13 星の追憶

 金属の取っ手の冷たさが手のひらに伝わったその瞬間、蠟燭に橙が灯った。

 右も左も天と地もわからない黒い世界に燭台を翳し、あたりを見回す。


 ――ここはどこなの。


 漠然とした不安に心を奪われて、つい手元への注意が散漫になってしまっていた。振り返ったその際に蝋燭が中ごろから折れて落下する。小指の先ほどだった火が瞬きの間に燃え広がり、視界のはるか先まで黒が赤に塗り替わる。


 ――またこの景色。


 物が燃える音も、こんな景色も嫌になって、あたしは目を閉じて耳をふさぎしゃがみこんだ。


 ――もういいの。あたしは一人でいい。わかってるから、だから……もうやめてよ。


 胸の内で幾度となく唱えた言葉をまた思う。


「だいじょうぶですか。千歳さん」


 突然聞こえた声にびっくりして顔を上げると、あまりの眩しさにかぶりを振る。


「疲れちゃいましたか?目的地はもうすぐそこですよ」


 ゆっくり目を開けると、あたしをのぞき込む阿朱羅の蒼い瞳に呆けた顔が映りこんでいる。

 葉擦れの音がしてようやく、今の状況を思い出した。

 西館所属の初日に非番の阿朱羅と出かけていたんだった。どこへ行くのかははっきりと言われず、王都から離れた森の奥までやってきたわけだけど……


「そろそろどこに行くのか教えてくれない?」


 休憩を終わりにして、立ち上がり、また阿朱羅の後ろについていく。


「ここです」


 永遠に続くかと思われた山道の中、大きな樅木もみのきの陰に洞窟が隠されていた。

 中に入り、歩みを進めると、暗闇はすぐに終わり、壁から突き出した様々な大きさの透明な結晶たちが優しい白い光を放つ。感嘆のため息をついて、宙に漂う光の粒を追いかけるのに夢中になった。


「どういう仕組みなのかは未だにわかっていませんが、この洞窟は訪れたセイヴァーの魔力に影響されて、光の色が変わるんですよ。今俺たちが見ている光は俺達二人の魔力を映し出しているんです」


