第6話 告げ口



 コーデリアの幸福に影が差した。

 シェナ王国の慣例として、婚約発表をしたその夜から、王宮に部屋をあてがわれて一人で住むようになったのだが……


(とたんに王太子様の態度が冷たくなった。まるで愛というろうそくの炎が消えてしまったかのように)


 そんなはずはない、と頭では思っても、彼の目の中に、どうしても温かい感情を見つけられない。

 不安になって、二人きりで食堂にいるときに、彼女は訊いた。


「ねえ、殿下?」

「何?」


 王太子の態度は、明らかに面倒くさそうだった。


「あの……どうして私を選んで下さったんですか?」

「顔」


 王太子は一言で答えた。いちばん短い単語を選んだのである。

 しかし、かつてはその返事でも、コーデリアは喜んだだろう。結婚の決め手としては薄い理由だったが、その武器で王太子の気を引くことが、そもそもの狙いだったのだから。


 だが今は、そっけない返事に怯えるばかりである。婚約破棄の空想が、現実になりそうな予感がして仕方なかった。

 婚約発表をした三日後、王太子はゲップした。


「ちょっと濃すぎるな」


 それは独り言だったが、意味は「こいつの濃い顔にも飽きたからそろそろ始末するか」ということだった。


 ところでジェイコブ王太子はコチコチの女性差別主義者だったが、欲望の捌け口としての女性は大好きだった。

 だから、コーデリアがいてもお構いなしに、ちょいちょい後宮に行った。そこに住まわせている女官を抱くためである。


 後宮での王太子の嫌われようはひどかった。なんせ王太子は、女性を人と思っていない。猿と同じに思っている。だから相手の感情などにはお構いなく、気まぐれに被害者を決めた。


「どれにしようかな、天の神様の言うとおり……よし、今日はお前だ」


 彼が帰ったあとの後宮では、長くすすり泣きの声が聞こえた。


「女の顔や身体を見て、香水を嗅ぎ、女の声を聞くと元気が出る。国の王太子が元気なのは、国民にとっても喜ばしいことだ」


 後宮から帰ると、コーデリアに対してわざわざそんな言い訳をした。

 むろん彼女は気づいていた。鼻を刺激する女の香水の匂いに。


(最悪だ。婚約三日で堂々と浮気するなんて。「美人は三日で飽きる」という格言が、王太子様と私のケースに、無情にも当てはまってしまったのね……)


 理想とはかけ離れた現実に、コーデリアは失望し悲しんだ。けれども、独裁国家の王の息子に、女遊びを禁止させる方法はない。普通に考えて、それはするだろう。だから、「は? 何してくれてんの?」とは思っても、グッとこらえた。まさか口喧嘩などをして、婚約破棄にでもなったら目も当てられない。


(我慢よ、我慢。親孝行のため。この婚約期間を乗り越えたら、正式に王太子妃になれるのだから)


 ところが事態は、急速に悪化した。


 彼女が自室で浮かない顔をしていたとき、コーデリアに付けられた女官のエリナが、突然近くに寄ってきて言った。

 

「ねえねえ、奥さん」


 まだ結婚していないのに、エリナはコーデリアをそう呼ぶ。


「コーディでいいのよ、エリナ」

「奥さん、旦那さんね、悪いことしたよ」


 浮気のことだろう。王太子の秘め事をあっさりと婚約者にバラすとは、エリナも口が軽い。が、それだけに、コーデリアは彼女を味方につけたいと思った。自分の親族が一人もいない王宮で、捨てられそうな不安と戦っているコーデリアは、スパイのように情報を教えてくれる存在が欲しいと思っていたのだ。


「殿下が、何か?」

「ランに、奥さんと婚約破棄して、お前を娶るって言ったんだよ」


 爆弾級の衝撃。

 頭がクラクラする。しかしまだ、心の半分くらいでは、下手に大騒ぎをしなければ元の鞘に収まると信じていた。


「あ……ありがとう、エリナ。とっても言いにくいことを教えてくれて」

「あたし、奥さん好きだからさ。すっごくきれいだし、憧れちゃう。でも旦那さんは嫌い。サディストのクズ。あんなのが、次の王様になっちゃ駄目だよ」

「シッ! 聞こえたら、恐ろしいことになるわよ」

「ねえねえ、旦那さんの弟の、第二王子に鞍替えしたら? あっちの王子様は、旦那さんと違ってちゃんとしてるって。国の将来のことをすごく考えてるんだってさ」

「王太子殿下も、きっと深く考えておられますよ」

「全然、全然。女を抱くことしか考えてないって」


 自分より若い女官の言うことが、どうも真実を突いている気がした。


「あ、でもね、弟のレオ王子様は、女嫌いで有名。だから相当頑張らないと、ハートはつかめないよ。いや、やっぱり奥さんの美貌なら無双か。なーんて」


 レオ第二王子は、後宮でも女嫌いと信じられていた。しかし繰り返すが、それは真実ではない。内面の美しい女性には、彼も心を惹かれるのである。


(鞍替えか……)


 コーデリアは、空中に浮かんだ第二王子の顔を、手を振って急いで消した。


(とにかく、王太子様の移り気は許そう。今は辛抱して、大騒ぎをしないこと。だって相手はただの女官ですもの。慌てず騒がず、王太子妃の座をしっかりとつかむのよ、コーデリア)


「ところでエリナ、そのランというのは、どんな女性?」

「あ、知りません?」


 エリナは目を輝かせ、


「後宮一の美貌の、毒見役の十四歳の少女ですよ」


 あっという叫びが、コーデリアの口から洩れた。


 まさか、毒見役とは!


 毒見役。

 賤役(せんえき)である。

 賤しく禍々しい「解毒の術」を体得した一族の女。

 身分的には奴隷と変わらない。それこそ王太子が蔑み、餓死しても構わないと公言している農民たちとも。

 

 ではなぜそんな奴隷の少女が、后妃(こうひ)や女官の住まう後宮に大切に囲われているのか?

 そこにはシェナ王国の、暗い物語があった。

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