薄汚れた雑居ビルの二階を見上げると、ゲームセンターの看板が掲げられていた。

平日の午前中でまばらに人が行きかう通りに、店内の音が漏れて降り注ぐように聞こえて来る。


犬養が階段を昇ろうとすると、それまで黙っていた申谷が唸るように口を開いた。


「この街に来てから二日経過しているが、こういうところに来てばかりだ」


言葉以上の渋面を浮かべて、巨体でのっそりと階段を昇って来る。階段は狭く、ポスターが貼られた壁に申谷のトレンチコートの肩口が掠りそうだった。

退路を塞がれたような圧迫感を感じながら、犬養は肩をすくめる。


「ゲーセンとかパチ屋とかな。しらみつぶしに回ってんだ、我慢してくれよ」


階段を昇るにつれて漏れて来る騒音が大きくなる。


「今回も知り合いを見つけて談笑して終わるのか?」


「たしかに決定的な情報にはまだ当たってないよな。けど知らない連中に声をかけられたとか、友達がかけられたとか、そういう話はいくつも出てきてる。あんたの襲撃に関わった連中の仲間がまだこの街にはいるってことだ」


背後からちくちくと棘のある視線を感じた。


「焦りは禁物だぜ。情報は生き物だ、慎重にいかないと逃げだすんだ」


申谷からの返事はなかった。


二階店舗の扉を押し開けながら、犬養は内心で盛大なため息をついていた。

堰き止められていたものが流れ出すようにせわしない騒音が聴覚を塞いでいく。ゲーム機の電子音や店内の音楽、排出されたコインのじゃらじゃらという様々な音が束になって、店内でとぐろをまいているようだった。隣に立つ申谷の気配ですら、その騒音に押し流されてわからなくなってしまいそうになる。


密かに見上げると、彼は眉間に険しいシワを浮かべて、店内を睨むように見回している。

二日行動を共にしてきたが、それ以外の表情を見たことがない。

堅牢に築き上げられた鉄壁のように揺るがない。

思うように成果が得られない苛立ちやもどかしさが、申谷の表情をそのように固めてしまっていた。


彼の滞在先は五階建てのスターフィッシュ本社、居住階の一部屋に用意されている。犬養や所長の牛尾も同じ階で暮らしている。

周囲が寝静まるのを待って、申谷が真夜中に街へ出て行ってしまうことに犬養も牛尾も気づいていた。情報を求めて動き回った先で少なからず衝突して騒動を起こしているというのも、犬養の耳に入ってきていた。


さらに大事になるまえに指摘したいが、しかし、眉間のシワがまったく消えない申谷の様子を見るに逆効果になりそうな気もする。


彼が単独で出て行くのは、犬養だけでなく便利屋スターフィッシュを信用できないからだ。


「うーん」


息をつくふりをして、犬養は唸った。

依頼人からの信用は行動でしか得られない。


それと同じぐらい悩みの種になりそうなのが、申谷の顔色だった。満足な休息を取らないまま昼夜動き回っているせいで、疲労だけが蓄積しているのが一目でわかる。


ぎらぎらと電飾を輝かせるスロットの前を抜けて、エアホッケー台のそばを通る。店の奥に数十と置かれた筐体のイスに座り、たむろしている若者たちがいた。

パーカーやスウェット姿にまぎれて、制服姿の少年もいる。


「あ、犬養さんだ」


ひとりが顔をあげると、少年たちは次々と振り返って声をあげた。


「あー、いぬさん。おつかれっす」


犬養は「おっす」と笑顔を浮かべて、彼らの輪に近づいていった。申谷はスロットの前に佇んで、店内を鋭い目で見まわしている。かたわらを店員が、まるで猛獣のそばを歩くように動きを押さえてゆっくりと通り過ぎて行く。いまにも飛びかかられるかも知れないという恐怖が店員の顔にありありと浮かんでいた。


