第55話 穏やかな人が怒ると怖い

「あら、珍しいお客さんですね」


「……隊長か」


 教会の奥から出てきたのは隊長だった。


 修道服を身にまとっており、隊長のたおやかさとマッチしている。


「ふふ。隊長だなんて。私はそんな大層なものではありません。どうぞ、シスターイクとおよび下さい」


「そうか」


 隊長の返事を聞いて、安心する。


 質問に答えてくれそうなまともな奴は、この世界に来てから初めてだ。


「なぁ、シスターイク。少し聞いて良いか?」


「私に答えられることならなんでも」


 隊長が包み込むように温かく笑うので、ずっと疑問だったことを問いかける。


「私はどうしてほかの奴らに嫌われているんだ」


「……もしや、心当たりが無いのですか」


 隊長の目がスッと冷たくなり、声も刺々しくなる。


 なんとなく怖くなって、言いつくろう。


「いや、そうじゃないんだ。朝起きたらすっかり記憶が無くなっててな。あれだ。記憶喪失ってやつだ」


「……そうですか」


 隊長が訝しむように、私をじっと見つめる。


 その視線を受けて、少し焦る。


 記憶が無いというのは事実だ。


 この世界の私が何をしていたのか。それはさっぱり分からない。


 だが、記憶喪失だなんて言い訳は、ありきたりすぎたのではないだろうか。


 肩身が狭くなる沈黙を、隊長が破る。


「まあ、良いでしょう」


 隊長がふっと微笑み、張り詰めていた空気が柔らかくなる。


「信じてくれるのか?」


 正直言って、意外だ。


 もっと追及して来るものかと思っていた。


「もちろんです。そんなものは試してみれば分かることですから」


「……試す?」


 隊長の表情は変わらない。


 すべてを包み込むような柔らかな笑顔。


 だが、先ほどから変わらないその表情に、どういう訳か凄みを感じる。


「いえ、こちらの話です。お気になさらず」


 そう言われると余計に気になってくる。


「さて、あなたがどうして皆から嫌われているのか、でしたね」


 しかし、隊長が話を戻してしまったせいで、聞き返すチャンスが無くなってしまう。


「……ああ」


「そのためにはこの世界の守護者の話をしなければなりません」


「守護者か。そういえば、ここに来てからまだ見かけていないな」


 主の精神を健全に保つための存在。守護者。


 シロが言うには、私のような侵入者がいれば姿を現すそうだ。


 それが来ないのは異常だとも言っていた。


「そう、守護者です。守護者様がいたころ。……もう随分昔の話です。この世界は光に満ち溢れていました」


「想像もつかないな」


「今の様子しかご存じないのであれば、そうでしょうね」


 隊長が寂しげに笑う。


「村はもうご覧になりましたか」


「ああ。葉月たちがいたところだな。そういえば、あそこだけはなぜか空が青かったな」


「昔は、この世界すべてがあのような景色だったのです」


「まじか」


 田畑に囲まれた牧歌的な風景を思い出す。


 初めて見たというのに、どこか懐かしくて、そこにいるだけで心が落ち着いてきた。


「ですが、あの日……守護者様がお隠れになった日から、日に日に世界は黒に飲まれ始めました」


 当時のことを思い出したのか、隊長の顔が苦しそうに歪められる。


「そうか。大変だったんだな」


「ええ」


 適当に同調しておくと、隊長が頷いて、話を続ける。


「私たちは、パニックに陥りました。何しろ、土地がどんどん無くなってきたのですから。……いえ。土地だけではありません。ここに住んでいた人も、黒に飲まれて、どんどん消えていきました」


