嫁取り物語

第5章 プロローグ 覆水難収


 ――日本・・とは明らかに違う世界だった。

 明らかに異なる王宮・・であった。


 豪華絢爛。

 石造りの柱には植物を模した細やかな装飾が施され、壁や天井には神話を元にした壁画が描かれている。


 数百人が入れそうなほど広い部屋。入り口から見て正面奥には玉座があり、その背後には見るものを威圧するかのように巨大なステンドグラスが据え付けられている。


 ステンドグラスが物語るのはこの国・・・の建国神話。背中から白い羽根が生えた神々に導かれ、初代国王たちが魔物から大地を取り戻す物語だ。


 そんなステンドグラスを背にして。


 気だるげな様子で玉座に腰掛けているのは――神話そのもの・・・・・・。金髪金目・背中から白い羽根を生やした美しい少女だ。


 いや、本来ならば“神”に対して『少女』という形容は正しくはないのだが……。それでもなお、見た目は少女としか言い表せない幼さを有している。


 そんな少女――帰蝶リーリスからは『師匠』と呼び慕われる少女が手にしているのは細やかな装飾が施されたゴブレット。その酒器には唯一の弟子が手ずから仕込んでくれたワインがなみなみと注がれている。


 少女がゴブレットを口元に近づけ、芳醇な香りを鼻腔に充満させる。残り少ないワインを楽しむように。今はもう異なる世界に旅立ってしまった弟子を懐かしむように。


 そんな少女を前にして。床に擦りつける勢いで頭を下げているのは玉座本来の主、この国の『国王』と呼ばれる人物だ。


 現役の国王が玉座を他人に明け渡すことなどまずないし、土下座をするなどもってのほか。だが、彼は迷うことなく最大級の謝罪を選択した。


「……このたびは、我が愚息が大変なご無礼を」


 国王の発言に少女は首をかしげる。


「本人はいないんだね?」


 そう。今回の件の元凶。リーリスに濡れ衣を着せて婚約破棄をした大馬鹿者。謝罪の場にもかかわらず、あのアホ王太子の姿がどこにもないのだ。


 これで『あのバカは地下牢に放り込んでおきました』という展開ならば少女もまだ納得できそうなものだったが……。


「……あの愚息は、くだんの男爵令嬢と駆け落ちをしまして」


 胃が痛いのか蒼い顔をする国王だった。

 散々やらかしておいて、自分はすべての責任を投げ捨てて駆け落ち。少女はもう言葉もなかった。というか、言葉すら浪費したくない。


「是非とも、愚息に代わりまして、リーリス様に直接謝罪いたしたく……」


「…………」


 今にも倒れそうな国王の姿にちょっとだけ同情してしまう少女。


 だが、それだけだ。

 彼のために何かをするつもりはない。


 そもそも。王太子が男爵令嬢と浮気をしていることを知りながら、『一時の気の迷いだろう』、『未来の国王たるもの、側妃くらい作らねば』と何の対応もしなかったのが国王この男なのだ。

 浮気をして婚約破棄した王太子ほどではないにせよ、少女にとっては『弟子を傷つけた敵』でしかない。


「残念だけど、リーリスはもうこの国を出て行ってしまってね」


 ゴブレットの中のワインを回しながら少女が切り捨てる。


 絶望をその顔に浮かべた国王が秘書官らしき男に視線を投げる。すべてを察したらしい秘書官がおぼつかない足取りで近づき、書類の束を国王へと手渡した。


「こちら、婚約破棄から我が国が受けた被害でありまして……」


「…………」


 どうやらこの男は同情を引きたいらしい。こんなにも被害を受けているのだから助けてくださいと。


 少女にとって、この国がどんな目に遭おうが興味はなかった。

 ただ、あのアホ弟子がどれだけやらかして・・・・・いたのかは気になったので書類を受け取ることにした。魔法で書類を浮かび上がらせ、自分の手元へと引き寄せる。



 ――生育不良による不作。


 ――魔物の大量発生。


 ――隣国による係争地域の奪取。


 ――大雨による堤防の決壊と、大規模な土砂崩れ。



「…………」


 不作が起こることは想定の範囲内。そもそも、いくら理屈上は可能とはいえ、空気から・・・・肥料を生み出す・・・・・・・なんて非常識を、一国の作物生産に影響があるほどの規模でやっていた方がおかしいのだ。


 リーリスに言わせれば自分がいなくなっても『ちゃんと他の人にもやり方は教えていましたし』となるのだろうが……。良くも悪くも、自らのバケモノ具合・・・・・・に自覚がないのがリーリスの欠点だろう。


