第5話
荷物は小さなトランク一つ。
本当の父と母との幸せだった思い出を精一杯つめた。
幸せだったころの写真、母から受け継いだアクセサリー。母の遺品はこれだけだ。継母から必死に隠して、どうにかこれだけ手元に残すことが出来た。
馬車に乗ってから、向かいに座るシルビオは、窓の外を見たきり、黙ったままだ。
(・・・なんか話したほうがいいのかな。でも、あんなに泣いているところを見られちゃったしなあ・・・)
出発の時、思いもよらず号泣してしまった。
恥ずかしさで気まずい。
気まずいのは、シルビオも同じだった。
(さっきのは、見られたくなかったよな。隠したつもりだが、さすがに不愛想だったか・・・?)
自分のほうがずいぶん年上なのでこの小さな少女にどう向き合っていいのかわからない。
相変わらず彼女は何も言ってこない。
ちらりと盗み見ると、いつのまにか彼女はこっくりこっくりとふねをこいでいる。
馬車の揺れで、今にも座席から転げ落ちそうだ。
(ずいぶん気を張っていたんだな。)
ふっと、自分の表情が緩むのを感じた。
子どもにしか見えないが、時折びっくりするほど大人びた目をする少女。
自分にすぐについてきたときは驚いた。あの家で、どんな扱いを受けていたのか気になるところだ。使用人もつけずに送り出すなんて、普通ではない。
遺産の話に同席させることも普通はしないだろう。
エレオノーラの隣に座り、揺れる頭を自分のほうにもたれかけさせた。
安定した姿勢になった途端、彼女はすやすやと寝息を立て始めた。
ちょっと不器用ながら、もともとは男らしくすっきりとした気性のシルビオ。
よい兄になるべく、ほんの少しエレオノーラに歩み寄るシルビオだった。
ヴェルティエ家についたのは、夜も更けたころだった。
ひと気はあまりなく、執事と言われる年配の男性がひとりで迎えてくれただけだ。
門扉が開かれると、やや荒れた庭園が現れた。
広い庭をすすみ、屋敷の中へはいる。中は、調度品などもなく、質素なものだった。
絵画があっただろうシミ、彫像があったであろう床のあとなど、名門ヴェルティエ家の凋落ぶりがわかる。
客間へ通されると、シンプルだが心地よさそうな部屋。
急ごしらえなのか、部屋の隅にぽつんと寝台がおかれていた。
「何かご不自由なことがあれば、メイドにお申し付け下さい」
それだけ言うと、老執事は背をまげてゆっくりと客間を出ていった。
姿をみせないメイド、腰の曲がった老執事。
公爵家の使用人にしては、お粗末だ。
(公爵家よね?夜更けとはいえこんなに使用人がいないものかしら?)
エレオノーラは、馬車で眠ってしまったため、目が冴えて眠れない。
部屋の中をうろうろしていたが、何もなさすぎて早々に飽きてしまった。
(ちょっとだけ、お屋敷の中を見てみようかな…?)
本来好奇心旺盛なエレオノーラは、さっそく部屋を出て屋敷の中をうろうろし始めた。
(ひ、広い!)
部屋数が多く、廊下も幅が広くながい。
まっずぐな廊下は、全力で走ったら気持ちよさそうだ。
部屋は、ほとんど使われているようになかったが、
一部屋だけ、少しドアが開いており、明かりが漏れている部屋があった。
ドキドキしながら、その部屋へ近づいてみる。
(シルビオ様の部屋だ・・・)
執務机に書類を広げ、書類を比べてはため息、というのを繰り返している。
深刻そうな様子だ。
こんな夜中に歩き回っているのがばれたら、さすがにいい顔はされないだろう。
そっとその場を離れようとすると、
「誰だ?!」
鋭い声と、大きな足音。
驚いて、その場にへたり込んでしまう。
勢いよくドアが開くと、厳しい表情のシルビオと目が合った。
泣きそうな顔で、エレオノーラはその場にへたりこんでいる。
「・・・。」
「・・・。」
二人とも驚いて言葉が出ない。
彼は優し気にふっと微笑んで
「眠れないのか?」
そう言って、ドアの中へと促した。
部屋の中は暖かく、執務机の前に、応接セットのような長椅子と大きな背もたれ付きの椅子が何客か置かれていた。
入ったものの、どうしたらいいのかわからず、部屋に入ったまま、立ちすくんだ。
すると、シルビオは暖炉のそばに背もたれのある大きな椅子を軽々と動かしてきた。
「俺も昔、眠れない夜は屋敷の中をよく探検したよ。 ・・・座るか?」
エレオノーラはおずおずと、その椅子に座った。彼女には大きすぎて、落ち着かない。
「寒かっただろう」
そう言ってそっと、毛布をかけてくれた。
肌触りのよい毛布、こんな風に世話を焼いてもらうなんていつぶりだろう。
なんだか、胸の奥がくすぐったい。
毛布に潜り込むと、
「ちょっとまってろ。」
シルビオは部屋の内側にある扉の向こうへ入っていってしまった。
大きな椅子の上に、毛布でくるまってなんとなく部屋を見つめていた。
大きな窓からは、星空が見える。
窓枠には豪奢な装飾が施され、貴族の一般的な家の窓より二回ぐらい大きい。
窓の大きさ、窓の多さはその家の権力や財力の象徴でもある。
しかし、今となってはガラスは汚れ、飾りのある窓枠も埃がかぶっている。
(以前は、きっと素敵なお屋敷だったんだわ。)
そんなことを考えていると、シルビオが戻ってきた。
だまって差し出されたカップからは、ほんのり蜂蜜の香りがするミルクだった。
「あ、ありがとう…」
消えそうなくらい小さな声。
受け取ったミルクを一口飲むと、ぽかぽかと暖かいものが体中に押し寄せてくる。
こんな気持ちになったのはいつぶりだろう。
母が亡くなってからというもの、エレオノーラのことを気にかけてくれる人は誰もいなくなった。
優しさに飢えていたエレオノーラの心に、じんわりと染み渡るぬくもり。
急に夫だ、と言われた戸惑いもあり、どうしていいのかわからず、こっそりとシルビオを見つめた。
シルビオは、紅茶を手に、窓枠にもたれてどこを見ているのか、ぼんやりとしているようだった。
美しい相貌には、疲れがにじんでいるが、長い足を交差させ、紅茶を飲む姿はまるで聖堂に飾られた絵のようで、神々しささえ感じるほどだ。
鍛えているのか、まくり上げた腕にはうっすらと筋肉がつき、よくみればややがっしりした体格だ。
(男前は何をしても絵になるわね…。)
気恥ずかしくなって、シルビオから目線を外し、暖炉の火を見つめていると、だんだんと瞼が重くなるのを感じた。
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