第40話 空から女の子が

(…!!伏せて!!)


 猪と対峙して、気分が上がってきたところで、知美に水を差される。


 文句を言おうとしたが、有無を言わさぬ強い想いにサッと体が沈み込む。


 ふと前を窺うと、突進してくる猪。


 接地面が増えたせいで地面からの振動が体全体にダイレクトに伝わる。


 だが、それが些末なことに思えてくるほど、とてつもなく嫌な予感が脳内を駆け巡る。


 ゾクッと鳥肌が立ち、悪寒が背筋を駆け巡る。


 とんでもない速度で、魔力の塊がこちらに近づいてきている…!


 迫りくる猪の巨体が何でもないものに思えてくる程の死の予感。


 重苦しい予感がこの場を離れろと警鐘を鳴らすが、知美の信頼が足を縫い留める。


 猪との距離はもう4メートルもない。


「は……?」


 肌をひりつかせる見えない脅威を、迫りくる猪が上回ろうとしたとき、湿った破裂音が全てを吹き飛ばす。


 こちらを圧し潰さんとしていた巨体が突如として消え去る。


 事態を飲み込めずにいると、一拍遅れて湿った何かがぴちゃぴちゃと降り注ぐ。


 毛皮の混じった肉片だった。


 肌にびりびりと叩きつけられる脅威が霧散し、空気が軽くなる。


 そこでようやく息を止めていたことに気づき、新鮮な空気を取り込む。


「いやー、ごめん、ごめん。場所わかんなくてさー、ちょっと遅れた」


 頭が少しすっきりしたところで、上から能天気な声が降ってくる。


「迷子札でも作ってもらったらどうだ?」


「うーん、探してたのは私の方だし、ミーちゃんが持っておくべきじゃない?」


 上空からゆっくりと落ちてきた葉月に対して、鼻を鳴らす。


 猪をばらばらの肉片に変えたのは葉月だった。


 木がなぎ倒される音と、隊長の弾丸が放つ光を目印に葉月が吶喊してきたのだ。


(ごめん。こっちも切羽詰まっていたから、説明する暇がなかった)


 知美が申し訳なさげに言ってくるが、向こうの状況もこちらに伝わってくる。


 隊長も知美もひっかき傷だらけだ。艦内へ続く扉は閉ざされているが、張り付かれればすぐに突破されてしまう。


 こちらのために広範囲の索敵を行いつつ、扉に寄せ付けないよう猫を捌く。


 正直言ってマルチタスク過ぎる。牛丼屋のワンオペが霞んで見えるレベルだ。


「葉月、こっちだ。ついてこい」


「おう!」


 知美のすり減った神経とともに、大物の気配が流れ込んでくる。


 そいつの処理に頭を切り替える。


「くそ、勝手に横取りしやがって。こっちもようやく体があったまってきたところだったんだ」


「いや、だからごめんて」


 不退転の決意を固めて猪と対峙していたところに水を差された苛立ちを葉月にぶつける。


(…かっこよかったよ?)


 お前は目の前の敵に集中しろ。


 猪がいなくなったことで小型の魔物がこちらに襲い掛かってくる。


 それらをナイフで捌きながら葉月に問いかける。


「なんだ?その鉄塊は?」


「鉄塊て…。かっこいいでしょ」


 自身の得物を叩きながら葉月がムフフと気色悪く笑う。


 葉月の得物は薙刀ではなかった。


 1.5メートルほどの円錐形の槍。ランスだとか突撃槍だとか呼ばれるものだった。


 ただし、そのランスに持ち手はなく、円錐の中に右腕を埋め込むようにして葉月は身に着けている。


 更に、ランスの端には噴射口のようなものまでついていた。


「いやー、教官に頼んだらなんか作ってくれてさ。良いでしょー」


 葉月が頭を掻きながらはにかむ。


 私への刀といい、葉月のランスといい、教官は貢ぎ癖でもあるのか。


(私もこないだ砥石をもらった)


