4-4昔語り
東の果て
かつて都の政権を巡る戦に負けた
山に不慣れな落人たちが生きながらえたのは、偏に、助力があってのこと。落人たちは山また山に閉ざされた奥深い地に辿り着き、山に棲む不思議な女に出会った。
髪、くるぶし届きて長く、瞳、青味帯びて輝き、肌、雪よりなお純白。
否、それは女にあらず。彼女らは人を超えた力を持つあやかし――山女だった。人並み外れた身体能力、長い手足、そして美貌。落人は敬意を込め、山女を〝山姫〟と呼んだ。
落人の一族を根絶やしにせんと、都から討伐隊が遣わされた折りも、山姫は嵐を呼び、獣のごとき鋭い牙と爪で討伐隊を返り討ちにしたという。
落人は山女に感謝し、礼を尽くし、能う限りでもてなした。都仕込みの舞いに、馳走に、酒、着物に帯に玉に簪。〈白木の屋形〉自体、山姫の饗応のために建てられた。
しかし、山姫は山女、どれほどもてなし引き止めても、その
度々山へ入り、山姫を探したが見つかることは稀で、若い娘が出くわすことが圧倒的に多かった。山姫は在と不在を波のように繰り返し、緩やかに共生を続けた。
そして、落人の里は二つに別れていた。山浅き里と、山深き里。山浅き里は落人の家来衆が居を構え、都からの追っ手の前衛となった。
「……ふたつにわかれた?」
「安是と寒田は一つの里であった」
身を乗り出したかすみに、芳野嫗は存外あっさりと頷いた。
安是と寒田は最初からいがみ合っていたわけではない。ならばならば、燈吾とかすみ、二人を裂く理由は無いではないか。村八分で構わない。放っておいてくれたら。
「早や合点するな。過ぎた期待は身を焼き尽くすぞ」
川慈に釘を刺されるが聞き流した。嫗は続ける。
「山深き里は主家たる『安是』、山浅き里は家来衆が成す『寒田』となる。ある時、山姫不在の折りに都の討伐隊が遣わされ、寒田は半壊状態となった。からくも山姫がおくだりになり、安是にまで危害が及ぶことはなかったが。
なれど寒田の生き残りは不安に陥り、安是に嘆願し、安是の娘は山姫をもてなし助力を乞うた。山姫は願いを聞き入れ、やがて寒田には奇妙な娘が生まれるようになった」
寒田の昔話か。初めて聞く話だ。燈吾の寝物語には無かった演目だ。
「六人の兄妹の末の妹だ。娘自身は何の力も持たぬ。しかし、妹が命ずると五人の兄は力を得た。相手が熊であろうが、巨岩であろうが、討伐隊であろうが、どんな恐ろしい相手にも勇猛果敢に挑み、人あらざる力で屈服せしめる。その振る舞いはまさに狂者であった」
ごく普通の里人であったはずの兄らは、妹の言葉一つで、百万力と鋼の身体を得た。いくら刃で斬られようと、矢で射られようとも、炎に煽られようと怯まず、巨人の膂力、韋駄天の神速、天狗の跳力を備え、妹の命を遵守する。
里を守り、崇め奉られ、元々は只人である彼らの心根が歪むまで時間はかからなかった。
なにゆえ、寒田が安是を守らねばならぬのか。主従を入れ替え、安是が寒田の下に付くべきではないか――
「寒田の娘の神通力は〈
嫗の口調は侮蔑するそれだった。
「妹姫らは里を抜け出し、黒山を下り、宮市や街道へ出て、狼藉を働いた。挙げ句の果て、都からの勅使を殺してしまった」
安是と寒田は対立を深める。妹姫の支配下となった兄に、安是人は敵わない。かといって勅使殺しが露見し、帝の精鋭隊がやってきたならば里は破滅だ。
そして安是は再度、山姫のおくだりを乞い希ったのだった。
「山姫はおくだり、さしもの寒田の兄も山姫の前には赤子も同然、成敗された。山姫、安是の優位性が示された」
「昔の禍根から、安是と寒田は対立を続けているということ……?」
「昔ではない。〈妹の力〉を持つ娘はその後も寒田に生まれ続けたのだ。妹姫は寒田の血に生まれる。安是と寒田が交われば、安是に妹姫が生まれる恐れがある。安是で〈妹の力〉が発揮されたなら、山姫も間に合うまい。そうなれば暴虐を止める術がない」
