第50話 ざる警備

 シロによると、精神世界はその人の抱えている心の問題や、自身でも気づいていないもやもやしたものを具現化した世界とのことだ。


 そして、通常は守護者というものが存在している。


 守護者とは、精神世界の主を守るために作り出された存在。私たちのような侵入者を阻んだり、心の平穏を乱すものを刈り取ることで精神世界の主を守っている。


 過度なストレスを受けた時には、それを記憶の隅に追いやったり、憎しみや怒りなどに転嫁することによって、精神崩壊を防ぐ防衛機制の役割をこなす。


「精神世界を渡り歩くうえで事前に知っておくべきことはそれくらいかの。分かったか?」


 景色が変わらない真っ黒な世界を横並びに歩きながら、シロが説明を締めくくる。


「さっぱり分からん」


「おい」


 シロがずっこけるが、それを構わず歩いていく。やっぱりノリが良い奴だ。しばらくすると、小走りで追い付いてくる。


「じゃが、まあ、そんなもんじゃろうな。わしの話を聞くより体験した方が早いじゃろうて」


「だったらなんで話したんだ」


「それは……その……なんじゃ」


 歯切れの悪い声を受けてシロを横目でうかがうと、きまり悪そうな顔で斜め上を見上げている。


「……」


 それに対して無言の圧力をかけていると、負けたと言わんばかりに息を吐き、口を開く。


「……しばらく歩くから話題の一つでも、と思っての」


 はぐらかすような上ずった声。


「本当のことを言え」


「うっ」


 問い詰めると、短く呻き声を上げる。


「……そうじゃの。どうせいつかは言わねばならんことじゃ。わしはずっとあの電脳空間に閉じ込められておった。そこに流れてくる情報を読んでおる内に精神世界のことを知った。そこまでは良いの?」


「御託はいらん。さっさと話せ」


 言いにくいことを避けるかのように先ほどまでの説明に補足を加えるシロに、話の核心を促す。


「そう焦るでない。会話を楽しめなくなったら終わりじゃぞ。潤いというものが足りておらんのではないか」


「そうだな。乾いて、乾いて、たまらないんだ……。お前を切り刻んで、生き血を浴びるべきか」


「なにそれ、怖い」


 シロが引いたように顔を曇らせるが、やがて決意を目に宿して話を続ける。


「長いことあそこにおったせいで、わしは簡単にあそこから抜け出すことはできんかった」


「それで私の入ってきたアドレスが必要だったんだろ」


「そうじゃが、それだけではないのじゃ」


 シロがうーんと唸りながら、頭を掻く。


「身を守るためにあの部屋を作ったせいで、わしの精神はあの部屋に強く根付いてしまった。そのせいで、あの部屋を出ると、わしは自分の存在を保つことができんようになってしもうた。抜け出すには、別の入れ物が必要じゃったんじゃ」