「不作なんて、どうとでもなるでしょう? この国は元々豊かなんだから、飢え死にするほど困ることはない」


 今まではリーリスのおかげで増産できた分を他国に売り、荒稼ぎをしていたのだ。それがなくなるだけなのに騒ぎすぎだ。


 ……まぁ、この国の作物を当てにしていた他の国は可哀想なので、その辺は根回ししてあげようかと少女は考える。



 ――しかし、この国は見捨てよう。



 見捨てられることを察したのか国王が情けない声を絞り上げる。


「きゅ、急に収入が減っては、多くの国民が困ってしまいます」


「リーリスを捨てたんだ。覚悟の上でしょう?」


「……こ、ここまでとは思わなかったのです」


 国王の言葉には本音が透けて見えていた。リーリスがいなくなっても何とかなると思っていたら、予想以上に影響が大きかった。だから頭を下げて呼び戻そう、と。


 ざまぁないなと少女は鼻を鳴らす。


 不作は当たり前。

 魔物の大量発生も当然のこと。リーリスなんていう『怖い』存在がいなくなったのだ。魔物は嬉々として豊かなこの国を狙ってくるだろう。それ以前の問題として、魔物が増えすぎないよう適度に間引いてくれていたのもリーリスなのだから。


 隣国からの侵略も同じ。この国の最大戦力が急に出て行った。しかも王家からの冤罪と、一方的な婚約破棄によって……。領土問題を抱えた隣国がこの機を逃すはずがないのだ。


 ……しかし、堤防の決壊や土砂崩れまでもリーリスのせいにしているのは笑えない。国土の保全くらい自分たちの責任でやれという話だ。


 まぁ、リーリスがいれば誰かが頼む前に堤防の修復や被災者の救助をやってくれていただろうから、その意味では『被害』となるのだろう。何とも勝手な話ではあるが。


 結論。

 この国はもうダメだ。


 大前提として。

 本来ならばとっくの昔に・・・・・・滅びていた国だ。リーリスが先代国王に恩義を感じていたからこそ、リーリスからの『慈悲』が与えられ、ここまで予定以上に・・・・・生き長らえた。感謝されこそすれ、文句を言われたり恨まれる筋合いはない。


 だというのに。


「神よ、どうか、どうか御慈悲を! リーリス様に謝罪の機会を! そして、新たに王太子となった息子との婚約を!」


 こいつはまだリーリスを利用するつもりらしい。まだ、慈悲が与えられると思っているらしい。


 なんかもう面倒くさいから王宮を破壊して生き埋めにしてやろうかなぁと考える少女だが、やめた。こんな連中だとはいえ、『師匠』が殺したと知ればリーリスは悲しむだろう。


 ふぅ、と少女は小さくため息をつく。

 面倒くさいことこの上ないが、『神』としての裁定を下すとしよう。


「私は神だから。人々からの真摯な願いは聞き届けなければならない」


「おぉ! では――っ!」


「けれども、神であるから。人間に試練を与えなければならない」


 少女が、手にしていたゴブレットを傾けた。


 赤い色をしたワインがこぼれ落ちる。これからこの国で流れることになる『血』を暗喩するかのように……。


「リーリスの『故郷』には、こんな言葉があるそうだ。――覆水盆に返らず」


 こぼれ落ちたワインが絨毯にしみこみ、赤い染みとなって広がっていく。


「このワインを、一滴残らず器に戻すことができたなら。私はお前の願いを叶えてやろう」


「そ、そんなこと――できるはずがありません!」


「そう。じゃあいいよ」


 少女はゴブレットを床に落とし、踏みつぶした。お前の願いを叶えることはないと宣告するかのように。


 国王が唖然とした顔で踏みつぶされたゴブレットと染みついたワインを見つめていると――いつの間にか、少女の姿はかき消えていた。







「――やっちゃったーーっ!!」


 王宮近くの上空で。少女は頭を抱えながらのけぞっていた。


 国王に対しての対応を後悔している――わけではない。


「リーリスのお酒を! 残り僅かなお酒を! なんで零しちゃったかな私!? バカじゃないのかな私!? もったいなーーーーーいっ!!!」


 むっがぁっと空中で器用にもんどり打つ少女であった。リーリスから新しく作ったお酒を受け取る直前に今回の一件が起こってしまったので、ただでさえ残りのお酒が少なかったというのに……。酒はどんどん減るばかり。補充されるあて・・はなし。


「ぬぅううぅううぅうぅう……」


 恐る恐るといった様子でアイテムボックスを覗き込み、残りの酒を確認する少女。



「のぉおおおおおおぉおぉぉおおおぉぉぉぉぉ……」



 絶望的な残量。

 いや普通の人間が一人で飲むのなら十二分すぎるというかむしろ酸化を気にしちゃう分量なのだが、アル中――ではなく、お酒大好きな少女からしてみればもう無くなったも同然だ。


 なにより。残りを気にしながらチビチビと飲む酒ほど不味いものはない。


 ……いや、リーリスが『もったいないですから』と持ってきた醸造に失敗したお酒も不味かったし、それよりも不味いのはこの世界の酒だ。とにかく不味い。不味すぎる。


 少女は酔うために酒を飲んでいるのではない。酒を楽しむために酒を飲んでいるのだ。

 そしてこの世界の酒は、本来なら酒と呼びたくもないほどの出来栄えだ。


 …………。


 もしもリーリスが残したお酒がなくなった場合。少女はこの世界のお酒を飲むしか手はなくなる。


 そう。とても、とても不味いこの世界のお酒を。



 …………。


 …………………。


 …………………………。



「……よし! 『師匠』として、弟子が新天地で元気にやっているか確かめないとね!」


 決意した少女は千鳥足ならぬ千鳥羽根でどこかへと飛んでいくのだった。



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