 突如、先ほど感じた予感と同じものが背筋を走り、咄嗟に左側に身を投げ出す。


 直後、ランスを構えた葉月が全力疾走するくらいの速さで隣を通り過ぎていく。


 その射線上にいた鹿や犬は、大穴を体に開けられて吹き飛んでいく。


「ねっ!すごくない!?」


 葉月がこちらを振り返ってキラキラとした目線をこちらに向ける。


 邪気の一切こもらないその視線に、無性に腹が立ってくる。


「突撃するなら一声かけろ!」


 葉月の下に駆け寄って、襲おうとしていた兎を切り捨てつつ、葉月に裏拳を見舞う。


「あたっ。……ごめんて。…でもともちんの能力でわかるんでしょ」


 全く悪びれずに葉月が謝ってくる。


「距離があるせいか、はっきりとは分からねーんだよ…」


 分かっていたとしても、すぐ隣を特急列車が過ぎ去るくらいの圧を感じるので心臓に悪い。


「あーとー……それはまじでごめん」


 走りながら、葉月が眉尻を下げて、左手を立てて謝ってくる。


「…ふん」


 今度は本気で悪かったと思っているようで、居心地が悪くなる。


「それからさ」


 葉月がランスを盾のようにして飛び掛かってくる犬を防ぎつつ、申し訳なさげに語り掛けてくる。


「これ、小回り効かないんだよね」


「見れば分かる」


 葉月のランスはかなりの重量があるし、薙ぎ払うか、突くかしかできない。取り回しは難しいだろう。


「そういうわけで、小型の魔物は任せられればなー、と」


「…分かったよ」


 申し訳なさげではあるが、どこか期待する様なその声に、つい首肯を返してしまう。


 分担としても妥当だろう。


 こちらは大型の魔物の処理には時間がかかる。


 防衛線が設定されている以上、さっさと捌かなくてはいけない。そうであれば、葉月に始末してもらった方が得策だ。


「ありがとう!いやー、みーちゃんならそう言ってくれると思ってたよー」


 葉月の奴がぱぁっと顔を輝かせて、右肩をバシバシ叩いてくる。


「やめろ」


「ごめんごめん。後、猪とか熊とやりあう時に、しばらく相手して、木をなぎ倒させて開けた空間にしてくれたらなーと」


 軽く謝ってきた葉月が、ついでとばかりに重い要求をしてくる。


「やだよ。面倒くさい」


 回り込んできた猿と一緒に、葉月の言葉をバッサリと切り捨てる。


「そう言わずにさー、頼むよ。お願い。ねっ、ねっ!」


 粘着して来る葉月を振り払おうとすると、言葉を畳みかけてくる。


「いやー、突進するとき木とかあるとやりずらいんだよー。ぶつかったら破片とか飛んできてやばいし。だから、お願い!!」


 葉月の能力は加速するだけで、葉月の体を守ってはくれない。


 突進するとき少しでもコースを間違えれば、木や魔物でなく葉月の方がミンチになってしまう。


 それを考えると妥当か。


「…分かったよ」


「まじで!!」


 葉月が大げさに驚く。


「いやー、正直、断られると思ってた」


「断っただろ」


「いや、そうなんだけど…。うん」


 葉月は言葉を濁したが、突然満足げに頷いて言葉を続ける。


「ミーちゃんは素直じゃないな。これがツンデレってやつだね」


 腹が立ったので、進路を微修正して少し速度を速める。


「あ、待って」


 葉月が追ってきたことを確認して、上の木に飛び移る。


「うわっ、きたな!」


 猿が私目掛けて投げつけた糞が葉月の隣の木にぶつかり、その飛沫が葉月に降りかかる。


「変なこと言うからだ。直撃を避けただけありがたく思え。ついでにターゲットが近い。先に行って整地しておくから準備しとけ」


「……やっぱり、ミーちゃんはツンデレだなー」


 どうしてそんな結論になるんだ。


 次は顔を直接狙ってやる。

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