胴体に負った火傷で悲鳴を上げる。その隙に少年少女が逃げていく。牛鬼は攻撃が来た方向に向き直る。いない―——どこだ!?

探し回った牛鬼が発見したのは、等間隔で並んでいる石柱電柱の一本。その上に立つ烏天狗であった。奴の仕業か!!

「それ以上の狼藉は許さん。おとなしく仲間と共に去り、二度と人間に手出しをしないと誓え。さもなくばお前たちのことごとくを討ち滅ぼしてやるぞ!!」

―――何を!!

咆哮を上げる。周囲からもいくつもの雄叫びが上がった。仲間たちのものだ。そうだ。奴はしょせんひとり。対するこちらは多勢だ!!

そう思ったのもつかの間。集落から宙に舞い上がったのは、十では効かない数の天狗たち。その頭部は様々だ。一番多いのは鳥相の烏天狗だが赤い顔に長い鼻を持つ鼻高天狗、狼や鬼に似た頭部を持つ天狗、やや小型の木の葉天狗もいる。そいつらは皆が戦闘態勢だ。

そして、最初の天狗は高らかに名乗りを上げた。

「俺は次郎。比良山の次郎坊だ。我ら比良山の天狗一族を前にして、ここを通れると思うてか!」

もはや我慢の限界であった。相手があの、八天狗の一角であろうとも押し通るのみ。

牛鬼は、口から毒液を噴出してその返事とする。対する天狗が投げつけた火炎で蒸発する毒液。

「それが返答でいいのだな?―――者ども、かかれ!!」

両陣営の壮絶な死闘が開始された。


  ◇


「ひぃぃぃい!こわいいいいいいいいいい!?」

絶え間ない轟音で、悲鳴がかき消された。

古墳の陣地に来た第二陣の増援のひとり、法子が絶叫しているのだった。空中から飛来する異形の怪物共を見て。もっとも、悲鳴を上げたいのは敵勢の方だったかも知れない。何故ならば、法子が空に向けて撃ちまくっていたのは破壊力抜群のガトリングガンだったからである。

5発に1発曳光弾が混じったこの火器は、強力な妖怪相手でも有効だ。一匹が穴だらけになった時点で敵勢も空から迂闊に接近できなくなった。無茶苦茶役に立っている。地上へは誤射が恐ろしいので撃つなと、千代子に厳命されていたが。隣で短杖を振るう、ウェーブがかかった黒髪のイケメンは法子の発砲音をエネルギーにしてやはり対空防御を担当している。こちらはクリスティアンであるが法子は初対面だった。

「来るんじゃなかったあああああ!」

しかし来てしまった。後輩には「ほんとに大丈夫ですか?」と何回も念押しされたので自業自得である。体を機械に改造されただけで法子は女子高生に過ぎない。まだ頑張っている方だろう。パルクールと投石器だけで妖怪に立ち向かう四十代のおじさんや、悪の妖怪と戦うために自ら神に弟子入りする中学生の方が異常なのだ。

ガトリングガンの弾が尽きる様子は今のところない。銃身が焼き付く様子も。昔のアクション映画並みのガバガバさである。これは強い。ガトリングガンに見えるが厳密には法子という妖怪の身に備わった妖術だ。

だから。敵も脅威に思ったのは、間違いなかった。空を飛ぶ敵の一体が意を決して突っ込んでくる。

「法子ちゃん、行ったわ!」

千代子の叫びに反応し、銃口をそいつに向ける法子。無数の弾丸は間違いなく、敵を貫通した。唯一問題があったとするならそいつが幽体だった事だけである。

青白い幽霊は、法子の上半身に組み付くと大きく息を吸い込み始めた。そのパワーは法子の魂さえも肉体から引き剥がし、飲み込もうとする。

「ぎゃぁぁぁぁぁあ!?」

無茶苦茶に反撃する法子だったが効果はなかった。何しろ彼女には幽体を倒す力がない。このままでは魂が食われて死ぬ。

そこへ、銀光がきらめいた。千代子の指から伸びた爪が敵を切り裂いたのである。雲散霧消していく幽体。

九死に一生を得た法子はひっくり返った。口元の装甲を展開すると大きく息を吸う。息が荒い。心臓がバクバクする。それがもはや存在しない生身の肉体の幻肢であることは分かっていたが、とてもそうは思えぬ臨場感であった。法子が普通の人間だったら千代子が助けに入る間もなく、一瞬で魂を吸いつくされていただろう。

