第132話 流星ふたつ
「し……死ぬかと思ったよぉ」
手術台から身を起こした法子の第一声である。
彼女を治療というか修理した白衣の男の名はドクター・アキレス。グレイではなく別口の妖怪らしい。見るからにマッドサイエンティストである。目がなんかぐるぐるしている。ヤバい。
己の裸身を見下ろし、法子は訊ねる。首から下の体中に分割線が走り、腹部と背中に人工樹脂の代用皮膚が貼り付けられた、機械の体について。
「うー。これ、もう元には戻んないの?」
「無理だ。元の体は運び込まれた時点で痛み過ぎておった。光線銃で腹を撃たれていたからな。脳の延命を最優先した結果じゃぞ」
変なことをしないよう、背後から真理に監視されていた彼はあっけらかんと言った。自分たちの船が武力制圧されたというのにマイペースである。ちなみにぐるぐる巻きにされたグレイたちはブリッジでウルフが監視している。正少年は現状でも宇宙戦闘機担当だ。何しろ彼に捕虜の監視は無理であるから。
「うへぇ。じゃあ一生、体の整備とかしなきゃ生きて行けないってこと?勘弁してよ」
「いや。理論的には、体が馴染めば機械の故障は自然治癒するはずじゃ。経年劣化や拒絶反応、生体部分の老化も心配ない。お主はもう人間ではない。妖怪じゃからのう。私は人造妖怪と名付けた」
「妖怪……?サイボーグとか改造人間じゃないの」
法子の疑問に、ドクター・アキレスは首を振った。
「まあ人間を改造したから改造人間と呼ぶのも間違いではないが、私の研究は人間と妖怪の違いを比較することで妖怪とはなにかを知ることだよ。その為の人造妖怪だ。人間と妖怪は限りなく近い関係にある。その証拠に狼男や吸血鬼に噛まれた人間は、同じく狼男や吸血鬼になるではないか」
「いやいや待って。おっちゃん、今吸血鬼とか狼男が実在するみたいなこと言わなかった?」
「するぞ?まずはそこから説明が必要か」
「いや、後でいいから。ストップ!地上に戻らないと」
嬉々として解説しそうなドクターを真理が制止した。妖怪と世界の真実について話し始めたらどんだけ時間をとるか分かったもんではない。
「えー。網野ー」
「世界の真実くらい後でいくらでも教えてあげますから勘弁して下さい部長。興味津々なのは分かりましたから」
「本物の宇宙人に続いて吸血鬼だの妖怪だのがいるって言ってるんだよ?好奇心抑えるの無理だって」
「さっきまで死にかけてた人のセリフですか。そもそも、自分を改造した相手ですよ」
「いやだって、私を撃ったのってこのおっちゃんじゃないじゃん」
「でも洗脳はしましたよね……」
「言われてみれば」
二人の視線を向けられたドクターは憤慨したようだった。
「奴隷化チップはあやつらの発明品じゃ。私は組み込んだだけじゃよ。スポンサーの言うことは聞かんと研究費が出ないからのう。その証拠にちゃんと取り外したじゃろうが」
「スポンサー…?」
うむ。と頷くドクター。
「研究にはカネがかかる。じゃが妖怪の存在は世間に秘されておるから真っ当な方法では研究費を獲得する事はできん。そこで強化された兵士を欲しがったグレイどもと、研究のために人造妖怪を作りたかった私のニーズが合致したんじゃ。人間を使って妖怪を作るだけなら武器だのなんだのはいらんからの」
「うわあ」
理屈は通っている。無茶苦茶迷惑だが。
「私とて合法的に妖怪の研究したいんじゃあ」
もちろんこの場合の妖怪とは民俗学的意味ではない。まあ仮に妖怪の存在が世間に知られていたとしても人間を改造して妖怪を作るというのは無理だろう。
「ややこしい人だなあ……」
真理の心底からのボヤきである。
「まあいいわ。ドクター。もう部長は大丈夫なのね」
「うむ。もう私の手を離れても問題ない」
「ならいいわ。ブリッジに行きましょ。地上に戻らなきゃ。あなたの処遇は後で考えるとして。
