第65話 クリスマスと姫と万歳三唱

クリスマス、それは日本人の男にとって……良くもあり悪くもある、きっとそういう日だろう。


高校生の頃の俺にとっては、なんとなくつまらない気持ちのまま友達と騒ぐ日だった。


大学生になった年のクリスマスは、ピザ屋のバイトで一晩中走り回っていた日だった。


マーズと姫がやってきてからは、ケーキやチキンを楽しむ日になった。


そして社長になってから二年目の、このクリスマス。


その日は俺にとって、そして会社にとっても、大勝負の日となった。


そんな決戦のクリスマス、その一日前のクリスマス・イブ。


俺は事実上の社長室となった会社の地下で、最近目の下に隈が戻ってきた大人のお姉さんと密談を交わしていた。



「それじゃ社長、後は手はず通りに」


「よろしくお願いします、阿武隈さん。言っていた通り、俺たちは連絡が取れなくなりますので」


「わかってますよー、全部私と飯田で進めます。そっちも頑張ってよね」



ボア付きフライトジャケットを着た阿武隈さんにそう言って胸を小突かれ、俺はしっかりと頷きを返した。


資源採掘船カワシマ・ワンは既に船便で打ち上げ場所へと輸送済み、あとは責任者である阿武隈さんが行ってGOを出すだけ。


そして、俺達は俺達でやる事があった。



「まぁ、飛ばした後のトラブルは任しといてよ。トンボだけじゃなくて、副社長もいんだから」


「それは心強いんだけどね。バレたらカワシマ・ワンのニュースが茶番になっちゃうんだからさー、ほんとに気をつけてよね」


「ステルスは万全……と言いたいんだけど、トンボは一回やらかしてるからね」


「もう勘弁してよ。今回はバックアップだから大丈夫でしょ」



そう、俺達がやる事とは……


宇宙に上がり、カワシマ・ワンのバックアップをする事だった。


部長たちに姫やマーズの身元を明かした時点で、すでに一隻別の船を持っている事は話してある。


その船であるサイコドラゴンで、俺達は最悪カワシマ・ワンが地上から操作不能になった場合の対処のため、月の裏側で待機する予定なのだ。


もちろん操作不能になる確率は限りなく低いし、なったとしても事前のプログラム通り動く予定ではあるが、予定は未定、備えよ常にだ。


何より俺達がバックアップをする事が、ほぼタダみたいなコストでやり得だというのが大きかった。


地上からの通信が途絶したらこっちで操作するってだけだし、危険もないからな。



「しかし、初めてトンボ君たちと会った時はさー……こーしてクリスマス・イブに会話する仲になるとは思わなかったけど……」


「色気のある会話じゃなくて申し訳ないけど、勘弁してよね」


「色気のある会話より、夢のある会話のが百倍いーよ。全国の人が見守ってくれてるんだよ? 冒険者やってたんじゃー、こんな楽しいクリスマスにはならなかっただろうし」


「そう思ってもらえるなら、本当に嬉しいです」



阿武隈さんは元々宇宙なんかとは全く関係のない人だったのだ。


それが、俺の無茶振りに応えて、勉強して出自からバラバラなチームを纏めて、実際に宇宙船を飛ばすところまで計画を進めてくれた。


彼女がいなくて、俺が頭を張っていたとしたら……


きっと宇宙船が飛ぶのは今日ではなく、来年どころか、再来年も怪しかったに違いない。



「阿武隈さん、改めて……あの時、俺の会社に入ってくれてありがとうございました。あの船が飛ぶのは、阿武隈さんの力です」


「まだ宇宙船飛んでないんだけどね。まぁ、ぶっちゃけあたしも久美子も、あの時はお先真っ暗だったからさー、トンボ君に救われたってとこもあるんだよね」


「それでもですよ。阿武隈さんたちがいなきゃ、未だに一人でひいひい言いながらふりかけ梱包してましたよ」



そう言って、俺が右手を差し出すと、彼女は「そんな事ないと思うけど」と笑いながらその手を握り返した。


小さいけれど固くてしっかりしたその手は、人に安心感を与える阿武隈さんそのものの手だった。


握った二つの手に、マーズの小さな肉球が横から重なる。


その下から、よくわかっていなさそうなシエラの肉球も添えられた。



「じゃあ、やりますか」


「やろう」



俺達は電気を消して、地下を出る。


本社の外の車寄せには、運転席に雁木さんの乗った社用車が止まっていて、その周りを取り囲むように社員たちが待っていた。


彼らにポンポン背中を叩かれながら阿武隈さんが車に乗り込み、窓を開けた。



「じゃあ、行ってきますね! 配信見て応援しててよ!」



そう言った彼女の窓の隣に、飯田部長が立つ。



「それでは現地へ出発する阿武隈部長を、万歳三唱で見送ります。ご唱和をお願い致します! 万歳! 万歳! 万歳!」



その場の全員の声が重なり、誰かが焚いたスマホのカメラのフラッシュが光る。



「行ってきまーす!」


「気をつけて!」


「事故るなよーっ!」


「配信見てるからなーっ!」



声援を背に、白い商用バンは走り去った。



「じゃ、行こうか」


「俺らも行こう」



俺達は別に誰に見送られるわけでもなく、呼んでいたタクシーにこそこそと乗り込み、駅へと行ってもらう。


