10-3
申谷と森山を乗せた瓦礫は二階通路にぶつかり砕け、いくつかの大きな塊になった。二メートル四方ほどに分断された足場のうえで、それぞれ投げ出されないように踏ん張った。
数階分の瓦礫が滝のように落ちていく。
申谷たちがしがみつく塊も、二階からさらに階下への落下を始めていた。
狭く安定しない足場から申谷は機会を伺っていた。大小の瓦礫の雨を隔てた先に森山の姿があった。放り出されないように耐えながらも、男は退路を見つけ出そうと周囲へ視線を飛ばしている。
その姿に申谷は焦燥を覚えた。逃げられる。森山ならどうにか退路をこじ開けて逃げて行く。反発しあう磁石のように埋まらなかった距離を詰めるのはこの瞬間しかない。
「もう少し……」
瓦礫の瀑布は勢いを増していく。
申谷の足場が傾いた。咄嗟に体勢を変えてバランスを取る。投げ出されれば瓦礫の滝に飲み込まれる。焦れる胸の内をあざ笑うように、踏み出すことも、銃を構えることも困難だった。
わずかな距離が縮まらない。
「あと少し……!」
申谷の背後から一陣の風が吹いた。
後ろからやって来た何かが傍らを勢いよく通り過ぎていった。
浮島のように空中に点在する瓦礫を次々と飛び移り、森山までの混沌とした距離をあっという間に詰めて行く。降り注いでくる破片の雨をその素早さですり抜ける。
それは黒革のボディバックを背負い、紺のジャケットを翻した小柄な背中だった。
不安定な足場をものともせず、強く踏み込んで跳躍した。
「絶ッ対! 逃がさねぇぞッ!!」
犬養は叫びながら傷だらけの金属バットを振りかぶる。
森山の表情が固まる。飛びかかって来る犬養に目を丸くした。
唸りをあげて振り下ろされたバットは、咄嗟に躱した森山の身体を掠めた。当たりはしなかったものの男の顔には明らかな驚きと焦りがあった。
「ちっ」
露骨に悪態を吐き捨てる犬養。真っすぐ睨み付ける犬養に対し、森山は煩わしげに眉間と口元を歪める。
犬養は森山と同じ足場に着地した。数歩分の距離を挟んで向かい合う。
男が銃を向けようとした。犬養は身構えようとしたが、その瞬間、足元から突き上げられた。落下する足場が他の瓦礫にぶつかったのだ。森山は衝撃をうまくいなしてその場に留まる。しかし犬養は耐えきれず宙に浮かび上がった。
「ッ!」
吹き抜けへと背中から投げ出される。
森山の視線はその様子を追っていた。唐突に降って湧いてきた脅威が消えるのを見送る、ほんの数秒。意識を前へ戻す。
目前に申谷が迫っていた。
犬養が示した道筋を辿るように、瓦礫を飛び移って来た申谷は、握りしめた右の拳を突き出した。
勢いに乗ったストレートが森山の左頬に直撃。男は足場から吹き飛ばされた。
申谷はすぐさま長い腕を伸ばした。
犬養の右足首を掴み取る。
「悪ぃな、道が壊れたんで迂回してたら遅くなっちまった」
逆さまの宙吊りになりながらも犬養は陽気だった。
「けどパーティにはギリ間に合ったんじゃねぇかな?」
周囲は崩壊を続けている。無数の大小の瓦礫が様々なものを巻き込みながら流れ落ちていく。状況に全くそぐわない、溌剌とした表情で笑う青年を見て、申谷も鼻で笑った。
「そうだな。良いところに来てくれた」
犬養を引き上げる。そしてふたりは同じ方向へと鋭い視線を向ける。
申谷に殴り飛ばされた森山は、別の瓦礫に着地していた。右頬は赤くなり、鼻血を親指で拭っている。それでも目の焦点ははっきりとしていた。申谷たちの視線を真っ向から受け止めている。拳が当たる瞬間後ろに下がり、ダメージを減らしていたことは申谷も手ごたえで気付いていた。