 思っていたよりも酷い状況だったらしい。


「なるほどな。それを止めるには、守護者を見つけるしかないわけだ」


「その通りです。ですが……」


 隊長が話しづらそうに俯く。しかし、何かを振り払うかのように頭を振ると、再び口を開く。


「守護者と懇意にしていらっしゃった巫女様もふさぎ込んでしまわれたのです」


 巫女様。教官も知美のことをそう呼んでいた。


「知美のことか」


「はい。彼女は守護者様と深く心を通わせていらっしゃいました。守護者様がお隠れになった直後に伺ったところ、一人にしてほしいと、巫女様はおっしゃりました。誰よりも守護者様と懇意にしていらした方です。ショックも大きかったのでしょう。私たちはしばらく距離を置きました。ですが、再度お会いした時、巫女様は私たちの声を聞いてはくれないようになっていました」


 知美の近くに行くと、どういう訳か笑いが止まらなくなる。そして、それを理由に吹き飛ばされてしまう。


 隊長の話によると、これは私だけではなかったらしい。


「それで。そいつは私が嫌われているのと、どんな関係があるんだ」


 この世界のことが分かったのはありがたいが、一番知りたかったことに話を戻す。


「失礼。前置きが長くなりましたね」


 隊長がこほんと咳ばらいをしてから続ける。


「少し前の話です。私たちの前にあなたが現れました」


「ほう」


 私が知美と会ったのは十日ほど前の話だ。


 会った初日に色々あったが、それは知美の精神世界にも影響を及ぼしていたらしい。


「そして、私達に言ったのです。自分ならばこの世界に守護者を再度顕現させることができると」


「なんというか、胡散臭いな」


「確かに、そうかもしれませんね」


 隊長が自嘲気味に笑う。


「ですが、人と土地が黒に飲まれていなくなるばかりの状況。わらにも縋る思いで、私たちはあなたを救世主と崇めました」


 それはあまりにも短絡的すぎやしないだろうか。


「そうして、あなたはまず、私たちに美里様像を建設するように言ったのです」


「いや、なんでだよ……」


 この世界の私は何を考えていたんだ。


 いや、そうじゃない。知美は私に何をさせたいんだ。


「その真意は分かりません。あなたが忘れられてしまったのでは、もう誰も知らないでしょう。それだけに飽き足らず、あなたは村人に年貢を納めるよう要求しました」


「やりたい放題だな」


「……」


 隊長が非難がましい目で私を見てくるが、咳払いをして仕切りなおす。


「最初は素直に応じていましたが、あなたはそれだけでは足りないと、さらに負担をかけてきました。そして、私たちの負担が大きくなると共に、どういう訳か美里様像もまた大きくなっていったのです」


「なんというかそれは……不気味だな」


「そうですね。それに気づいた村人があなたに不満を持ち始めたというのが現在の状況です」


「なるほどな」


 話を聞いて、頭を抱える。


 村人の不満はどうしようもない。


 守護者を復活させると言って、像の建造と年貢の取り立てをされた。


 怒りはもっともだろう。


 この世界を救う鍵はいなくなったという守護者にある。


 恐らくだが、その守護者が戻れば、世界、つまり、知美の精神が明るくなるのだろう。


 その手掛かりとなるのは、この世界の知美。


 しかし、知美に近づくと笑いがこみ上げてきて話せなくなってしまう。


 そして、吹き飛ばされる。


 詰んでないか。これ。


「はぁ」


 解決の糸口が見えなくて、ため息が漏れる。


「シスターイク、色々と助かったよ。どうすれば良いのかさっぱり分からんが、もう少しこの世界を見て回ることにする」


「いえ、お待ちください」


 教会を後にしようと背を向けると、隊長が私を引き留める。


 振り返ると、そこにいたのは、重機関銃を抱えた隊長。


 予備の弾がずらっと並んだベルトをたすき掛けにしている。


 物々しさに危機感を覚えて、教会を飛び出す。


 直後、とてつもない密度の弾幕によって教会のドアが粉砕される。


「覚えてなかったら、かつて何をしていたとしても許されるとお思いですか?あなたが白を切るようなら仕方ありません。その罪深い魂、浄化して差し上げます」

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