4-5宴

 赤、白、青、緑、金、銀。一体誰が用意したものか紙吹雪が降り注ぐ。

 流した黒髪の女がついと立ち上がり、扇をひらひら蝶じみて躍らせ、扇に光料が仕込ませてあったのだろう、きらきら鱗粉を撒くかのよう。笛の音も手拍子も謡いも、自然と大きくなってゆく。

 里でたった一人の娼妓は伊達ではない。宵の始まりは瞬く間に最高潮を迎えた。


「さあさ、呑み喰い踊り、疲れを癒しておくれ。あたしら安是の女が安心して暮らせるのは、〈寒田の兄〉から護ってくれる旦那衆のお陰。かすみ――いや、オクダリサマの労いだよ、遠慮なくやっておくれ!」


 燐は謡うような節で口上し、自身も杯を傾ける。誰よりも良い呑みっぷりだった。

 かすみはしどけなく脇息にもたれ、黙したまま杯を掲げ、艶然と笑みを浮かべた。そちこちで息を呑む気配がする。

 一体誰が思い描けただろう。

 今のかすみは、髪を結い上げ、簪を挿し、裾を長く引いた黒打掛姿だった。打掛はいつもの代物だが、下は深い緋色に金糸の刺繍が入った豪奢な絹織物だ。顔を剃り、眉を抜き揃え、白粉をはたき、紅を引いている。当然、一人でできるはずはなく湯浴みから化粧にいたるまで小色に手伝わせ、作り上げた。

 もう二度と、他の誰にも〝かすのみ〟と侮れることがないように。

 広間には三十名ほどの安是男が集まり酒を酌み交わしていた。昨日より片手分は増えた。 

 あらあ、と大仰な声が響き、


「空になってるじゃないか。追加を持っといで。出し惜しみするんじゃないよ!」


 燐は忙しく膳の世話をしていた娘を捕まえて声高に命じる。言われた娘は俯き加減に、はい、と応えて足早に広間を抜ける。

 姉娘は愉しそうだった。話を持ち掛けた時は胡乱げだったが、酒が呑めればご機嫌だ。無論、それ以外の愉悦も理解できる。痛いほどに。

 一方の娘の俯かせた顔は屈辱に歪んでいた。さもありなん。遊び女と蔑んでいた女に指図されるのだから。

 娘は小色ではない。安是女であり、娘宿の同輩だった。いや、彼女らはかすみのことなど〝同じ〟と感じたことはなかろうが。

 本来ならば娘宿の娘など目障りだが、さすがに小色だけでは手が回らない。だが、これはこれで面白い見物だった。


 男衆を招いて酒宴を開き、四日目。初日は招いたうちの一握しか応じなかったが、酒と馳走が惜し気もなく振舞われると聞きつけ、日に日に客足は増えた。

 当初、足が鈍っていたのは、主催が〝かすのみ〟だからだろう。軽んじ、蔑み、無視してきた相手に招かれ、のこのことやってくるほどお目出度い輩はそうはいない。それを勘案して、川慈になじみを連れてきてほしい、佐合の弔い代わりに酒を振舞いたいと頼んだのだ。

 その川慈は今、壁際の出入り口近くに苦り切った表情で胡坐をかいている。こんな状況、俺は聞いていないぞという無言の非難を立ち昇らせて。同時にそれは、安是男――己を恥じている苛立ちなのだろう。無言なので察してやる義理は無いが。

 芳野嫗は里長らと共に、この数日、寒田の古老らと話をつけに里を出ている。建前上なのかもしれないが。

 だとしても、嫗不在の今、機を逃すべきではなかった。

 一時半いっときはんも過ぎただろうか。

 早くも幾人の男たちが鼾をかき、折り重なって寝入り始める。

 若衆宿の若者から寄り合いの中心となっている壮年男たちまで、男盛りを宴席に集めた。古老らは口うるさいだけなので呼んでいない。

 娘宿の娘たちは、酔った男の間を縫い、酒臭い息を掻き分け、片付けに奔走している。その様を横目に、ゆるり立ち上がり、大きく手を打った。


「さて……今宵はそろそろお開きにしようか」


 声と同時に、いくつか灯りが吹き消され、広間は琥珀色に暮れる。

 どこか不満気な吐息がそちこちから漏れた。泥酔して眠った者もいるが、上戸じょうごらには物足りないのだろう。それもそのはず、昨日までの三日間、宴はもう一時いっときは長かった。

 背筋が粟立った。男たちが惜しんでいる。もっともっととこいねがう。まだまだ遊び足りないと幼子のようにぐずっている。

 ねえ、いったい誰が想像できた? それともあんたは知っていた? もうずっと前から?──心の裡で問い掛けた。無論、返答は無いけれど。

 今までかすのみを一顧だにしなかった安是男たちがかすみにかしづく。阿古はこの味を知っていた。なるほど、これは馳走であり、甘露であり、美酒である。己を見失いそうになるほどに。

 上座から男らを見下ろす。男らは下座から見上げる。震えるほどの恍惚感に支配されそうになる。なれど、まだ、夜は長い。

 打掛をするり肩から滑り落とさせる。衣紋は大きく抜いてあり、喉元から項まで磨かれた肌が露わになった。そのなまめかしく、きめやこまやかな白磁を灼くのは。


「この光……」


 黒打掛から解き放たれた暗紫紅の光が肌の上をくゆる。男らが息を呑む。


「山姫様のおくだりにはまだ足りぬ。誰ぞもっと光り燃やしてくれまいか」


 袖を捲った腕にも指先にも、光は絡みつく。夏の盛りの蔓草めいて奔放に旺盛に生々しく。

 かすれた声で、潤んだ瞳で、震える唇で。かすみは男に嘆願する。安是男らは身じろぎもせずに恋情の具現を見つめる。

 暗紫紅の光を食い入るように見つめているのは男だけではなかった。下働きを命じられていた娘宿の娘たちも呆然としている。そのうちの一人に目を留めた。

 娘頭――駒だ。彼女はかすみの暗紫紅の光を目にするのは初めてではない。娘宿の娘遊び、度が過ぎた戯れの最中。

 ふいに駒がこちらの視線に気付き、睨み返してきた。気丈にも。

 以前に組み敷いてなぶられた恥ずかしさ、あるいは首を絞めかけられた恨み辛みをこじらせているのかもしれないが、どうやら駒も、オクダリサマについて疑念を抱いているらしい。というよりも、かすのみがオクダリサマなんてふさわしくない、もっと単純に安是男をはべらせているのが気に入らないか。

 だったら。悪戯心が疼いた。報復と呼ぶには手ぬるいが。


「そなた、」


 薄闇の中、その男を捜し出すことは難しくなかった。真っ直ぐに指を差し向ける。暗紫紅の光が蛇の舌めいて、ちろちろ指先で弾ける。

 体躯は立派だが、あどけなさを残す、もっと言えば頼り無い、若衆頭。駒と叶、二人の里娘に光を昇らされている色男。

 真仁まひと、その名を呼んでやる。駒はどんな表情をしたのか。想像に唇を弧に描きながら、命じる。


半時はんとき後、ねやに来や」

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