第119話 急成長と仮説
【兵庫県伊丹市 十月病院 診察室】
「君はもう少し自分の命を大事にした方がいい。そのうち死んでしまうよ」
十月医師は、診断の最後にそう告げた。
「き、気い付けます……」
対面に座っているのは天乃静流。先日の騒ぎで担ぎ込まれた。武神建御名方の弟子だという。その超人的な力で負傷をたちまち癒すことができるのだとか。実際、今日で三回目の診察だが特に悪い部分は見られない。
「君は確かに妖怪の力を使えるようだが、しょせんは人間に過ぎない。何事にも限度がある」
「そうやなあ」
「頭を銃で撃たれたんだろう?現代科学では発見できない後遺症が残っていたとしても私にはどうにもできないからな。人間の体は妖怪よりずっとデリケートなんだ」
「あー。それ。先生に聞こう思てたことあるんやけど」
「何だい」
「俺、建御名方のおっちゃんから相撲なろうたやんか」
「そうだな」
「神とか妖怪って、人間の想いから生まれるんやろ?俺って別に想いでできてへんのに、どうして神力引き出せるん」
なかなか高度な質問に、十月医師は頭をぽりぽり。
「仮説はあるが、それでいいかな」
「ええで」
「よし。まあ簡単に言えば、妖怪は増えることができる。今入院しているノドカくんも天使マステマの子を産んだ。他にも妖怪が子孫を残すことは珍しいが、不可能ではない」
ここまでの説明で静流は怪訝な顔。子孫という語が神力とどんな関係が?という疑問がありありと出ている。
「こうして生まれた子供は親の力を受け継いでいることがある。繁殖という形だから直感的にわかりやすいな。
で、だ。これ以外の"繁殖"手段も妖怪にはある。
それが、教える。ということだ」
「???」
「そうだな。妖怪の力を子孫に残す方法は一つじゃないってことだ。古代から、神や天狗なんかに術を習ったとか伝説の巻物を読みといて奥義を身に着けたとか、そういう話は枚挙にいとまがない。人間は、そういう不思議な力も伝承によって教えられると信じている。それを応用して妖怪が増えてるんだろうな。子孫を残すのとはまた、別の形で」
「分かったような、分からへんような」
「まあ、子供が能力を受け継いでいるのと原理的には同じだと思えばいい。ある意味では君もまた、妖怪ではあるんだ。あくまでも妖怪の力を使えるという意味では」
「ふうん」
「ま、これも仮説にすぎない。定量的な実験をしてみればわかるかもしれないが、さすがに妖術をそこらの人間に教えろなんて言えないからね。君も、下手な相手には決して教えないことだ。まあ相手が身に着けられるかどうかは別としても」
「気いつけるわ」
「よし。じゃあ今日はここまでにしようか」
診察が終わろうとしていた時だった。看護師が入ってきて、十月医師に耳打ちしたのは。
「……なんだって」
「どないしたん」
「ちょっと患者の様子を見てくる。君は待合室で待っててくれ」
「へ?」
静流を置き去りとし、十月医師は診察室を出た。ノドカの赤ん坊の様子を、見なければならなかったから。
◇
【十月病院 病室】
「ノドカさん。始まりますよ」
ノドカは、その呼びかけで目を覚ました。
そこはここ数日ずっと寝泊まりしている病室。周囲には必要な調度もある。そして今、呼びかけて来た金髪の女性はマリア。先月知り合ったばかりの半妖怪であり、マステマの娘であり、そして先のマテウス襲撃の時に助けに来てくれたのも彼女だった。もうすぐ生まれそうだと聞いて来日したところでちょうどあの事件が起きたのだ。感謝してもしきれない。
呼びかけに、わずかに身を起こす。マリアと反対側に視線を向ける。そこでは、ベビーベッドに寝かされた赤ん坊。すやすやと眠った彼女にはまだ名前が付いていない。しかしまぎれもなくノドカの娘であり、そしてマリアの妹に当たる妖怪なのだ。
ネフィリム。マステマの子は、人間の姿で生まれた。
今のところは異常はほとんどない。見た目は人間と区別がつかなかった。もうしばらく検査をすれば退院の許可も下りるだろう。中学生であるノドカが育てるのは大変な困難が伴うにしても、多くの人が助けを約束してくれていた。
ひとまず赤ん坊の眠りが安定していることを確認したノドカは、マリアからタブレットを受け取った。ビデオ会議ソフトを起動すると、画面の向こう側ではホワイトボードが一面に映っていた。授業はまだらしい。と思っていたら始まった。
例の雪のための授業をノドカも見るのだ。日本の授業に追いつくには有用な内容が多いし、何より病院は暇だった。
授業内容は毎日違う。本日の最初は国語と英語のごった煮である。竜太郎が図書室で絵本と、その英語版を調達してきたのだった。題名は「てぶくろを買いに」子ぎつねが人間の街に手袋を買いに行く。子ぎつねは人間のふりをするのに失敗するが、店主は子ぎつねに手袋を売ってやる。言ってしまえばそれだけの話であるが、竜太郎は内容を理解した生徒に対してこう告げた。
『これは現実に起こりうる話だ。それを君たちはもう知っている。この世界には妖怪が大勢いるのだから。いや、これが実話で、それを作者が架空の話として出版した可能性すらある』
絵本が、突然深刻な問題を孕んだ教材となった。そうだ。本当に昔は手袋を買いに町へやってきた妖怪がいたとして不思議はない。いや、現在でも。
画面の向こうでは雪が日本語の本文を一通り読んだうえで、補助なしに英語の文章を読み上げている。彼の英語に対する理解は急速に進歩しつつあった。うまくいけば、中学校レベルの実力がこの夏休み中に身に付くだろう。
そうして授業が進んで行く。ノドカがタブレットからふと視線を逸らし、隣のベビーベッドを見た時。
眠っていたはずの赤ん坊が、じっとこちらを見ていた。いや、タブレットの画面をか。興味があるらしい。
「一緒に見よっか」
体を寄せ、赤ん坊にも画面が見やすいようにしてやるノドカ。赤ん坊の視線は真剣だ。分かってはいないだろうが。
―――本当に?
ふとそんなことを思う。何しろ妊娠してから一か月で生まれた赤ん坊だ。それ以外の面でも常識から外れていたっておかしくはない。
とはいえ、今のところは普通の赤ん坊のはずだったが。
赤ん坊が、突然ころん。とひっくり返った。疲れて眠ったのかと思ったが、そうではないらしい。顔が青ざめている。息がおかしい。苦しそうだ。これはまさか。
「マリアさん」
「ええ」
ナースコールする間にも、赤ん坊は震えている。着せられた服がきつそうだ。―――いや、これは?
ノドカたちは呆然と、赤ん坊の変化を目にしていた。
体が膨れ上がる。骨格が成長する。頭蓋骨が大きくなる。
やがて、異変が終わる。赤ん坊が安らかな寝息を立て始めた。
しかしノドカとマリアは安堵などしない。何故ならば、つい先ほどまで生後まだ数日だった赤ん坊は大きく成長していたからである。1歳から、2歳くらいか。
看護師や十月医師らが駆けつけてくるまで、ふたりはそうしていた。
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