「学校はどうしたよ」


制服を着崩した少年は「えへへ」と誤魔化すように笑っている。筐体にもたれたその足元にはカバンが置かれていた。


「今日はパスです」


「先生に見つかんなよ」


笑い声が騒音を押し返すように響き渡る。

スウェットの少年がまるで親しい相手に見せるような笑顔で犬養をみあげている。


「仕事っすか?」


「まぁな。なんか変わったことは起きてないか?」


少年たちは互いに顔を見合わせて「なんかあったっけ」と言いあっている。すると缶ジュースを手にしたひとりが、思い出したように声をあげた。


「いわっちとか、なんかあるんじゃないかな。最近ちょっと変みたいなんだ」


犬養は輪になっている集団をぐるりと見渡した。


「今日は一緒じゃねぇのか」


「いまトイレ行って――」


店内の騒音を弾き飛ばすような怒号が響き渡った。


「待て!!」


少年たちが飛び上がった。小動物のように身体を跳ね上げると、目をまん丸にして振り返る。


犬養は怒鳴り声が聞こえて来た方へ素早く視線を向けた。

申谷がその巨体に見合わぬ機敏さで駆け出していた。彼が睨みつける先には学生服姿の少年がいる。表情を引きつらせて、背後を振り返りながら逃げていく。


「い、いわっち!」


少年たちが上ずった声で仲間の名を呼んだ。イスを蹴立てて立ち上がる。


彼らより一瞬早く動き出した犬養は、筐体に飛び上がると、そこからエアホッケー台に飛び移った。台の上を滑り抜けて反対側に着地する。疾走する申谷の真後ろをとった。


追いかけられた少年はがむらしゃらに店内を駆け抜けると、非常口の扉に飛びついた。蝶番の軋む音を響かせて冷たい風が吹き込んで来る。

続く申谷の体当たりで扉が弾かれるように勢いよく開いた。

非常階段を転がるように下って行く少年は踊り場に達していた。少年の足音に申谷のものが加わり足音が入り乱れる。そして犬養の靴音が追いかけていく。


店内のこもったような騒々しさに慣れた頭に、外の喧騒はひそやかで物静かなものに聞こえて来た。解放された空気が耳にまとわりついた騒音を吹き流していく。

最後の数段を飛び降りた少年は、隣接するコインパーキングに逃げ込んだ。


犬養は踊り場の手すりを乗り越えると、飛び降りた。

着地の衝撃を前転で受け流す。勢いで立ち上がると、すぐ目の前に半泣きになった少年がいた。突然、飛び降りて来た人影に、白くなった顔を引きつらせていたが、それが犬養だとわかると、いまにも大泣きしそうなほどぐしゃぐしゃな顔を浮かべておぼつかない足取りですがりついてきた。


「い、犬養さんっ。助けてください、なんか、怖い人が追いかけて来てっ」


階段から降り立った申谷が、犬養の背後にやって来ていた。

犬養は少年を後ろにかばいながら申谷と向かい合う。

高いところから冷たい視線がそそがれる。そびえたつような圧迫感と威圧感が犬養の頭上から容赦なく降り注いでくる。おだやかな感情を捨て去ったような険しい表情だ。彼の手には銃が握られていた。


「待てって。いきなりどうしたんだよ」


申谷は壁のように立ちふさがっている。

一方で犬養も頑としてその場を動こうとはしない。


「私を見るなり逃げ出した。なにかを知っているのではないか」


「トイレから出てきたら、睨まれて……怖くて、目を逸らしたら、こっちに来てっ。絡まれるって思ったから逃げなきゃって……」


少年は背中に庇われたまましゃくりをあげている。


「そんな怖い顔してたら、さすがの俺だって逃げ出すっつーの」


犬養は怒りもあらわに眉間とあごにシワを作って睨みあげた。


「早くソレをしまってくれ。そんで、十数えてちょっと落ち着いてもらえるか」


申谷は眉間に亀裂のようなシワを刻んだまま、動こうとしない。

涙を浮かべる少年が被っている偽装の皮を剥がそうとでもするように、じっと顔を向けている。無言のまま突きつけられる鋭い眼差しに、少年は小さく悲鳴をあげて犬養の背中に隠れて縮みあがった。


手にした銃を仕舞おうとしない申谷に対して犬養は、下唇を噛んだ。

どんな言葉も跳ねのけてしまう、固い殻で包まれたような真剣なまなざしをした申谷の瞳には冷たいものがくすぶるように燃えている。激情を圧縮して押し固めた感情がぎらぎらとその眼差しにちらついていた。


焦る気持ちと苛立ちがこじれるように混ざり合い、彼の導火線は極めて短くなっている。

おそらく、この街に来る前から積み上げられた疲労に、じりじりとした気持ちが火を着けてしまっている。

相手を選ばすどこでも爆発してしまう爆弾のような危うさがあった。


「……あんた、自分で思ってる以上に疲れてるだろ。一端切り上げて、事務所に戻ろうぜ」


「必要ない」


「あるから言ってんだ。わかんねぇかな」


切って捨てるような申谷の物言いに、犬養は怯まない。

思いやりの欠片もない凍えた眼差しが向けられても、真っ直ぐに相手を見返す。


「自分の身体だ。他人にどうこう言われる筋合いはない」


「それなら言われるようなことしてんじゃねぇよ。夜だってちゃんと休まずに動き回ってるから感情優先になってトラブル起こしてんだろ。休息は時間の無駄じゃないっつってんだろ」