「生きてるわね?」

「は、はひぃぃぃ……」

法子の無事を確認すると持ち場に戻る千代子。無事なものに時間をかけていられる余裕はない。

息を整える。霧散した幽霊のことを思う。あいつは多分銃を知らなかった。幽霊を傷付けられないという確証は無かったろう。なのに何故命をかけて襲ってきたのか。

分からなかった。平和な世界で生きてきた法子には。

唯一分かるのは、あいつらをやっつけないといけない事だけ。

何とか身を起こした法子は、ガトリングガンを構え直す。

法子の戦いは再開された。


  ◇


「デカい……!!」

山のようだった。

高速で流れていく建物の合間から見上げた大ムカデは、高層建築並みの図体。あんなものが自分の意思で生きて歩いている。それに挑もうという雛子たちは、自分たちのちっぽけさを自覚した。

小さな集落はすでに廃墟と化している。他の妖怪たちは先行したようだった。あの大ムカデが後方から指揮を執っているのだろう。つまり奴を倒せば敵勢は大幅に弱体化するに違いない。

バイクを止める。刹那を下ろし、雛子も下りる。大百足退治伝説を思い出す。その中でも特に有名なひとつ、俵藤太の百足退治を。

平安時代の貴族にして平将門追討で名を馳せた武者、藤原秀郷ふじわらのひでさと。彼は近江三上山おうみみかみやまを八巻きもした巨大な百足を倒したという。そして龍神からいくらでも米の出てくる米俵の褒美を得て俵藤太と呼ばれるようになったのだ。

「大百足は一の矢、二の矢で射られてもびくともしなかった。けれど藤原秀郷は三の矢にムカデが嫌うという唾を付け、八幡大菩薩に加護を願いながら射たことで撃ち抜いた。奴も大百足なら同じ弱点があるはず。

刹那。私は幽霊だからお経は唱えられない。あなたが代わりに唱えて」

「分かった」

雛子は、自らの矢を差し出した。目に見えないそれを刹那は受け取り、手探りで矢じりを何度も舐める。その間に、雛子は取り出した予備の耳栓を付けて準備は完了だった。

刹那もろとも透明化する。瓦礫の合間を縫って接近する。大百足がこちらに気付いた。ゆっくりと頭をこちらに向ける。大丈夫だ。間に合う。雛子は、力いっぱいに弓を引き絞った。それに刹那は手を添える。

「南無八幡大菩薩……」

刹那が八幡大菩薩に加護を求め、そして矢が放たれる。それは照準をやや外れつつも、大百足の外殻に命中し———

むなしく、弾き返された。

―――え?

「そんな……どうして。唾を付けたのに!!」

振り下ろされてくる、反撃の頭部。

それはまさしくビルの崩落だった。

咄嗟に刹那を抱き上げ、瓦礫を透過しながら最短距離で突っ切らなければ二人ともやられていたはずだ。それほどの攻撃。

走りながら雛子は刹那を背負う。バイクを。飛び乗る。エンジン全開で加速したところで大百足が方向転換した。こっちに突っ込んで来る。

「そうか……私が人間じゃないから!」

耳栓を貫通するほどの刹那の叫びに、雛子も気付いた。百足の弱点と信じられているものはという事実を。刹那は人間ではないのだ!!

しっかりとしがみついてくる彼女の体は震えている。自分が人間ではなかったという事実をこんな形で突き付けられることで。

しかし今は気にしている場合ではない。何としてでも敵の攻撃から生き延びなければ。

雛子は、アクセルを全開にする。それを追いかける、巨大な百足。

死を賭した追いかけっこが始まった。

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