 深刻そうな顔つきだったシロが吹っ切れたように胸を張る。


「そういう訳で、わしの精神、お主の中に入れさせてもらった。これからよろしく頼むぞい」


 開き直ったように、晴れ晴れとした表情でシロが宣言する。軽い調子で紡がれた言葉を理解するのを、脳が拒む。


「私の精神に、お前が移植……?」


「そうそう。そういうことじゃ。物分かりが良くて感心じゃ。いやー、同居人が聡明な人間でわしは嬉しいぞい」


 けらけらと笑いながら肩をバシバシ叩いてくる。


 じわじわとその内容を理解し始めて、なんとなく納得する。


 私がこいつに対して敵意を抱けなかったのは、こいつが私の身内になったせいだ。


 言葉通りの意味で。


「まじかよ……」


 こちらの許諾も得ずそんなことをする人物が心の奥に入り込んできたことに頭を抱える。


「ま、そう落ち込むでない。わしは良い女じゃぞ?」


「そういう問題じゃない。自分の体に入るものはしっかりと見極めたいんだ」


「そんな有機野菜ばかり選ぶ意識が高い奴のようなことを言いおって。似合わんぞ」


「ほっとけ」


 にやつきながら肘でつついてくるシロを手で払う。


「しかし、わしは幸運じゃった。お主の中に席が空いておったからの」


 シロの声が先ほどとは打って変わって真面目なものになる。


「……どういうことだ」


「お主の中に空きがなければ、わしの精神を移すことはできん」


「まあ、道理だな」


 そんなにほいほいと入ってこられたら堪らない。なんだってこんな奴を通したんだ。ざる警備すぎやしないか。私の精神。


「うむ。じゃが、幸運なことにお主の世界で最も重要ともいえる席が空いておった。……精神世界の守護者の席じゃ」


「そうか。それは良かったな」


 ざる警備どころじゃなかった。警備すら存在していなかった。


「おぬし、分かっておらんな」


 気のない返事を返すと、それを咎めるかのように深刻な声が返ってくる。


 正直言って、どうでもいい。なんとなくだが、シロをどうこうすることができないということは分かる。


 それなら、こいつの釈明を聞いたところで意味は無い。


「どんな者の精神世界にも守護者は必ず居る。そのものが喜びや悲しみといった感情を得られるのは精神が健全であるからこそ……言い換えると、守護者がきちんと仕事をしておるからこそじゃ」


 シロが私の腕を掴んで足を止めさせる。


 シロの方を向くと、真剣な面持ちでこちらの顔を覗き込んでくる。


「守護者がいなくなった者は精神崩壊を起こす。……いや、逆かもしれんの。主人に降りかかるストレスを捌ききれなくなり、守護者が死んでしまって精神崩壊じゃ。

 分かりやすく言うとSAN値0という奴じゃの。精神病院に無理矢理収監されてしまうような、そんなレベルじゃ。

 ……そんな状態じゃと言うのに、お主は普通に社会生活を送れておる。こんな例は電脳空間にあった膨大な記録の中にも存在しておらんかった。お主、本当に人間か?」


 シロの視線が心配と恐れが混ざった複雑なものになる。それを見ているのがなんとなく不快で、シロの手を振り払って歩みを進める。


「ふん。そんなもんどうでもいいだろ。私は今、しっかりと生きている。それで十分だろ」


「……そうか。そうかもしれんの」


 何か言いたげな様子のシロの声が後ろからついてくる。


 しばらく無言で歩いていると、再びシロが口を開く。


「じゃが、まあ、安心せい。これからはわしが守護者として守ってやるでな」


 沈んだ空気を吹き飛ばそうとするような、無理やりに引き上げたような明るい声。


「ふん」


 守られるというのが何だかむず痒くて、鼻を鳴らしてそっぽを向く。


 それに構うこと無く、シロが話を続ける。


「今いるこの真っ黒な世界。ここは知美の世界じゃ。侵入者であるわしらがいるにも係わらず、守護者は一向に姿を見せん。……この者もなかなかのものを抱えておるようじゃ」


「何もない真っ黒な世界なんだ。言われなくても分かっているさ」


「……いや、おぬしは分かっとらんよ」


 寂しげなその言葉に思わず振り向くと、真剣な面持ちをしたシロと目が合う。


「ここまで深いところまで来て守護者が出てこないというのは異常じゃ。ここはおぬしの世界ではない。知美の世界じゃ。知美の想いが何よりも優先される。お主の力は二の次じゃ」


「なんだ、説教か」


 シロの真面目な言葉に居心地が悪くなって、茶化すような言葉が口をついて出る。


「そうではない。忠告じゃ。知美がおぬしのことを信じておれば、おぬしは地球を割ることもできるじゃろう。……じゃが、そうでなければそよ風に逆らうことですら出来んくなる。他人の精神世界を歩くというのは危険なことなのじゃ」


 ただただこちらを気遣うシロの声がしみこんでくる。


 その忠告をしっかりと胸に刻んで、シロに、ひいては自分に対して宣言する。


「ふん。そんなもんどうでもいい。私がここに来たのは、自分の能力に振り回されるのが嫌だったから。そして、精神世界とかいうやつが面白そうだと思ったからだ。あんたがそこまで言う危険てやつが、どれだけのもの楽しみになってきた」


「ふっ。そうか。確かにそうじゃな。おぬしはそういう奴じゃったな」


 私の言葉を受けて、シロが寂しそうに、それでいて満足げに笑う。


 ほかの奴であれば、私のことを分かったように言う言葉に腹が立っただろうが、シロの言葉にそんな感情は浮かばない。


 むしろ頼もしさのようなものを感じる。


「もう少し歩けば景色が変わる。ここからはおぬしと知美の問題じゃ。武運を祈っておるよ」


 そう言ってシロが指を鳴らすと、シロの姿が消える。


 目の前にあるのはただただ黒ばかり。


 だが、誰かが背中に寄り添ってくれているような安心感を感じる。


「よし」


 気合を入れて踏み出す。


 知美の精神世界。


 ただただ黒が続くいかにも歪んでいますと言わんばかりの世界。


 どんなものを見せてくれるか楽しみだ。

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