第9話 瘢痕治療

 私は自分の部屋としてあてがわれた一室で今後の予定を立てていた。


 治癒術を広めるとして、まず必要なのは生徒の確保。次に教える場所。教材(ケガした人)は……戦国時代なのだから戦場にでも行けばたくさん見つかるだろう。


『医学を修めんとする生徒を戦場に駆り出すとは鬼畜の所行ですね』


「言い方に悪意しかない!?」


 でも生徒の安全確保は重要だよね。

 戦場の後方にゴザでも敷いて、僧侶の格好をさせておけば身の危険はないと思う。いや流れ矢が飛んできて刺さるかもしれないけど、そのくらいは自分で治療できるようになってもらわないとね。


 とりあえず最初は城の中を歩き回って才能のある人を探せばいいかな?


『銀髪赤目が城の中をうろつくとかちょっとした怪談ですね。恐怖、稲葉山城で山姥を見た』


「誰が山姥か。いや山姥=白人説もあるけど、『姥』はないでしょう『姥』は!?」


『実年齢的には十分『姥』なのでは?』


「私の年齢は15歳です! いままでも、そしてこれからも!」


 そろそろプリちゃんには本気のお説教が必要だなと考えていると、私付きの女中さんがふすまの向こうで座る気配がした。


「姫様。明智光秀様がお見えです」


「え? あ、そうですか。通してください」


 ふすまの向こうで女中さんが立ち上がる気配がして、しばらくすると光秀さんが入ってきた。


「先触れもなくすまんな」


「いえいえ、いとこ同士なのですからお気遣いなく」


 私がそう言うと光秀さんは床に直接腰をおろした。戦国時代であるからか座布団は見当たらない。


「お館様(道三)から、しばらくはおぬしの小姓をやるように命じられた。これからよろしく頼む」


「……こしょう?」


「あぁ、小姓だ」


「私、あまり詳しくはないのですけど、女性に小姓が付くものなのですか?」


 あと光秀さんだと年齢が高すぎない? 私のイメージする小姓は美少年・蘭丸なのだけど。光秀さんはたぶん二十代の前半くらいだ。


「私もあまり聞かないが、お館様がいいと言うのだ。問題はないのだろう。まぁ、護衛だと思ってくれた方が分かり易いか」


 なら最初から護衛と言えばいいのでは?


 話を聞くと護衛の他にも交渉役や、この国の常識に疎いであろう私へのサポート役も含まれているらしい。だから単純な護衛ではなく小姓にしたと。


「そういうことならこちらとしてもありがたいですが、光秀さんはよろしいのですか? 色々と忙しいのでは?」


「先の戦で尾張方に大勝したからな。しばらく大きな戦もないだろうし、問題はないさ。それに帰蝶の役に立てるなら本望だ」


『先の戦とはおそらくは加納口の戦いだと思われます。織田信秀、つまり信長の父親は大敗し、戦死者は二千人とも五千人とも言われています。そしてこの戦をきっかけに斎藤道三と織田信秀は和睦し、信長と――』


 プリちゃんの声が聞こえていない光秀さんが深々と頭を下げた。


「改めて感謝を。帰蝶のおかげで私は死なずに命を繋げられた。まだまだお館様に仕えることができるし、妻も悲しませずにすんだ。この恩は必ず返させてもらう」


「……お気になさらず。あのとき光秀さんと出会ったのは何かの“縁”でしょうから」


 というか、『いま光秀が死ねば本能寺の変が起こらないんじゃない?』とか考えていた私としては恩を感じられると罪悪感で心に致命傷を負いそうだ。


「……ふっ、帰蝶はいつの間にか大きくなっていたが、心の優しさは変わらないな」


 懐かしそうに目元を緩める光秀さんだった。わたし本物の帰蝶じゃないのに。罪悪感で心に致命傷以下略。


「そんな心優しい帰蝶にぜひ頼みたいことがあるのだが」


「? 何でしょう?」


「我が妻のことだ」



『妻木煕子のことですね。側室を持つことが普通だったこの時代、明智光秀は生涯彼女のみを愛しました。妻木煕子は重病となった明智光秀の看護疲れが原因で命を落としたとされています。もしかしたら……。愛する妻が自分のせいで死んだ――その事実が光秀の心を蝕み、本能寺に繋がった可能性もあります』



