第142話 中学生と祟り

「保田……死ぬかもって言ってたな」

島田は、青ざめた顔で相方の中谷に呟いた。

夕刻の通学路である。

昨日歩道橋から落ちた友人を見舞った帰り道。二人の男子中学生の足取りは重かった。

「なあ。やっぱりこれ、伊藤の祟りだよ」

「めったなこと言うなよ。祟りなんてあるわけないだろ。事故だよきっと」

「事故って……歩道橋から落ちるか?普通」

「落ちたんだからしょうがないだろ」

そんなことを離しながらふたりは進む。影が長く伸び、人々の足は早い。逢魔が時である。

やがてやってきた十字路で、ふたりは一旦立ち止まった。

「じゃ、また明日」「じゃあな」

別れようとした矢先、ふたりは違和感を覚えて振り返る。

そこに立っていたのは、犬。やたらと巨大でそして黒い。硫黄の匂いが立ち込めている。虎くらいはある怪物が、リードにもつながれずにいたのである。

魔犬と呼ぶのが相応しい。


―――GGGGRRRRRRRRRRRRRRR……


唸り声に、ふたりはひるんだ。

男子中学生たちが背を向けるのと、魔犬が走り出すのは同時。

「ひいいいいいい!!」

たちまちトップスピードに達した二人を追う魔犬は早い。しかし曲がるのは苦手なようで、大きく方向転換するたびに足が止まる。さもなくばふたりはとっくに追いつかれていただろう。とはいえ、限界がやがてきた。

息が切れ、公園の前でがくんとスピードが落ちる二人。もはや走ることはできない。

そこへ、魔犬が突っ込んで来た。

「―――うわああああああああ!?」

絶叫したのは島田か中谷か。あるいは両方だったかもしれない。

まさしく喰われる。その瞬間、空気を切り裂く音と共に魔犬が打ち据えられた。真横から飛んできた石礫によって。

「……え?」

呆然とするふたり。その眼前で今度は、魔犬の胴体が大きく切り裂かれた。何もいないのに、唐突に。彼らには見えなかったが不可視の幽霊が刃物で切りつけた結果である。

ダメージを受けた魔犬は後退。警戒の唸り声を出していたが、やがて踵を返し、煙のように消えていった。

「……た、助かった……」

中田にが呆然と呟く。一体何が起きたのか分からないが、命拾いしたのは確かだったろう。

そこへ、スーツ姿の男性が走ってきた。

「大丈夫か」

「あ———」

ふたりは、この男性が助けてくれたことを悟った。


  ◇


「それで何があった」

近くのファミレスで、竜太郎は被害者たちに事情を聞いていた。

問われた二人の男子中学生は顔を見合わせる。まあそれはそうだろう。化け物犬に襲われ、突然見慣れぬ男に助けられたのだから。

昨日の転落事故を受けてパトロールしている最中に出くわしたのだった。

「あ……あの。あんた何者だ?」

「僕か?僕は妖怪ハンターだ」

「……妖怪ハンター?」

怪訝な顔をする二人。まあ無理もない。日常で聞く単語ではないからだ。とはいえ、犬を撃退した手際は彼らも見ていたから露骨なまでの疑いの目でもなかったが。

「世の中には不思議なものがたくさんある。天使。悪魔。幽霊。都市伝説。宇宙人。その他もろもろも含めて僕は妖怪と呼んでる。そういうものの中でも、人間に危害を加える奴をやっつけているんだ」

「はあ」

「近くで昨日落下事故があっただろう?目撃者がいてね。その人が言うには巨大な犬が男の子を落としたんだそうだ。それで調べに来た」

「―――!」

「その顔。心当たりがあるか」

この段階で、男子学生たちは再び顔を見合わせた。今度はどうするべきかかなり真剣に悩んでいるように見える。

「どうするよ。話すのか?」「話した方がいいって。それとも警察や学校に言うか?」「うっ……」

やがて、結論は出た。

「あ———実は、おれたち、犬を殺したんだ」

「殺した?」

男子学生のうち島田という方が、詳しく説明をし出した。内容はこうだ。

彼らは四人グループだったらしい。伊藤。保田。島田。中谷。彼らは夏休みに入る前、野良犬を頭だけ出して生き埋めにしたのだった。遊び半分に。そして何日も放置し、死ぬ寸前になった犬の首をのこぎりで切断したのである。その次の月。すなわち八月、伊藤は死んだ。四階の階段から落ちて。警察は事故と判断したそうだ。

そうして夏休み明けの今に至る。

「犬の首か……なんでそんなことをしたんだ?」

「お―——面白いと思ったんだ」

さすがに眉をひそめた竜太郎に対し、そんな返答が戻ってきた。見えないが、隣で聞いている雛子も不快感を露わにしているに違いない。

「知らないようだから教えておくが、それは呪術の手順だぞ」

「じゅ、呪術?」

「そうだ。犬神と言ってな。怨念に満ちた動物の霊を使役する古くて危険な術だ。しくじれば術者は霊に取り殺される。この場合の術者とは君たち四人のことだ。

とはいえ、君たちごときが呪術の手順を真似たところで本来は大したことはないはずだ。怨念の絶対量が足りない」

「た―——足りないの?」

「ああ。もしそんな簡単に怨霊が生まれるなら、この世は幽霊だらけになっている。たかだか動物一匹の、餓死寸前までの数日で持つことができる怨念じゃあ不可能だ。現実に何かできる強力な悪霊が生まれるには大勢の人間が信じるか、少数であっても長いこと強い想いを持ち続ける必要がある。高僧や徳の高い行者が年単位で呪詛するとかな。想いの量の問題なんだよ」

再び顔を見合わせる島田と中谷。

「まだ何かあるなら話した方がいい。状況から考えて、さっきのあれが犬神の可能性は高い。問題は、犬を殺したのはきっかけでしかないということだ。もっと根本的な原因が分からないと解決できないぞ」

「そ……そんなこと言っても、今ので全部だよ。なあ中谷」「う、うん。そうだよ。俺たちそんな恐ろしいことしてないって」

「犬の首を斬るというのは十分に反社会的な行為なのは覚えておくといい。僕は君たちの担任でもなければ親でもないからとやかく言うつもりはないが」

それでおしまいだった。男子学生たちが立ち上がったからである。

「助けてくれたことに礼は言うよ。けどお説教はたくさんだ。俺たち帰るぜ。行こう、中谷」「あ、ああ」

そうして去って行こうとする少年たちへ、竜太郎は告げた。

「待て。自分で飲み食いした分は払っていけ」

「え。おごりじゃないの」

「当たり前だ。僕は君たちの保護者でもなければ担任でもないんだからな」

ふたりは、おとなしく自分たちの分の金を置いていった。

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