4-3検め

 寝所に戻るなり、引き倒された。相手は川慈であり、背後には芳野嫗、小色がいた。

 里人に一斉に叩頭され、彼らが顔を上げぬうちに寝所に連れ戻され、この有様だ。まったく事態が飲み込めない。

 川慈は佐合と背格好が似ている。同年ということもあろうが、なじみであるせいか、立ち昇る雰囲気が同じだ。忌まわしい記憶が肌を粟立たせ、怖気と吐き気を催させる。当然抗い、男の力に敵わず腕をひねられ身動きを封じられ膝をついたところに、こめかみを殴打された。

 ひ、と悲鳴が上がる――小色だろうか――が、狼藉は止まらない。

 妙なものだが、ああ、ここは安是の里だとしみじみと感じ入った。これが〝かすのみ〟の扱いだ。なぜ清らかな寝所で眠らされ、滋養のある食事を与えられ、贅沢な着物に召し替えさせたのかわからねど。

 かすみは手を振りかざす芳野嫗を睨め上げた。その視線に気圧されたというわけではないだろうが、我に返った嫗の手が止まる。

 皺深い顔を近づけ、


「そなた、月水つきのさわりはあるか」


 是否を返す前に嫗は重ねて問う。


「寒田の子を孕んでおらぬな?」


 月のものは、しばらく無かった。だが燈吾の子を宿したというわけではなく、疲労や滋養不足が重なり、止まっていただけだろう。

 答えがどういう結果を導くかわからず、自分自身の身体の把握もできておらず、かすみは黙した。だが芳野嫗はその寸暇にも焦れたのか、さらに頬に一打喰らわせて叫ぶ。


ばばを呼べ、すぐにだ!」


 里で婆と言えば、取り上げ女の一葉であり、かすみの生家とはまた違う方角の里外れに暮らしていた。

 先の広間にいたのか、一葉は瞬きする間に現れた。婆と呼ぶにはまだ若い中年女であるが、取り上げ女はそう呼ぶのが慣わしだ。

 一葉は、夜具の上、締め上げられているかすみの前へ座り込み、


「寝入っているうちにさんざん診たろう」

「子種も眠っておったかもしれん。念には念を入れよ」


 一葉はふん、と鼻を鳴らし、


「オクダリサマの祟りが起きたら、責任はとってくれるんだろうね」

「代わりはいくらでもいる。祟りが起きるようなら縊り殺せばいい」

「あれほど光る娘はそういない。なにせ山一つを燃やした」

「黒沼に問えば、誰もが必死に光ろう。さあ、早う!」


 わけのわからない問答は長くは続かなかった。

 一葉は川慈に命じてかすみの上半身を羽交い絞めにさせ、無遠慮に胸元へと手を差し入れ、這い回す。

 十分な恥辱であったが、一葉はさらに色を見る、開かせろと命じた。何を、と問う間もなく、当然かすのみへの意思確認はない。

 小色がすまなそうな表情で纏ったばかりの紫牡丹の着物に伸ばす手を、身を捩り、畳の上を転がり、避ける。

 この身に触れられるのは物の怪の夫だけ。好き勝手にさせてなるものか。四肢を押さえつけられたなら、他のどこだって使ってやる。咆哮をあげようとしたその時。


「子どもじみた真似はよせ。命が惜しくは」


 分厚い手に口を塞がれると同時に、低く、さやかな声が耳に落とされた。自分を羽交い絞めにしている川慈だ。射殺す眼差しを向けるが、男は動じない。

 怒りのまま、思い切り川慈の手に噛み付いた。しかし、相手はわずかに眉を動かすのみ、それどころか。


 ――大人しくしていれば、俺は目を瞑っていてやる。


 意外な物言いに、まなこの鋭さが鈍った。寝所に男は川慈のみ。女共にだって好き勝手されるのは噴飯ものだが、男はなお。

 かすみはさらに歯を肉に突き立てた。川慈は動じない。表情は歪んだようだったが。

 信じるわけではない。けれど騙される必要があるのならば。命は惜しい。欲しいものがあらばこそ。

 かすみは口元を緩め、抗おうとする手足を意志によって鎮めさせた。



 色にも、熱にも、感触にも、懐妊の兆候は見られない――というのが一葉の見解だった。芳野嫗が四度五度と念押し、一葉はうんざりと答える。

 一応は納得したのか、嫗は頷いた。そして、かすみにではなく、小色に向かって命じる。


「身支度を整えさせて居間へ連れてこい」


 一葉の検めは、佐合よりもずっと手荒で、かすみは憔悴した。嫗の横槍が入り、彼女を納得させるために、普通の里女相手にはしないような検めもあったに違いない。一葉は取り上げ女の長年の経験から限度を知っているだけに、容赦がなかった。