 何とも小綺麗な仮説だったけど、個人的には嫌いじゃない。


「我が妻は昔疱瘡を患ってな。幸いにして命は拾ったのだが左頬に痕が残ってしまった。その痕が今になって疼く……のではないかと思うのだ」


「ずいぶんと遠回しな物言いですが、本人が語ったわけではないのですか?」


「妻の様子を見てそうではないかと思ったのだ」


 よく奥さんのことを見ている。伝承通りの愛妻家みたいだ。別に羨ましくはない。恋愛経験☆絶無な私だけど微塵も羨ましくはない。ぐすん。


「では、奥方の様子を診て、場合によっては治癒をすればいいのですね?」


「できるのか?」


「実際見てみないと分かりませんので、断言はしないでおきます」


 と、いうわけで。

 私は光秀さんの奥さんを診察することとなった。





 翌日。

 私の部屋をまだ年若い女性が訪ねてきた。光秀さんの奥さん、煕子さんだ。元現代人な私から見ても十分な美人で、か弱そうな雰囲気が男心をくすぐる、のかもしれない。


 ただ、やはり、美人であればあるだけ左頬の瘢痕が惜しくなってしまう。本当に傷口が疼くかどうかは置いておいて、早急に治療してしまった方がいいだろう。


 しかし、今回は治癒魔法が使えなかったりする。

 なぜなら治癒魔法は時間系。時間を巻き戻して傷を治療するという理屈だからだ。傷ができてから時間が経てば経つほど時を巻き戻すために多大な魔力を必要としてしまい、何年も前の傷となると治すことはほぼ不可能となってしまうのだ。


 でも、こんな美人さんの頬に瘢痕があるのは惜しいし、なにより期待に目を輝かせる光秀さんを見ていると『無理ですね』とは言い出しにくい。


(……ま、これも“縁”があったということで)


 光秀さんが強引に繋いだ縁のような気がするけれど、気にしないことにする。


 私はアイテムボックスの中から初級ポーションを取りだした。

 ちなみに初級、中級、上級ポーションの区分は単純に使っているナノマシンの性能の違いだ。上級が一番性能が高いけどその分増殖させるための“エサ”に高価なものが必要となる。


「なんと美しいギヤマンガラスだ……」


 光秀さんが感心したようにつぶやいた。そういえばポーションを入れている蓋付きビンは透明ガラスだったな。戦国時代じゃ珍しいのか。


『といいますか、無色透明ガラスの製造方法は欧州ですらまだ確立されていないはずです。しかもカットガラスともなれば宝石と同じかそれ以上の価値があることでしょう』


 元の世界は錬金術(科学)が発達していたし、多少の無茶は魔法で押し通せたものね。基本的な社会構造は中世だったけど、一部の科学技術が先行していてもおかしくはないのか。


 プリちゃんの解説を聞きつつ私はポーションを手に馴染ませ、化粧水のように煕子さんの頬に塗り込んだ。

 ナノマシンはすぐに所定の性能を発揮し、まるで時を巻き戻したかのように煕子さんの瘢痕は消え失せた。


 考えるまでもなくポーションは便利だ。

 でも、これに頼りすぎるのも危険だよね。やはり治癒術と通常医術の二本柱で教育するべきか。


 そんなことを考えていると光秀さんは飛び跳ねる勢いで喜びはじめ、状況を理解していなかった煕子さんも私の差し出した鏡で事態を飲み込んだのか――二人はキツく、キツくお互いを抱きしめ合いながら涙を流していた。


 何という深い愛。

 感動だ。

 こっちまで涙が出そう。


 そう。私は愛し合う二人を純粋に祝福しており。けっして、ぜったいに、『リア充爆発しろ』なんて考えてはいない。いないのだ。


『本音がダダ漏れですが』


 プリちゃんが深々とため息をついていた。


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