 阿朱羅の手が結晶に触れると、光は金色と青色の眩い輝きに変わる。漂う光の粒も太陽のように燦燦と輝いて、真昼の屋外にいるかのように感じられる。

 真似して触ってみるように促されあたしも手を伸ばそうとしたけれど、何が写しだされるのか、怖くなってひっこめた。


 あたしの中にある魔力……それはきっと


 後ずさったその時、靴が結晶に触れてしまった。

 止める間もなく世界が塗り替わる。


 脳裏に焼き付いている赤い景色が広がる。頭痛がした。首の傷がズキズキ疼いて、息苦しくて、肌に感じる熱が不快だ。

 洞窟全体の赤い光が風に吹かれた炎のように揺らめいて、喉の奥から笛のような音が鳴る。鼓動が早鐘を打つ。あの日をなぞるように自分の両手を視界に映していた。


 震える腕に纏わりつく赤い赤い炎。


「あの日も思ったんですか」


 痛いくらいの視線を感じている。顔を上げられない。


「切っ先を向けられて、助けてって」


 切っ先……そうだ。

 リントが席を外している間に、今年の試験の不正の噂の話が耳に入って、万場莉々と口論になって、剣を向けられた時、あたしは……


 全てを思い出した。西館のみんなと過ごしてきた日々、そして今、あたしが部屋に閉じこもっているはずだということ……

 弾かれたように顔を上げ、視線が交わる。


「あなたが必死になって隠したかったものはそれなんですね」

「なんで全部知ってるようなこと……それに、ここはどこなの」

「ここは俺の夢の中です。そしてあなたの夢でもある。俺たちはお互いの夢を行き来している状態にあります」


 さっきまで、長い長い悪夢を見ていた。忘れたくても忘れられない、燻り続ける過去の記憶。


「見たの……あたしの夢……全部」

「はい」


 どうしては声にならなかった。怒りなのか、悲しみなのかわからない。ただ、涙が頬を伝った。立っていることができず、膝から崩れ落ちる。


「……こんなところまでこないでよ」


 誰にも知られたくなかったから、遠ざけたのに。無理に暴くような真似をされて、混乱して、出したことがないほどの大きな声が出た。


「言ったでしょ……ほっといてよ!火が止まるまで一人にしてよ!助けを求める相手がいなければ、一人だって思えば、止まるから!」


 差し伸べられた手を焦がしてしまう、ひどい力なのに、気がつかないで二度も大切な人を失ってしまった。


「あたしの逆鱗マレディクシオはみんな燃やしてしまうの……これが証拠」


 首のスカーフを解いて見せた。ウルーズ荘の火災事故のあと、左側についていた酷い火傷。人とは違う、セイヴァーの並外れた治癒能力をもってしても、色あせない生疵なまきず


「何年も何年も消えないこれがあたしの魔力の正体。だから一人にして!あたしは……あたしはみんなの横に……いられない」


 信頼して、視線を交わして、横一列で戦う部隊にあたしは相応しくない。醜く恐ろしいものをひた隠しにしている。一点の曇りもない白になるのは怖いだけ。


「お願い。夢から覚めても逆鱗マレディクシオだって言わないで。たくさんの人を傷つけてきたのは事実だけど、もう二度とあんなことにならないようにするから」


 俯いて見る場所があたしの世界の全て。悲劇が起きてしまうのなら、一人きりでいるだけ。誰もいない……


「あの黒い世界に戻る気ですか。たった一人で」


 心の中を見透かしたかのような言葉に驚き、目を見開く。


「もう二度とあそこには行かせない」


 踵を鳴らす音が反響する。近づいてくる。


「来ないで」


 構うことなく踏み込んでくる。


 ――だめ。来ないで。阿朱羅が燃えちゃう……


 震える両の手を抱え込んで後ずさり、逃げようとしたその時、立ち上がる寸前で肩を掴まれ体勢を崩し、再び膝をつく。強い力で腕を引きあげられ反射的に叫ぶ。


「離して!」


 目の前で今燃えていたら。全身に火傷を負っていたら。

 悪い想像ばかりが浮かんで、目を開けられなかった。ただ必死に腕をつかむ手を振り払うおうとするけど、決して離れず強い力で捕らえ続けられる。


「お願い、目を開けてよく見て。俺は燃えてないよ」


 火花がはじける音とは反対にその声は凛然とした響きを持っていた。震える瞼を持ち上げる……


「なんで」


 赤い腕を掴む骨ばった大きな手は燃えていない。白い肌は確かに火の中にあるのに。


「どうしてあなたの逆鱗マレディクシオがおさまらないのかわかりますか」


 何が起きているのかわからず、黙っているあたしに阿朱羅はそう問いかけた。

 わかるはずない。すぐに首を振る。


「俺はわかります。スカーフを握って俯いてるとき、あなたがどんな顔をしてるのかよく見える場所にいたから」


 その言葉の意味を聞こうとして、また目が合った。真剣な蒼い瞳にあたしの表情が映る。初めて自分がどんな顔をしているのかが見えた。


「ずっとずっと、助けてって言ってるんです。だから、その火は消えない。誰かに気がついてほしいから」

「そんなこと、思ってない」

「そんな顔で言われても信じない……もういいから。本当のことを聞かせて」


 また見透かしたようなことを言うから、胸が苦しくなって、うまく息ができなくなる。押さえつけてきた何かがせりあがってくる。


「あなたの話を……聞かせてください」


 そっと撫でるような声音で、穏やかな笑みを向けられて、堰を切ったように泣き出してしまった。うまく言葉を話せない。

 だけど、握る手はあたしの言いたいことを全て受け止めてくれるような力強さと優しさがあって、心の中に密かに宿していた諦める理由やき続けてきた嘘が漣漣と、涙と一緒に流れていく。


「俺は綺麗だと思いますよ。温かくて……優しくて……心地いいばかりです」


 赤い洞窟を見ながら、阿朱羅はそんなことを言う。ずっと忌むべきものだと決めつけていたものにどうしてそんな言葉が出てくるのか不思議で、また涙が止まらなくなる。


「やっぱり、千歳さんは最初から逆鱗マレディクシオじゃないですよ」


 そんなわけないと首を振って訴える。だって、自分で出そうと思って出るものじゃない。制御できない魔力の暴走なんだから。

 わかっているというように阿朱羅は頷いて続きを話す。


「似て非なるもの。制御できない魔力の暴走ではあるものの、術者も周りも傷つけない……まるで静かな祈りのような……静祈エージス・パージとでも言いましょうか」

「そんなこと、だって」

「確かに、火は物を燃やすことができます。家や人の命でさえも灰に変える恐ろしい側面があることは事実です。けれど、こんな風に暗闇を照らすことができる光も火です。前者を逆鱗マレディクシオとしたとき、あなたの中にある力は後者のような、人を傷つけるようなものではないんだと思います。