そして電車に乗って向かう先は旧川島総合通称、もう一隻の宇宙船サイコドラゴンの打ち上げ場所だった。









旧川島総合通商の駐車場。


車輪止めに座って俺達を待っていてくれた姫は、外国の球団のキャップを被り、小脇にドーナツ屋の箱を抱えていた。



「お待たせ」


「これ、駅前でセールやってたから」



彼女は金色のつぶつぶがまぶされたドーナツを齧りながら、そう言って俺達の方に箱を差し出した。



「そんで、クマさんは大丈夫そうだった?」


「うん、バッチリ送り出してきたよ」


「そっ」


「姫の方の準備は大丈夫?」


「バッチリ。配送ドローンの運行も自動運転システムに移行してきたし」


「それじゃあ、こっちも動ける?」


「うん、じゃあ行こっか」



三回目ともなれば慣れたもので、俺達はさっさと地上を飛び立った。


カワシマ・ワンに先駆けて出発したサイコドラゴンは、全く危なげなく大気圏を突破。


そしてそのまま、月の裏へと飛んでいく。



「やっぱちょっと早すぎたかな? カワシマ・ワンが上がってくるまでに丸一日ぐらいあるし、下でなんかあった時のためにギリギリまで残ってた方が良かったんじゃない?」


「いやいやトンボ、最悪カワシマ・ワンが飛ばないならそれでいいんだよ。飛んでからトチって作り直しになるのが一番怖いんだ」


「そーそー、何でも最初が肝心。デビューライブで失敗したアイドルには仕事回ってこないんだよん」



まぁ、二人がそう言うなら、このスケジュールで間違いないんだろう。


一応有名チェーンのチキンとか、ちょいお高いケーキとかシャンパンとかは買い込んできたし、ちょっと気の早いクリスマスパーティでもして待っていればいいだろう。



「こないだ見回ったばっかりだけど、一応レーダー打っとくね」



姫がそう言うと、球体の星系図に波が広がった。


俺には見方がイマイチわからない図だが、前とは変わったようには見えない。


だがその結果を見て、姫とマーズの雰囲気が変わったのだけは、俺にもわかった。



「え? これ……」


「前のやつかな?」


「じゃない? おかしいよね、こっちに来る軌道じゃなかったのに」


「この速度だと、あと二日ぐらいで土星って星の近くを抜けるね。掠めるってほどじゃないけど、地球の近くも通るよ」


「ど、どうしたの……?」



俺が尋ねると、マーズは星系図を指差した。



「前にレーダーが捉えた謎の船、こっちに向かってきてるんだ」


「もう太陽系に入っちゃってるんだけど、この速度は漂流してるって感じじゃないよねぇ……」


「でも姫、漂流船じゃないのにレーダー打ち返してこないって、どういう船かな?」


「どういう船でも、厄介な感じしかしないっしょ」


「クリスマスプレゼントを持ってきてくれたって感じじゃなさそうだね」



姫は椅子の背もたれに腕をかけて、こちらに振り向き、俺にこう聞いた。



「どうする、トンボ? 飛ばした事もない資源採掘船一隻しかない状態で、地球と他星文明のファーストコンタクトをやりたいってんなら、ほっといたらいいけど……」


「…………」


「今ならまずうちが出ていって、善意の第三者として用向きを聞くって選択肢もあるけど?」



俺に選択を委ねてくれるのはいいけど……それって実質、選択肢はない状態なんじゃないの?


ともかく、迷っている暇はあんまりなさそうだ。


こうしている間にも、謎の船は着々と近づいてきている。


近づけば近づくほど、地球から観測される可能性は高まるはずだった。



「よし……じゃ、行ってみよう。遠くでコンタクトできればできるほど、地球からはバレにくいはずだし」


「カワシマ・ワンの方は、もういいね?」


「こっちは阿武隈さんたちに任せてある。最悪、資源採掘船は作り直せばいいよ」


「そんじゃあ、ちょっと飛ばすよ」



姫がそう言うと、艦橋メインブリッジの前部モニターの右上に、剣をクロスさせたようなマークが表示され……


これまで白色光だった照明が、緑がかった色に変わった。



「サイコドラゴン戦闘機動。目標不審船。艦長、いいね」


「あ、じゃあ……サイコドラゴン、発進!」



俺がそう言った瞬間、後部モニターに見えていた地球が、凄まじい速度で小さくなった。


ただでさえ、あっという間に火星についてしまう速度を持つサイコドラゴン。


その多用はできない戦闘機動時の速さたるや、まさに物語の中のワープのような凄みがあった。



「トンボ、生命維持装置つけて」


「腕輪はしてるけど……」


「銀河警察のもだよ」


「り……了解!」



俺は斜め前のマーズにそう言って、ジャンクヤードから取り出したヘッドホン型の生命維持装置をつけた。


マーズもシエラもすでにネックレス型の生命維持装置は装着済みで、それぞれの武器になる物もアクセサリーとして身に着けている。


俺も密造銃を出そうかと思ったが、やめた。


船の中であんな何にでも穴を開けてしまう銃を撃てば、敵は倒せても二度と地球へは戻れないだろう。


そして装備と心の準備を済ませた俺たちの前に、謎の船が姿を表すのは……


その僅か十数分後の事になるのだった。

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