第113話 水の木と赤い女
【梅田ダンジョン奥】
「ぅ……」
ノドカの顔色が変わったのは、早めの夕食が終わった直後だった。
雛子の手を借りてゆっくりと畳の上に横になると、急速に息が荒くなっていく。
「大丈夫?」
「……だ、だいじょうぶ……」
そうはいうものの、ノドカは息も絶え絶えだ。これは、まさか。
「見せてごらん」
狸のお婆さんが雛子と場所を代わり、ノドカのお腹をさすっていく。ゆっくり、ゆっくり。
「やっぱりこりゃあもうすぐ生まれるねえ。安心して気が緩んだんじゃろうて」
「そんな。病院に連れて行かなきゃ」
「今動かすのは無理じゃな。ここで産むしかないよ。準備するんじゃ」
大騒ぎになった。お爺さんと雛子は言われるままに必要な道具を集め、清潔な布を用意し、お湯を沸かしたのである。幸いお婆さんは産婆の経験があるらしい。今は彼女を信じるしかない。
そして、
「ノドカさん、頑張って。きっとうまくいくから」
雛子の言葉に、ノドカは小さく頷いた。額に汗を浮かべながら。
◇
【JR大阪駅ホーム 東側】
「デカすぎやろこれ」
静流は、駅のスケールにビビっていた。
JR大阪駅のプラットフォームの上を覆っているのは大屋根。それも巨大な片流れの構造である。東西180メートル、南北100メートル、高さ50メートルのそれは見るものを圧倒するのだ。大阪駅は初めての彼は、サイズに圧倒されていたのである。
とはいえ呑気に観光している暇はない。重要な道具を携え、急いでやってきたのだ。東側から下に降りる。御堂筋口から出る。知った顔を発見する。
「来たか」
「おう。あれも持ってきたで」
「よくやった。急ぐぞ」
二列に多数の大きな角柱が並ぶ中で待っていたのは竜太郎。病院で顔を何度も合わせた犬神千尋もいる。先行していた彼らは静流を待っていたのだ。後から他にも増援は来るが、ひとまずはこのメンバーで後を追う予定だった。
静流がリュックから取り出したものを皆で囲む。
それは、芽だった。以前の事件の時にノドカが残した手がかりである。マステマを倒した後もこの芽は瑞々しさを保ち、ノドカのいる方角を常に指していた。皿の上にガーゼを敷き、霧吹きで朝晩水をやっていたおかげか今も元気である。
割れた種から伸びたぐにょ、と曲がっている芽は、地下の方向を指して止まっている。
「歩きながら説明するわ。来て」
千尋に従い、歩き出す三人組。
「梅田ダンジョンのことはどれくらい知ってる?」
「地下街の外に広がっている隠れ里ということしか」
「その理解で十分よ。そこの住人がふたりを保護してくれているの。けれど時間はあまりない。敵もそこに侵入したようだから。梅田コミュニティは戦いの得意な人はあまりいないから、今回は増援を待っていては間に合わない。私たちで何とかするしかないわ。
入口は無数にあるけど、梅田のコミュニティが案内人を手配してくれた。入れてくれるだけだけど。暴力は苦手なひとだから」
「十分です」
御堂筋口から出て右側、奥に位置するエスカレータを降りる。進む。曲がる。また曲がる。まっすぐ進む。
そうしてしばし地下街を進んだ先には、大きな作り物の木が見えて来た。
「あれは
そこは、泉の広場と呼ばれる場所だった。1970年、味気ないとの声を受けて初めて広場と噴水が登場したのだ。それから11年経ち時代に合わせてデザインされた2代目が誕生。3代目は2002年にイタリア、ミラノの彫刻家がデザインした。そして2019年、泉の広場の名はそのままにWater Treeが誕生したのである。
その枝の下では、赤いドレスを着た女が待っていた。明らかに尋常な雰囲気ではないが、人間たちは誰も気づいていない。竜太郎と静流を除いて。
「こちらが泉の広場の"赤い女"さん」
千尋の紹介に、相手へ会釈する人間勢。赤いドレスの女は無言のまま、異様な笑いを浮かべる。はっきり言って怖いが贅沢を言っている場合ではない。
