第13話 それぞれの思惑


 ――鶴山城。

 稲葉山城から見て北方に位置するこの城の主、斎藤義龍は信頼できる家臣数人を集めて極秘の会議を行っていた。

 義龍はまだ二十代前半であるが、さすが『マムシ』の息子なだけはあり油断ならない顔つきをしている。戦国時代においては異常と言えるほどの高身長と恰幅の良さも相まって、戦う前から敵対の意志をくじかれかねない男である。


 そんな義龍は仕切り直しとばかりに扇子を自らの膝に打ち付けた。


「して。本物の帰蝶なのか?」


「幼少期の帰蝶様を見たことがある者は間違いないと断言しております」


「ふむ……」


 道三による帰蝶の紹介は突然のことであったため、鶴山城にいた義龍やその家臣たちは詳細を知らないままだ。

 兄妹とはいえ、母親は違う。さらに言えばいずれは他家に嫁入りするのだから義龍に挨拶がないことも不思議というほどではない。むしろ妙な『情』を移さないためには会わないことが自然とすら言える。


「…………」


 義龍の脳裏には幼い頃に見た帰蝶の姿が映し出されていた。年は離れていたし母親が別という『壁』も存在したためそれほど交流があったわけではないが、まるでこの世には善人しかいないと言わんばかりの朗らかな笑顔が強く印象に残っている。


 10年も前に行方不明となった帰蝶。それが今になって帰ってくるなどということがあるのだろうか? 義龍としては帰蝶が偽物ではないかと疑ってしまうが、しかし実物を見たことがある者は本人であると言う。


 帰蝶は母親譲りの特徴的な外見をしていた。南蛮人譲りの深い顔。この世のものとは思えぬ銀髪に、赤い瞳。そのような人間が日本に二人も三人もいるとは考えられず、顔も似ているとくれば替え玉を用意することは不可能だろう。


(ならば、本物か? ……いや、ここで重要なのは真贋ではない。政略結婚に使える“駒”が一つ増えたことを重視するべきか)


 斎藤家が今最も警戒するべきは尾張の織田弾正忠だ。

 しかし、信秀は最近病で伏せりがちだというし、長男は側室の子で支持基盤が弱い。さらに言えば正室の息子は『うつけ』であるという。そこに来ての美濃での大敗だ。今であれば有利な条件で帰蝶を織田に嫁がせることも可能だろう。


(まずは信秀が支援する土岐頼芸の追放。そして尾張方についた長屋景興や揖斐光親らへの後援を止めさせて……いや、父上であればその程度は考えておられるか)


 義龍は今後の展開について頭を悩ませるが、強面の巨漢が押し黙っているとそれだけで場の空気は悪くなる。


 重くなった雰囲気を打破するかのように家臣の一人が口を開いた。


「う、噂によりますと、帰蝶殿は怪しげな術を使うようですな」


「……ほぅ? 詳しく話せ」


「はは、なんでも致命傷すら一瞬で治せると豪語しておられるとか」


「それがしは下働きの者を集めてお互いに斬り合いをさせているとの噂を」


「なんでも毎日のように下男を部屋に招いているとか」


「……ふん、怪しげな妖術を使い、下々の者に殺し合いをさせ、毎晩快楽にふけっておると? そんな女を父上は娘として紹介したと?」


 義龍の不愉快そうな顔を見て家臣たちの悪態も加速する。


「その様はまるで殷において国を傾けた妲己がごとしと」


「お館様(道三)も帰蝶様の言いなりとなり、先日は商人に無実の罪をなすりつけて屋敷を召し上げたとか」


「城の金庫から金を持ち出し火縄銃を30挺も買い占めたとも」


「なんと、あのような音ばかり大きく役にも立たない武器を買い占めるなど無駄遣いにもほどがある」


「いずれ問い糾さねばなりませぬな」


 家臣たちは次々と帰蝶の悪評を口にするが、その多くは誤った情報だ。致命傷を治せることは事実だが、配下に斬り合いうんぬんは治癒術の練習のために小傷を作っているだけ。下男である権兵衛を部屋に招いていたのはあくまで治癒術を教えるため。商人の屋敷は双方納得の上で買い取ったもの。


 火縄銃に至っては購入資金は帰蝶の自腹。買ったのも30挺ではなく3挺と、正しい情報は『火縄銃を買った』しかない。


 しかし人の噂には尾ひれや背びれが生えてくるのが常であり。その情報の正しさを見極める方法を義龍は有していなかった。


「ふむ……致命傷を治す、か」


 事実であればそれでよし。うまく利用すればいいだけのこと。

 もしも父上が怪しげな修験者か陰陽師あたりに騙されているとしても……それはそれでよし。妄言暴挙によって家臣の心が離れれば後々やりやすく・・・・・なることだろう。


「帰蝶についてはしばらく静観しよう。妲己であればいずれ尻尾を出すだろう」


 時の帝を操り国を傾けんとした九尾の狐がごとく。

 義龍の言葉に家臣たちは深々と頭を下げた。





 ――同時刻。

 道三は私室に光秀を呼び出していた。大名ともあろうものが自室に家臣を呼び寄せることなど滅多にないのだが、今の道三にそんなことを気にしている余裕はない。


「よいか光秀。屋敷の準備が終わった以上、これから帰蝶が城下に出かけることも増えるだろう」


「ははっ、万難を排し帰蝶殿をお守りする所存」


「そう、その通り。すべての難事は排除せねばならん」


 そういって道三は光秀に近づき、一本の太刀を差し出した。


「よいか光秀。帰蝶に近づく男がいれば斬れ。帰蝶に色目を使う男がいたら斬れ。帰蝶に――」


「――こ、」


 この親バカ。と、口を突いて出そうになった言葉を光秀は何とか飲み込んだ。


「お、落ち着いてくだされ、お館様。そのようなことをしていては帰蝶様の評判に傷が付きます」


「む、それはいかん。ならば闇夜に乗して処分せよ」


「帰蝶様が知れば悲しまれるでしょう。そのような命を下したお館様をお嫌いに――」


「よいか光秀。半殺し。帰蝶に知られぬよう半殺し程度に抑えるのだ」


「…………、……御意に」


 すべてを諦めた光秀は深々と頭を垂れるのであった。




 後に明智光秀は織田信長に謁見することになるが、その時の様子を彼は『明智軍記』の中にこう書き残している。



 ――信長殿は噂通り破天荒な人物であったが、お館様や帰蝶に比べると幾分か増しマシであった。




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