部長、手伝って下さい。ウルフと交代しないと。グレイたちが暴れ出したら私一人だと不安ですし」
「じゃ、暴れたらあいつらの光線銃で撃っていい?」
「あー。たぶんあれ持ち主しか使えませんよ。光線銃に見えるけど、あの手のものはだいたい実際には体の一部なんで」
「えー」
「はいはい、不満は後で聞きますから」
そうして3人は、ブリッジへ向かった。
◇
ふたつの宇宙船が、ゆっくりと降下していた。
ゆっくりと言っても体感上そうなるだけで、実際にはものすごい速度ではある。先行する空飛ぶ円盤の後を宇宙戦闘機が追う形であった。人類の宇宙技術者が見たら目を剥くだろう。なにしろ出鱈目な大気圏突入であったから。
真理監視の下1人だけ縄を解かれたグレイ操縦の円盤と、ウルフが操縦桿を握る宇宙戦闘機であった。
その宇宙戦闘機の中。ウルフは後席にいた。
「ねえ。ウルフ」
「なんだい」
「ウルフは、こうなると思ってて僕に操縦を教えてくれたの?」
前席に座る正の言葉にウルフは笑う。
「未来のことなんて俺には分からない。ただ、俺はお礼がしたかったんだ」
「そっか」
「まあ何が役立つか分からないもんだけどな。タダシが来てくれたと知った時、驚いた。それに嬉しかった。助けに来てくれて」
「そうなの?自力で脱出できたんじゃ」
「それは俺を買いかぶり過ぎだな。奴らが慌ててたから脱出の隙ができたんだ。タダシたちのおかげだよ」
しばしの沈黙。
「ねえ。本当は宇宙人なんていない、ってほんと?」
「マリから聞いたか」
「うん」
「そうか……そうだな。マリが正しい。俺もこの機体も、人間が強く信じたから生まれたんだ。俺たちだけじゃあない。グレイたちも、空飛ぶ円盤も。宇宙から来たんじゃない。人間の心の中から来た。狼男や吸血鬼や幽霊だってこの世にはいるが、みんな人間の心から生まれた」
「そうか。いないんだ……」
「残念かい」
「うん」
「だけど、それは本当の宇宙人がいない証明にはならない」
「え?」
「宇宙の何処かで進化した知的生命体が地球に来ないとはまだ決まってない。光速の壁を破って地球に来れないと決まったわけでもない。―――いや。後者はもう可能か」
「!?」
「人間には物理法則を破れないが、妖怪ならできる。相対性理論をぶっちぎって、星から星へ飛び交う最初の種族は人類かもしれない。今はまだ妖怪の存在は秘密だが、何十年何百年も未来なら、きっと変わってるだろう」
「そんな未来、本当に来る?」
「分からない。けれど、来るんだと信じていれば、きっと来る。人間の想いは俺たちを生み出すくらい強いんだからな」
「うん」
「さ。もうすぐ美嚢川だ。今度は静かに降りなきゃな」
「うん!」
やがて、地表の細かい姿がはっきりとしてきた。間もなく着陸するのだ。
円盤と宇宙戦闘機は、静かに降下した。
◇
その晩、美嚢川を見上げていれば二筋の流星を目にしたことだろう。ごく静かなそれらに気づいた者はほとんどいなかった。
そのごく僅かな例外である、ふくよかな体型のサラリーマンは微笑んだ。
「これは予想外の成り行きとなりましたな。はてさて。吉と出るか凶と出るか」
サラリーマンがやったことはごく小さい。あの科学者妖怪をほんの少し援助しただけのこと。資金力のあるスポンサーと引き合わせたのだ。
彼がこの世にどれだけの影響を及ぼせるかは分からない。サラリーマンの戦略は数打てば当たるだ。少しでも見込みのある者に手を貸すだけのこと。それも、一人でも多くに。
そうすることで、世界は前進していくと信じていたから。
ふたつの流星が見えなくなったところで、彼は踵を返す。
美嚢川の堤防より、サラリーマンは去っていった。
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