眼差しを切っ先として突き付け睨み合う。
瓦礫は一階を過ぎさらに地下へと落ちていく。
最下層の地下二階には水面が広がっている。中央には円形の広場があり、そこから四方に伸びる通路は取り囲んでいる建物内へと続いていた。広場には賑やかさの名残として、数台の木製のワゴンやガーデンテーブルが取り残されている。
降り注ぐ瓦礫が水上を激しく叩く。膨れ上がった波が広場へと打ち付けた。荒々しい白波とともに吹き付ける風が擦り切れたワゴンの幌をはためかせる。深い水の匂いが風に乗って吹き抜けを駆け上がる。
次々と瓦礫の塊が水面に突き刺さる。
水柱が高々と跳ね上がった。太い幹を持った白い大樹のように、吹き抜けの先に見える空へ向かって伸びあがる。
飛び散った水滴が崩れたフロアや通路を濡らす。力強く波打つ水面が広場の床を舐めていく。濡れた石畳に降り注ぐ水滴が無数の波紋を描いた。
水面に戻ろうとする水柱のなかから、人影が飛び出した。
森山は瓦礫を飛び石代わりにして中央の広場に駆け上る。動くたびに髪や衣服から水が飛び散った。
水の壁を割って走り出した申谷が森山を追う。その後を犬養が続いた。びしょ濡れでも意に介さない。なだれ込むように広場へ駆け込んで行く。
森山は広場半ばに放置されたワゴンの影に滑り込んだ。
それを見て申谷と犬養も動いた。左右に分かれると、申谷は車輪のとれた傾いたワゴンのそばに、犬養はひっくり返ったベンチの影に、それぞれ飛び込む。刹那、ふたりが立っていた場所に銃声とともに火花が跳ねた。
「このパーティ、ウエルカム花火飛ばしてくんのな」
銃声が途切れると犬養が飛び出した。斜め前に向かって走ると、広場の縁にかかった瓦礫へとスライディングで到達する。
「当たると良いコトあるよ」
森山の意識が犬養の動きに引っ張られる。
その一瞬を狙った申谷の応戦。気づいた森山は身体を竦めるようにして物陰に引っ込んだ。目標を見失った弾丸がワゴンを抉る。
すぐさま申谷は銃を構えて前進していく。
合わせて犬養も走り出した。飛ぶように速く、広場の半ばまで駆け込んで金属バットを振りかぶる。銀色の尾を引く軌道が、野ざらしにされていた木製のワゴンを叩き割る。砕けた木片が飛び散った。
散乱する残骸のなか森山が転がり出た。後転を繰り返して犬養と距離を作ろうとする。
詰めていた申谷が素早く銃口を向ける。
石畳を転がる森山がガーデンテーブルの脚を掴んで引き倒した。横倒しになったテーブルの天板が盾となり銃弾を防ぐ。
犬養が追撃に動く。だが、走り出した瞬間を狙って森山がイスを蹴り飛ばした。石畳を滑るように突っ込んで来たイスが踏み出した足元に絡みつく。
「ッ」
勢いよく前のめりに投げ出された。身体が宙に浮く。視界の上下が入れ替わる。
それでも犬養は空中で身体を捩ると、金属バットを高く投げ上げた。
「使え!」
テーブルに身をひそめる森山が息を吞むようにして視線を上に向けた。傾いた太陽の光が銀色に反射する。男は反射的に目を細めた。
崩れた石積みの花壇を駆け昇り、跳躍した申谷が空中でバットを掴み取る。
「借りるぞ」
バリケードとなったテーブルを飛び越え、相手の頭上を取る。
森山が銃を向けようとしたが、申谷がバットを振り下ろすほうが早かった。手元から叩き落とされた銃が石畳に跳ね、広場の縁まで滑っていく。
「……ッ」
右腕を押さえながら森山の顔に浮かんだのは、自嘲めいた薄ら笑いだった。
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