 そうじゃないと説明がつかないんですよ。シューラさんが生きていた理由が」

「どういうこと」

「思い出してください。彼は千歳さんの意識が戻るまで生きていました。あの数の魔物を相手にしたのにです」


 記憶にあるのは、あたしを落ち着かせるように必死に呼びかけるシューラの声と激しい火柱、そして自分の燃えた手のひら。


『……わかってるよ。全部』


 あの言葉は、危機を迎えて混乱した時、逆鱗マレディクシオを発現させてしまったあたしを許す意味のものなんだと思ってた。だけど……

 硝華は言ってた。お母さんのお腹から生まれてくるときに周りの人を死なせてしまったって。あたしはあの時、シューラに抱えられてたのに……

 シューラは死んでなかった。夜まで、あたしと話す時まで生きてた。


「これは俺の推測ですが、あなたは静祈エージス・パージによって火を起こし、シューラさんの危険を他のセイヴァーに知らせたんだと思います。

 ここに助けが必要だとその力で精一杯叫んだ。

 そして応援が来た。だから彼は生きていた。

 彼が命を失った理由は千歳さんの火ではない。恐らく左腕の怪我です。戦いの中で傷ついてしまったんだと思います」


 左腕、そう聞いて頭を撫でてくれた時を思い出す。あたしを撫でる手は確かに右だった。シューラは頑なに左腕を見せなかった。ずっと布団の下にしまっていた。瞼を閉じる瞬間まで、大丈夫だよって平気な振りをしてた。


「じゃあ……あたしは、ほんとに……」


 誰かシューラを助けてってあの時、確かに思ってた。

 戦いによって命を失ってしまったのは変わらないけど、あたしはあの時、できることをしていたの……シューラの助けになれていたの。

 だけど、頭によぎるウルーズ荘の火災事故。あれは……誰がつけたものなの。全てを燃やしていくあの炎は、あたしがつけたものじゃないの。

 自然と火傷痕に手が伸びる。でも、その手は再び阿朱羅に捕まえられた。

 蒼の瞳はあたしからそらさずに、躊躇いなく、燃えた手を自分の頸筋に押し当てる。

 皮膚は焼けない。指先に体温と脈を感じるだけ。


「全部あなたの所為じゃない。わかりましたか」


 恐る恐るだけど確かにあたしは頷いた。頷けることがただただ嬉しくて、いつの間にか涙は止まっていた……手のひらの炎は未だ燃え続けているけど。


「これは……どうしよう。どうすれば止まるの」

「なら、俺に良い考えがありますよ」


 いたずらを思いついた子供のように笑うと、立ち上がってすぐに手を掴んで走り出す。段々と速くなって、いつしか風のような速さで、白い光に変わった洞窟の中を駆け抜けていく。


「いきなり何!!?」

「いいから!息を止めてください!」


 洞窟の出口が見えた。ぐんぐん近づいて、そのままのスピードで外に飛び出す。わけが分からないまま体が落ちていく感覚に驚いていると、大きな水音を立てて、全身が水中に沈む。

