第38話 滅びの呪文

 最初の5分間位は夜空に見入っていたが、代わり映えしない景色に飽きてきた。


 葉月はまだモニターに張り付いて歓声を上げているが、暗くてよく見えない地上を見て何が楽しいのかよくわからない。


「なあ」


「……なに」


「キャプテンムクダからベルトを外す許可が出たから立ちたいんだが」


(ダメ)


 知美が縋り付くようにギュッとしがみついてくる。


 流れてくる恐怖は本物で、こちらまで心細い気分になってくる。


「急にどうしたんだ。少し前までは大丈夫だったろ」


(…さっき集中して探知したら、何も分からなかった)


 知美から軽いパニックが流れ込んできて、理解する。


 知美は広範囲を索敵しようとした。それこそ、地上まで十分に分かるような広範囲をだ。


 しかし、船の中しか分からなかった。


 先ほどの田中といい、今といい、自信を持っていた能力が通用しない。


 その事実が知美を不安にさせる。


「……別にお前にそんな能力が無くたって見捨てたりしない」


「ほんと?」


 知美が体を寄せてさらに強くしがみつく。


「……分かるだろ。つながってるんだから」


 なんだか照れくさくてぶっきらぼうに言うと、強い安心感が流れてくる。


 その感情にこちらまで嬉しくなってきて、知美の肩に回している右手でクシャっと知美の髪を撫でる。


「それ、好き。…もっと」


「はいはい」


 ねだってくる知美に応えて頭を撫で続ける。


 充足感がこちらまで流れてきて、穏やかな気分になってくる。


 その気分のまま、ほかの連中を見る。


 葉月は相変わらず外を眺めているが、紗枝もその隣に来てモニターに張り付いている。


 その二人をイクがあらあらと言わんばかりの顔で満足げに眺めている。


(ふふっ。なんだか家族みたい)


 無邪気な葉月と紗枝、保護者のように二人に付き添う隊長を見ていると、確かに一つの家族のようだ。


「(いい隊だね)」


「ああ、自慢の部隊だ」


 教官の声が聞こえてくる。相手は恐らく田中だろう。


 教官以外の声は聞こえないが、会話相手の言っていることは分かる。相変わらず妙な感覚だ。


「(ほんと、そう。あの子たちを見ていると、なんだか昔を思い出す)」


「……そうだな」


 教官の声に影が混ざる。


 なかなか面白そうな会話をしている。


(…美里ちゃんって、なんていうか、野次馬根性みたいなのあるよね)


 ほっとけ。


「(…まだ気にしてるの?……あれは事故だった。どうしようもなかったことなのよ。みんな、チコを責めてなんていない)」


「……分かっているさ。お前らが私のせいになんてしようとしないことくらい、分かってる。でもな…」


 教官の声が段々追い詰められていく。


「……いや、すまん」


「(いいよ。無神経だったね。ごめんね)」


 教官が言葉を押しとどめて、緊張を吐き出すように謝罪する。


「(…ムクダ大佐、ちょっと気になることがある。高度と速度を落としてほしい)」


「いいだろう。微速前進ヨーソロー!!」


「「「微速前進ヨーソロー!!!!」」」


 つい反射的に声が出てしまう。


 教官の声にも先ほどの影は全くなかった。


 葉月たちは何が面白いのか大笑いしている。


(ううん、分かるよ。みんなしておんなじこと言って、おかしい)


 知美がくすくすと笑う。


 なんだか愛おしくなって、髪を梳くように撫ぜるとふわふわしたものがこちらにまで流れてくる。


「どうしたんだ」


 心地良さに身を委ねながら、教官たちの会話に耳を傾ける。


「(…チコのことは信頼してる。けど、チコの教え子さんのことは別の話)」


「はぁ。そうだな。お前はそんな奴だったよ」


 呆れたように、それでいてどこか嬉しそうに教官が呟く。


 正直言って、会話の内容が歯抜け過ぎて分からない。


(ツーカーってやつだね)