 失礼します、という申し訳なさそうな声音に返答すらするのが億劫だった。 


 簡素な――しかし、娘宿で貰い受ける古着よりは余程上等な縞の着物に着替えさせられ、無人の部屋を横切り、居間へと連れられた。先の検めで心身ともに疲れ果て、起きているのがやっとだった。

 そして小色だけでなく、なぜか川慈までもが付き添っている。仕度の時は襖の向こうで控えていたが、どうやらこの中年男は見張り役らしかった。

 居間は里人が集まっていた広間ではなく、また別の部屋だった。寝所よりも少し広いか。

 待ち構えていたのは芳野嫗だけで他の古老はおらず、入るなり、座れと命じられた。

 奇妙な意心地の悪さを感じた。

 辺りはすでに闇に沈み、里人の気配もない。


「そなたに、もてなしを任じる」


 そう言った芳野嫗の顔は、黒ヒ油の燭代に照らされて普段よりも皺の渓谷が深く刻まれていた。

 もてなし、という音の異質さにかすみは眉をひそめる。


「〈白木の屋形〉が客人をもてなすための屋敷とは知っておろう」


 だからと言って、なぜ、自分が。そもそも安是には油屋以外客人など来ないではないか。問いを挟む間もなく、嫗は続ける。


「そなたは罪を犯した。母親と同じにな。即刻、処刑するのが道理だが、〈寒田の兄〉が現れた。妹姫いもひめが下ったらしい」


 意味はまったくわからねど、寒田と聞かされ、突き動かされるような衝動が走る。

 そんなかすみを呆れ果てるように嫗は嘆息を一つ洩らし、続けた。


「妹姫をはらうには、山姫におくだりいただくより他は無い。そなたには山姫をくだらせ、もてなしてもらう」

「…………?」


 今、山姫といったか。

 咄嗟、思い浮かんだのは佐合の家に現れた阿古だった。いや、阿古は死んだ。幼い自分がやっとの思いで殺したはずなのに。

 山姫は言い伝えだろうに、それをくだらせ、もてなせ? 芳野嫗は惚けているのか。 


「小色と二輔を下働きに、川慈を目付けとする」


 言うが早いが、嫗は立ち上がり居間を出て行こうとする。これ以上、かすみと同じ空気を吸ってはいられない。そんな不機嫌をにじませて。なれど。


「――待って!」


 かすみに視線が集まった。

 そこで自分自身、初めて自ら嫗へ声を掛けたと気付かされる。

 里の暮らしの中、嫗は手を上げはしなかったものの、内心、蛇蝎だかつのごとくかすみを嫌っていた。かすみはかすみでその嫌悪に勘付き、嫗を避けてきた。広間で里人と対面する前、嫗は叩頭したが、それが儀礼的なものだとわかる。

 けれど、芳野嫗は〝かすのみ〟を生かした。〝もてなし〟とやらをしろという。だったら。


「これでは何もわからない。まともに・・・・説明して」


 芳野嫗の糸の眼差しは感情が透けない。だが、こめかみのあたりがぴくぴくと蠢いており、惚けてはないらしい。

 里人は自分を〝オクダリサマ〟と呼んだ。その呼称は耳に覚えがある。娘遊び唄の一節だが、意味がわからない。山姫をもてなすという意味も。そのまま捉えるのか、何かの暗喩なのか。

 そして芳野嫗は一葉との会話で『代わりはいる』と言った。ならば、どうして〝かすのみ〟にやらせるのか。寒田の兄も、妹姫も、意味がわからない――

 助け舟は意外なところから出された。


「……もっともな話だ。嫗、若い安是者は何も知らない。知らされていない。つとめを果たすには、事情を理解せねばならんだろう。気持ちはわかるが、話してやってくれまいか」


 奇妙にも、川慈が言い含めるように語りかけ――嫗は再びかすみの前に座した。

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