 暗い暗い水の中から反射で顔を上げ、息継ぎをする。そして、広がる光景に言葉を失った。

 金と赤の流星がいくつも流れる満天の星空、天の川がはっきりと銀色に見えて……


 どうしてだろう。心が震えている。


「……火が消えないなら、こんな風に水遊びすればいいんじゃないですか?」


 濡れた黒髪の隙間から覗く端正な顔は、そういって子供みたいに無邪気な笑みを浮かべる。

 その顔を見た時、鼓動の音がやけに大きく響いた。

 夜の湖も星空も目の前にいる阿朱羅の姿も全てが


 どうしてこんな気持ちになるの。どうしてこんなに胸がいっぱいになるの。


 この瞬間をずっと待ちわびていたような気がする。そんなわけがないのに。

 阿朱羅とは知り合ったばかりなのに。


「気の持ちようはこんな風に単純でいいんです。だいじょうぶですよ千歳さん」


 心の奥底に届く言葉だった。欠けたものがうまったような……はっきりと火が消えたような感覚がして、あたしの全身に流れてる魔力が今はとても近くに感じられる。

 油断してると顔に水をかけられた。

 あたしも負けじとやり返す。

 岸にも上がらず、湖の真ん中で子供みたいなことしてるのがおかしくなって、あたしたちはどちらからともなく笑いだした。


「夢の中だとは思えない。泣いて、笑って、はしゃいで……こんな時間久しぶりに過ごした」

「楽しかったですね」


 力を抜いて水面に浮かび上がる。こうしてると星空が良く見えた。


「ねぇ阿朱羅……あたし良いセイヴァーになりたいの。どんなピンチでも切り抜けられるような、絶対に誰かを助けられる。そんな騎士」

「なれますよ。絶対に……ゆっくりでだいじょうぶです 。周りと違ってもだいじょうぶです。強がらなくても、無理しなくてもだいじょうぶ 。頑張りましょう」


 やっぱり不思議。落ち着く透き通った声で言われる大丈夫と頑張れは今までの足跡も丸ごと認めてくれて次に繋げてくれるような心地がして、前を向ける。


「あなたを信じています」


 白い光に包まれていく中で、そう聞こえた気がして、安心して目を閉じた。







 ────────────────────







 紫月と相原の勝負はいまだ決着がついていなかった。


「追い詰められているというのに、君の闘志は折れませんね。寧ろ集中力が増しているように思えます」


 額に汗をにじませながらも涼しい顔をしている相原の視線の先には、肩で荒く呼吸し、なんとか立ち続けている紫月の姿が。

 限界すれすれで勝負を続けているにもかかわらず、不敵な笑みは崩れない。


「折れることなどありはしません。叩き潰されてなお立つ。それが私の中にあるプライドですから」

「覇者の名にふさわしい高潔さ。なかなかどうして痺れることを言ってくれますね。最終決戦に移りましょうか。後悔のなきよう……全力で来てくださいね」


 紫月は矢をつがえ、藍原は剣の切っ先を向ける。長きにわたる戦いに決着がつこうとしていたその時


「その戦い止め!」


 男の声は本館の窓越しに見ていた騎士達にも聞こえるほど大きなものだった。観客、西館の3人、第一部隊全員の視線を一身に集める赤服の騎士は満を持して現れる。


「お待ちしておりました。万場様」

「留守番ご苦労。相原、下がってよし」


 灰髪の騎士は一礼し、剣を鞘に納め、立ち去った。第一部隊長、万場絢斗は腰に帯びていた杖を一振りし、フィールドの結界とフィールド内にかかっていたすべての魔法を無に帰す。


「周防紫月、菊地原左茲、离愛リント・オルディア、お前たちも同様だ」

「え?何々どういうことです?」


 今にも膝をつきそうな紫月の肩を支えながら西館の二人は首をかしげていた。


「ここから先の戦いはお前たちの出る幕ではない……ということだ」


 赤いマントを翻し、杖を用いて魔方陣を展開する。光の中から現れたのは新人スタージュ階級とみられる赤服の騎士達だった。


「お前たちが勝負を仕掛けてきた理由はここにある。そうだな?」


 万場莉々の姿を見つけ、三人は目配せして頷く。万場部隊長の留守の理由に気がついたのだ。

 その直後、本館裏庭に突風が吹き荒れる。すぐに自然のものではないとわかった。風の運ぶ独特の甘いにおいが花の香りではないから。


「あ~らら。管理騎士カードルの皆さんに各地域の支部長さんまで観客席にご案内ですか。さすが名のある騎士の育成者……授業参観も豪華ですね」


 ブーツの靴音を軽快に鳴らし、宇賀神仁樹は現れた……神呂木阿朱羅と幾導千歳を伴って。

 役者がそろったことを確認し、万場部隊長は宣言した。


「ここに集った全てのセイヴァーに告ぐ!これより特別補講を開始する!

 ……騎士とはどうあるべきか。部隊を率いる者はどうあるべきか。この私が直々に教えてやる!心して刮目せよ!」


 本館を揺るがすほどの大歓声が巻き起こる中、部隊長同士が視線を交わす。真剣な表情の阿朱羅とは対照的に万場部隊長は口角を持ち上げていた。

 元教え子にかかってこいとでも言うように。






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