彼女はジェスチャーでついてくるよう告げる。それにおとなしく従う三人は、ぐるぐるとWater Treeの周りを反時計回りに何周もする羽目になった。
やがて。
「―――へ?」
静流が間抜けな声を出したが、竜太郎も内心では同じ心持ちである。何故ならば、気が付いたときにはWater Treeや通行人たちは消え、古めかしい噴水の存在する薄暗い広場にいたのだから。
「ここが梅田ダンジョン。その一番外に近い場所だそうよ」
「―——これは、昔の泉の広場ですか」
「ええ。戻るときは逆回りすればいい。
案内してくれてありがとう。他の人たちが来た時もお願いします」
千尋の言葉に"赤い女"は深く頷く。
「さあ。行きましょう」
静流を待つ間に竜太郎がヨドバシ梅田で購入しておいた懐中電灯を用意した三人は、奥へと進んで行った。
◇
【梅田ダンジョン内】
「ご主人様」
「どうした」
「―――敵です。来ました」
「そうか……急がねばならん」
そう告げると、先を急ごうとするマテウス。そんな彼に頭を振ったのは溶岩虎だった。
「いいえ、ご主人様。追跡者は並々ならぬ気配を感じます。わたくしが彼らを食い止めます。その間に、目的を果たしてください」
「大丈夫か」
「はい。今回の戦いが終わってもご主人様にお仕えする、と決めましたから」
そう告げた乙女の顔をしばし見つめたマテウスは、やがて深く頷いた。
「分かった。頼む」
溶岩虎をその場に残し、マテウスは先を急いだ。
◇
真っ暗な道だった。
「なぁ、ここ電気通ってへんの」
「前は通ってたらしいんだけど。人間が間違えて入ってこないように電灯は切ったそうよ。人間は暗いところには近寄らないから。幾つかの主要なポイントは別だけど」
静流の問にそんな答えを返す千尋。彼女が言うには梅田ダンジョンは、地下一階はまだ地上からの光が差し込む場所もあるが、二階三階ともなると真っ暗なのだそうだ。
「芽は?」
「向こうとる先とぴっちり合っとる。ノドカはこの先や」
「ならよかった。敵に先んじられるかもしれない」
「そう願いたいところですね。無理そうですが」
「?」
「―――避けろ!」
竜太郎が叫ぶのと同時だった。後方から忍び寄って来た者が、ククリナイフを手に踏み込んで来たのは。
標的だった静流が突き飛ばされる。ククリの切っ先が竜太郎に向く。突き込まれてくる切っ先を後ろ向きに転がって回避。足を体に引き寄せる。そこへ敵が踏み込んで来る。両足を蹴り上げ、相手の胴体を持ち上げる。こちらの喉を掻き切ろうとしたククリの一撃が紙一重で空を切った。
敵の腕を掴み、ククリを奪い取ろうとしたその瞬間。竜太郎の掌が焼ける。
「―――ぐっ!?」
苦痛でほんの僅かひるんだ瞬間、引っ張られた。焼けただれ、相手の腕に張り付いた手を!!
そうして接近した喉を、敵手の反対側の手が掴んだ。
「~~~~~~!?」
声にならぬ悲鳴が上がった。竜太郎の喉を掴んでいた手が九百度の高熱を発したからである。
そのままだったら竜太郎の生命はなかったであろう。そうならなかったのは、横手からの蹴りが襲撃者を襲ったからだ。
凄まじいパワーに吹き飛んでいく襲撃者。犬神千尋の攻撃であった。
「―――山中さん!?」
悲鳴にも近い呼び声だったが、竜太郎に答える余力はない。喉を焼かれ生死の境をさまよっていては、それは不可能だ。
その状況で。
「おらあ!!」
再度の攻撃を試みる襲撃者に、強烈な一撃が襲い掛かった。静流がククリナイフを振り下ろしたのである。襲撃者が取り落したものを拾い上げたのだ。
後退して行く襲撃者と重傷の竜太郎。双方を交互に見やり、千尋は静流に向けて叫ぶ。
「1分だけ時間を稼いで!!できる!?」
「分かったわ!」
生死を分ける1分が始まった。
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