 教官たちの会話はそれで終わってしまい、葉月たちの楽し気な声が艦橋に響く。


 船は高度を落とし、先ほどよりゆっくりと進んでいる。そのお陰で地上の景色が良く見える。


「あれが森ってやつか。木があんなにあるのは初めて見た」


(私も久しぶり)


「前に行ったことがあるのか?」


(アーコロジーの周辺調査に駆り出されてね。あの辺りは魔物もそんなにいないから、歩いてて気持ち良かったよ)


 知美から思い出が流れてくる。


 風でざわざわとする木の葉の音に、葉っぱの隙間から差し込んでくる太陽の熱。土の匂い。踏みしめるとわずかに沈む土の地面。


「……なるほど。悪くないな」


 知美の記憶を辿るだけで心が凪いで行く。


(ここは魔物だらけだからそうもいかないだろうけどね)


 知美から索敵結果が送られてくる。夜の森は魔物にあふれていた。


「分かるようになったのか?」


(うん。多分速度が落ちて、地表に近づいたから)


「そうか。良かったな」


(ありがと)


 知美の安堵がこちらにまで伝わってくる。今まで話している間も、知美からチクチクとした不安は消えることが無かった。それが綺麗に払しょくされてすっきりとした気分だ。


「(バルス)」


 突然、艦橋がものすごい光に包まれ、葉月たちの悲鳴が響き渡る。


(何!何があったの!?)


「ああ……あああああ〜〜っ!目がぁぁ〜!目がぁぁぁぁあっ!!」


 こ、この声は…。


(情けない声で一瞬分からなかったけど、キャプテンムクダ……!キャプテンムクダにいったい何が!)


「ム、ムクダ大佐!今の声はムクダ大佐ですか!?」


 いち早く状況を理解した隊長がキャプテンムクダの方へ向き直り、息を呑む。


「あ、ああぁぁ……。目が、目がぁ……」


 それを受けてこちらもキャプテンムクダを見ると、キャプテンムクダが目を押さえて、のたうち回っている。


 その声は先ほどよりもさらに弱弱しい。


「そ、そんなキャプテンムクダ……」


 葉月が目を大きく見開き、目に涙を浮かべる。


 そこまでショックだったのか。


「ぼさっとするな!この船は落ちる!ベルトを着けろ!」


「っ!!!」


 教官が叫ぶと共に艦橋の照明が一瞬落ちて、赤い非常灯に切り替わる。


 暗闇が過ぎ去った安堵も束の間で、ガタっと船が前方に傾く。


「早く!早く席へ!!」


「っおう!」


 状況を把握した隊長が着席を促し、葉月が応える。


「だ、だめ!!紗枝……紗枝ちゃんが!!」


 知美からパニックが流れ込んでくる。落下が始まり、不快な浮遊感が襲ってくる。


「だめだ!間に合わない!」


 紗枝の下へ駆けつけようとした知美を押しとどめる。


「いやっ!!放して!!!」


 聞いたことが無いほど声を荒げる知美に一瞬気圧されるが、無理やり引き留める。


(守れない。また私は……)


 とてつもない無力感が身を苛む。


「紗枝!!」


 ぺたんと座り込んで、俯いていた紗枝がビクンと肩を震わせる。


 最初はゆっくりだった落下が、突然勢いを増し、紗枝が宙に投げ出される。


「い、いやああああああああ!!!!!!!」


「さえちー!!」


「……!?」


(分かった…!)


 こちらの意図を理解すると同時に、知美の中で何かが切り替わり、体の芯に熱がともる。


 ベルトを外すと、さらに勢いを増す落下に飲み込まれて、私の体はぐっと上に引っ張られる。しかし、ピンっと縫い付けられたかのように体が宙に留まる。


「はな、さない……!」


 知美が足を掴んでシートに固定してくれた。


 その想いを無駄にしないためにも、宙に投げ飛ばされた紗枝に右手を伸ばす。


(間に合った!!)


