第三章:十三話

「蛍琉」


そう彼の名前を呼んだのは、橋田だった。


「……はっしー?」


「……自販機に飲み物買いに来たら、お前らの声が聞こえて。話、勝手に聞いちまった。それで今、ここで蛍琉と話をしないと、後悔する気がして」


その言葉に、蛍琉は黙って頷いた。それを見た橋田が、再び言葉を続ける。


「悪かった。俺、お前のウォークマンを盗んだ。勝手に聴いて、勝手に卒業制作用の五線譜に、音を書き出した」


「……うん」


「でも……信じてもらえるか分からないけど、曲を、盗もうとした訳じゃない。お前の曲、一つ全部五線譜に写したら、俺は自分の曲を作ろうって、そう、思ってた」


「……え?」


「俺、実はこれまでにも、お前から借りたウォークマンの曲、勝手に譜面に書き出したこと、あるんだ」


「……」


「本当にごめん。ピアノ、上手くいってない時、何回かやった。お前の曲から、何かいい音が俺にも受け取れるんじゃないかって、勝手に思って」


「そっか」


「でもある時、気がついた。お前からはお前だけの音が生まれる。そこに俺の音はないって。だから二度と、そんなことはしないと決めた。なのに、俺、弱いから。また揺らいで」


たどたどしい口調で語られる真実。しかし、それは橋田が懸命に伝えようとして紡ぐ、確かな思いの詰まった言の葉。


「それでお前のウォークマン、勝手に聴いた。最低なことをした。だから自分への罰として、お前の曲をまた五線譜に書いた。二度としないと決めたことを、敢えてした。罪悪感で一杯になったよ。でもその思いを忘れないように、書いて、書いて、その痛みを胸に刻んだ」


「そう、だったのか」


「あぁ。俺とお前は、違う。お前の音がお前の中にしかないように、俺の音は俺の中にしかない。そんな当たり前のことすら、俺は、忘れてた。それを思い出させてくれたのが、蛍琉だった。裏切ってごめん。酷いことをして、ごめん」


「……って……そういう……」


「え?」


「……いや、ごめん。なんでもない。あのさ、はっしー」


「うん」


「俺は、お前と、お前が作る音楽が好きだよ。それから、こうやって、ちゃんと伝えてくれてありがとう」


蛍琉の言葉に、橋田がぎこちなく笑った。蛍琉も、同じようにぎこちなく、けれど、確かな微笑みを、その顔に浮かべていた。


穏やかな雪解けが、二人の間に訪れた。

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