第78話 騎士と亡霊
「―――始まった」
竜太郎が呟いた。
彼が跨っているのは雛子の1400CC。やや遅れて火伏の乗用車も別方向から突っ込んできている。目標は前方、大きなホテルの裏側。
表の本隊はすでに攻撃されている。雷鳴が立て続けに起き、それどころかすさまじい爆発音まで聞こえてきたのである。あちらから突入したメンバーは無事だと願いたい。
インカムを通じて彼らからの支援要請が来た。3階と4階にスナイパーがいる。
幸いこちらへの攻撃はない。情報が正しければ敵は五名だけ。火力を表に集中させているのだろう。
「ひいいいいいい!?」
雛子が普段からは考えられなような悲鳴を上げた。無理もない。彼女の1400CCはカーブしながらホテルの壁面に突っ込んだのだから。その瞬間、前輪が持ち上がった。車体は壁面に張り付き、そのまま登っていく。首なしライダーも使っていた妖力だ。実戦使用は初めてだが恐ろしいにも程がある。下では乗用車が急停車し、火伏とクリスティアン、そしてあの静流という少年が飛び降りるのが見えたがそれも一瞬。
窓を突き破り、1400CCがホテル内の3階へと侵入した。
廊下を高速で突っ走る。前方を見据える。反対側、吹き抜けになったロビーを見下ろす大きな窓が破れ、人型の何かがこちらを振り返ってくるのを雛子は見た。
「―――影だ。あいつが"オシュマレ"か!」
「私にはアーサー王伝説に出てくるような騎士に見えます!!弓を持ってる!飛び降りる準備を!」
竜太郎の声に叫び返し、再びウィリー走行。そこへ、強烈な攻撃が放たれた。雛子にははっきりと見えた。鉄の矢じりがついた昔ながらの矢だ。それが、浮き上がったバイクの車体を貫通したのである。
「―――今!」
勢いそのまま突っ込んでいくバイクから飛び降り、転がるふたり。前方では"オシュマレ"改め騎士が横っ跳びでバイクを回避する。
「来ます!」
鉈を構えた雛子は全力で走った。その後ろでは竜太郎が投石紐を装填、即座に投射する。雛子を貫通して飛んで行った石弾は、騎士に命中。しかしそれはすり抜けた。雛子をすり抜けたのと同じように。
―――幽体!!
こうなれば騎士を倒せるのは雛子だけだ。竜太郎は幽体の相手を殺す手段がない。
走る。
激突。
恐るべき技量。凄まじい剛力。妖力は恐らく雛子と同等だが、負傷と、そして戦闘経験の差が如実に現れている。押し込まれる。足を踏みつけられた。肩口からの体当たりを喰らう。転がったところに剣が振り下ろされた。辛うじて受け止める。まずい。そこへ―——「雛子ちゃん!!」竜太郎の叫びと同時に第二の石礫が飛んでくる。いやあれは!
転がりながら、雛子は目を庇った。
マグネシウムを主成分とする強烈な発光が、騎士と雛子の中間で発生。竜太郎が投じた手製の閃光弾だ。一瞬の隙が、敵手に生じる。
雛子は、鉈の一撃を騎士に加えた。―――この手ごたえは!?