 間一髪で紗枝を繋ぎとめることに成功するが、まだ終わっていない。落下は続いたままだ。


「目を閉じるな!!」


 恐怖のあまりギュッと目を閉じていた紗枝が、私の声に肩をビクッと震わせ、その勢いで目を見開く。


 その目が合って、見開いた瞳の向こう、奥の奥まで私の視線が貫く。途端に繋がりができたことを感知する。


 そこから流れてくるものに言葉はない。


 ただただ、怖い。身動きが取れないほどの恐怖。死の予感。それだけが叩きつけるように流れてくる。


 地面に衝突するまで、15秒程度。そこで私と紗枝で交わされたものは、もはや言語化もされる前の感覚とでも呼ぶべきものだった。


 だが、そこで交わされた情報はとてつもない。音速は軽く超えていた。


 それを無理やり言語化するならば次の通りだろう。


(嫌だ。いやだいやだいやだいやだ。死にたくない死にたくない……)


 鬱陶しいんだよ!ボケが!


(ひぃっ!?だれ?勝手に……!!)


 喜べ。お前は死なない。


(し、しな、ない…?)


 死の恐怖でいっぱいになった頭をぶわっと塗り替える。


(死なない!死なない!私は……死なない…!)


 そうだ。お前は死なない。その能力でな。


(死なない!死なない!)


 落下では死なない。能力がお前を守ってくれる。お前だけはな。


(死なない!生きる!私は死なない……?わたし?)


 お前の能力で守れるのはお前だけだ。隊長も、葉月も、知美も、私も。そして、教官、キャプテンムクダでさえも死ぬ。


(え…?え……?)


 おめでとう。お前は生き残るんだ。喜べ。


(え、え?生き残る。え?)


 一人だけだがな。


(生き残る。一人。え……?)


 喜べよ。


(死なない。嬉しい。私、死なない)


 そうだ。良かったな。


(でも、死ぬ。みんな死ぬ)


 そうだ。これが最後だ。目に焼き付けろ。


(し、ぬ……?隊長も、葉月さんも……?)


 みんな死ぬ。


(やだ!)


 だけど大丈夫だ。


(だい、じょうぶ?)


 ここは魔物だらけの森だ。お前もすぐに殺される。


(し、ぬ……?)


 魔力が切れるまでお前の能力が守ってくれる。


(まも……る…?しなない!)


 そうだ。しばらくは死なない。


(死なない!死なない!)


 魔物に囲まれて、魔力が無くなるまでずっと待たれる。


(死なない!え……?魔力、切れる?)


 そうだ。魔力が切れるまで魔物はずっとお前を取り囲む。


(ま、もの)


 それは傍目から見れば楽しいだろうな。魔力切れの恐怖に怯えるお前と、それを待ち望む魔物。魔力が無くなった途端どうなるか、それを想像しながら能力を使い続けるんだ。時間とともに魔物はどんどん増えていく。舌なめずりする魔物。切れていく魔力。お前はどうなるんだろうな。泣き叫ぶか。許しを請うか。どうなるだろうな。だが、それはきっと面白い。残念だ。


(いやだ、いやだやいやだやだやだやだ)


 残念だ。そんな最高の見物を見逃すなんて、一生の不覚だ。


(し、死にたくない…。死にたくない!ひとりは、ひとりは、やだ……!)


 甘えるな!


(ひぃっ!)


 人は死ぬ。真っすぐ見据えろ。


(し、ぬ)


 恐怖で目を逸らすな。


(こわい)


 お前が怖いのは死ぬことか。


(し、ぬ)


 それとも一人になることか。


(ひと、り……?)


 目を逸らすな。地面は、死はすぐそこだ。


(地面……死……)


 一人が嫌なら、能力を発動させるな。


(能力、しない……)


 死ぬのが嫌なら、能力を使って少しでも長く生き永らえろ。


(能力……)


 選べ。目を逸らすな。せめて最後に私を楽しませろ。


(い、や……)


 地面が圧し潰さんとばかりに迫ってくる。もう時間がない。選べ。


(……や…)


 選べ!


(い、や……だ…)


 どうする!


(誰も……誰も死なせない!)


 モニターに地面が映し出され、轟音とともに足元が崩れる程の揺れが襲う。そこで目の前が真っ暗になった。

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