犬養の言葉の端々からにじみ出ている感情を、鬱陶しそうに手をはらった。


「口うるさい説教も仕事のうちか? 聞いてやる義理はない」


言葉を重ねて行くごとに申谷のまなざしは険しさを増していく。


「私はいままでずっと単独で小日向を追ってきた。知らない街だろうが案内などなくても行動出来る。ひとりで動ける身軽さと静けさが懐かしく思う」


犬養の背後では青い顔をした少年が成り行きを伺っている。


「牛尾正美女史に押し切られる形で便利屋を紹介されたが……、彼女のことをどうこう思いたくはないが。正直、余計な時間とストレスしか感じない」


互いに互いを睨みつけている。


「そうだろうな、誰かと足並みそろえるなんて、あんたには難しそうだ」


鼻を鳴らすように息をついて、犬養は片方の眉を持ち上げた。


「いままでもこんな無茶をしてきたのかよ。手順無視して、泣きべそかいた子供追っかけまわして。しかもただの早合点だ。落ち着いて考えりゃ、もっと別のスムーズな手段もあった。焦り過ぎだぜ、あんた」


「……焦りもするさ」


低く静かな声で申谷は吐き捨てる。

零度の冷たさを持った双眸に鋭さが増した。刃物を喉元に充てられたように、ひやりとした空気が肌を撫でる。相手を見上げたままの犬養の背筋を寒気が走った。


「俺はあの男を一秒でも早く殺さなければならない。いまこの瞬間をのうのうと生きているかと思うと殺意で気が狂いそうになる」


眉間に深いシワを刻み、嫌悪を露わにして口元を歪めている。怒りや苛立ちを磨り潰したような、たっぷりと憎悪を含んだ言葉が吐き出されて行く。


「だというのに、前に進めない自分自身への苛立ちに燃え尽きてしまいそうだ」


申谷は靴音を鳴らして近づいていくと、腕を伸ばし、犬養のジャケットの衿を掴んだ。


「またこれか」


犬養は露骨に表情を歪めて舌打ちをついた。


「遊びじゃないんだ」


ぎゅっと音がするほど衿が握りしめられた。眉間と目元に刻まれたシワには怒りと疲労がまざりあっていて、くまでくすんでいる。目の前のものすべてに向けられる敵意のような眼差しが叩きつけるように注がれていた。


犬養はその視線を一瞬も逸らすことなく睨み返す。衿を捉えている腕を掴んだ。


「遊んでるつもりなんかこれっぽっちもねぇよ」


そしてその手を払いのける。

腕を引いた申谷は、かわらぬ冷たく燃える瞳で犬養を見下ろした。

その眼差しを真っ向から受け止めた犬養は、自らが口にした言葉を曲げぬよう相手のことを睨み返した。火花が散るよう眼光がぶつかりあう。


息が詰まりそうな重苦しい沈黙を、非常階段から聞こえて来た足音が壊していく。少年の仲間たちが一塊になって下って来る。心配する声を次々に投げかけて、騒々しくなる。


「……時間の無駄だった」


そう吐き捨てて、申谷は銃をコートへとしまいこんだ。

その腕が懐から引き抜かれるのを確認してから、犬養は少年を振り返った。ジャケットからポケットティッシュを取り出して差し出した。


「ごめんな。悪かったな」


「あ。う、ううん」


少年はそれ以上の涙を堪えるようにぐっと下唇を噛んだ。ぐすぐすと鼻をすすると受け取ったティッシュで目元を拭った。


申谷は何も言わずに通り沿いの歩道へと向かってた。すでにその背はコインパーキングの出口にあった。

犬養は軽く舌打ちをして、こんがらがった感情が詰め込まれた広い背中に向かって歩き出そうとした。


「……あの、犬養さん」


おもむろに少年が犬養のジャケットを引っ張った。


「じつは、ちょっと、聞いてほしいことがあったんだけど」


階段を下りて来る仲間たちをちらちらと伺いながら、もごもごと言葉を口にする。


「その、だれにも聞かれたくないから。できれば誰もいないときが良くて」


犬養はすぐさま頷いた。


「わかった。じゃあ夕方はどうだ」


「うん、それで」


泣き腫らした少年のもとに仲間たちが集まって来た。見慣れた友達に囲まれて安心したのか、彼の顔には血色と笑みがもどってきていた。しかし目元と鼻は赤く、頬には涙が乾いたあとが残っていた。

犬養はそっとその場を離れた。

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