相手に痛手を与えられずに後退した雛子の前で、騎士は目を庇う手を下ろした。その動きにはほとんど影響がないように見える。あらかじめ片目をつむり、視力を守っていたのだろう。やはりこいつの経験は並みではないようだった。
雛子は改めて敵手を観察。バケツをひっくり返したような形状の兜に鎖帷子。紋章が描かれているサーコート。腰に下げた鞘。足元はがっしりしたブーツ。
こいつの鎖帷子は伊達ではないようだった。鉈の一撃がほとんど通用していない。刃が通っていなくとも打撲はあるはずだが。
肩に突き刺さった矢を抜く。しまう。―――奪えた。矢が雛子のものとなった。そうである以上は、この騎士は幽霊なのだろう。幽霊、それも円卓の騎士のようななりからして聖書の言葉に弱いのだろうか?問題は、こいつが日本語を解するかどうかだった。そもそも雛子自身聖書にはあまり詳しくない。この場では役に立たないようだ。
「―――わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上もない喜びと思いなさい」
騎士は、英語だろうか?何かを呟くと背中に手をまわした。そして取り出されたのは一枚の盾。
完全武装となった彼の言葉の内容が、聖書に記されたものだ。ということまでは雛子には分からない。分からなかったが、自分が不利な状態にあることは理解できた。相手は完全武装なのに対して自分の武装は鉈一丁、しかも負傷している。
「ヤコブの手紙、1章2節。どうやら聖書の言葉はこいつには効きそうにないな」
「竜太郎さん!?」
いつの間にか横に並んでいた竜太郎に雛子は仰天。彼ではこの敵には抗しえないはずだが。何しろ相手は幽体な上に、人間の目からは影しか見えないのだ。電気系統が死んでいるのか、ホテル内部は暗い。さらに、戦いで窓は遠ざかりつつある。竜太郎では敵の姿を視認することさえできないだろう。
「こいつは幽霊か。なら大丈夫。武器はある。音も聞こえる。やりようはあるよ。二人で仕留めよう」
竜太郎は、腰に巻いていた布を解いた。なるほど、それなら幽霊にも通用するだろう。問題は、それはそもそも武器ではないということだった。だが今は彼を信じるより他はない。
身構えたところへ、敵は踏み込んで来た。
ふたりは、受けて立った。
◇
"オシュマレ"は警戒心を最大限にしていた。敵はフルフェイスヘルメットを被った男女。女はこちらと同類だろう。男は何の
踏み込む。剣をコンパクトに振り抜く。その間にも盾は女に向けられている。対する男が両手でつかんでいるのは、腰に巻いていた布一枚。―――いや、上着だろうか?
それがはためいた。振り抜かれた布の一撃はオシュマレの手首を強打し、一撃を逸らせたのである。これは一体!?
後退。盾で身を庇う。強烈な打撃を受ける。水をたっぷりと含んだというだけの布がこれほどの威力を?
オシュマレは———その名を持つ騎士の幽霊は知らなかった。東洋には布棍と呼ばれる戦い方があるのだと。水に浸した布の破壊力を最大限に引き出せば、凄まじい威力を発揮するのだということを。それに使われた布は、女の幽霊が生まれた時に身に着けていた衣類なのだということを。
だが何よりも驚異的な事実、眼前の男―――竜太郎の目には己の姿も布棍も見えていないのだということを、騎士は知らなかった。卓越した技術。そして、何か月もの間不可視の幽霊と同居した経験があってこそ、彼は騎士と互角に渡り合っていたのである。
男女の巧みな連携攻撃が騎士を追い詰める。剣と盾で辛うじて捌いているが、集中力はすでに限界だ。どちらか一方なら勝てただろう。しかし現実には、敵は二人いるのだった。
剣を持つ腕に布棍が絡みついた。動きが封じられる。そこへ女が突っ込んでくる。まずい。彼女の一撃は、まず鎖帷子に守られていないひざ下に食い込んだ。騎士が転倒したところで剣が蹴り飛ばされる。女が鉈を力いっぱいに振り下ろした。一撃。二撃。同じ場所を三度切り裂かれ、とうとう鎖帷子が屈服する。そこへ、四度目が振り下ろされる。
それが、致命傷となった。
―――主君よ。どうやら私はここまでのようです。
急速に力が抜けていく。昔の記憶が脳裏を駆け抜けていく。十字軍遠征の頃に生まれた。訳も分からず、神に見放されたかと絶望したときに
古き騎士の亡霊は、神に祈りを捧げながら死の眠りに就いた。
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