それに、と嫗は続ける。安是と寒田は対立しているわけではないと。
「安是と寒田は古くから盟約を結んでおる。寒田は二度と妹姫を生まない。末の娘は十になる前に里を出す。多くはもっと前に」
もっと前――おそらくは赤子を黄泉に帰すことを意味しているのだろう。寒田では末娘は生きられないということか。
「安是は貧しいが、寒田はさらに貧しい。この辺りで現金価値があるのは黒ヒョウビぐらいのもの。しかし、黒沼は山姫の神域、山姫に無礼を働いた寒田を近付かせて機嫌を損ねさせるわけにはいかん。だから安是は寒田に対して黒ヒ油や現金を融通し、主従の関係を守っておる」
かすみは黙した。まったくもって、目新しい――
山姫や妹姫、〈妹の力〉の真偽のほどはさて置き、順を追えば、理解できない話ではなかった。納得できるかはさておき。
「妹姫が、いる。寒田に……?」
半信半疑で呟く。巨人の膂力、韋駄天の神速、天狗の跳力……そんなものが実在するのか。それにこの昔語りには違和感があった。実感が伴わないというほうが正しいか。
山姫は里の恩人であり、敬うべき存在であることになる。だが、里で、生家で、娘宿で、そんな教えは受けていない。
『山姫が下る時分』とは娘宿でよく交わされる言葉であり、『夕暮れには気を付けろ』、あるいは『ぬけがけは許さない』という二通りの意味を持つ挨拶句だ。もしも、真実本当に山姫が里を守護するなら、そんな冗談めかした言葉に使われはしまい。生真面目な娘頭までも気軽に口にするのだから。
――山姫が下れば、山嵐が起きて里を荒らし、女が消える。
言い伝えとしてはこちらのほうが馴染み深い。この言葉が示すように、山姫はどちらかといえば不吉の前兆、あるいは災害への慰めとして扱われてきた。
黒山の主だ、貶めて良いわけではないが、格別礼を尽くすわけではない。畏怖はあるが関わらない。
だが、嫗の話では、山姫は饗応されるもの、福の神としての扱いこそが相応しい。
嫗だけでなく川慈も知っているようだが、自分の──あるいは自分たちの代と認識に差がある。
と。あ、あのう、というおずおずとした声がよどんだ室内の空気を混ぜた。
「小腹、減りませんか? とち餅作ってあるのでよかったら、焼いてお持ちしますが。あの、きな粉とお味噌、どちらが、」
「小色」
川慈が低くたしなめる。
す、すみません、失礼します――小色は小用でも我慢していたのか、立ち上がり、居間を出て行く。
空気が流れ、燭台の火が揺らめき、嫗の影が膨れ上がる。その影絵は、佐合の狼藉を想起させたが、今の嫗は格別恐ろしくはない。嫗を見据えて問う。
「……なぜ、私なの」
「おぬしが今の安是でもっとも光強い娘だから。山一つ燃やし染めるほどにな。山姫は目がよろしくない。光を辿り、山をおくだりになる」
今までに山姫の
田畑で、山路の途中で、娘宿の作業場で、黒沼の草庵で、絡みついていた白銀の糸。佐合の家で出くわした白髪の狂女――阿古。文字通りの紐付け。いや、まさか。
「先夜、〈寒田の兄〉が黒沼に現れて安是の若者が死んだ。早急に山姫をくだらせ、もてなせ。〈白木の屋形〉にあるものは好きに使うが良い。
「どうやって」
「考えよ」
無茶な話だ。〝山姫〟など昔話としか思えない。老人の妄想だ。妄想を満足させる術など知らない。
芳野嫗は、話は終わりだと言わんばかりに立ち上がる。歳のわりにしっかりとした足取りで。川慈は頭を下げ、嫗へ礼を尽くす。
居間を出る寸前、芳野嫗は背を向けたまま言い放った。
「さすれば、佐合のことは不問にしてやる。望むならば、寒田の男もくれてやろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます