第70話 宴のはじまり

「ははあ……。じゃあ、君は先祖が蛇で。そちらは現役の巫覡ふげきさん。ひょええ」


 蘆屋の素っ頓狂な声が聞こえてきた。顔を向けると、蘆屋建設と書かれたテントの中に、蘆屋、石堂、悠里、榊がいる。


 運動会などでよく見る屋根だけのイベントテントだ。今日使った資機材は明日撤去なのかもしれない。雨露に濡れないよう中に引き込んであった。


「おばさんねぇ、あの榊さんってひとが気になって気になって」


 河原なだけに足元が悪い。足裏の石がぐらりと揺れて右に傾く彩の肩を慌てて支えると、口元を近づけて彼女はそう言った。


「榊さん?」

 聞こえるとは思わないが、翠も配慮して小声で尋ねる。


「あのひと、私たちとは次元が違うレベルね。お近づきになりたいような、なりたくないような」


 呟くように彩は言い、翠は思い出す。そういえば自分も初対面のときに彼に対して畏れに似たものを感じたことを。


「あなたの恋人は変な人とたくさん知り合いなのねぇ」


 彩は苦笑いを口元に浮かべてテントに近づいていく。翠は黙ってそのあとに続いた。否定はしない。というかできない。


「わー、伯母さんかっこいー」


 最初に声をかけてきたのは悠里だった。今日も随分とラフな格好だが、人懐っこい彼の雰囲気にとてもよく似合っている。にぱりと笑って拍手をすると、彩は顔をほころばせた。


「どうもありがとう」

「お姉さんもまたこれ……。ってかさ」


 ぷぷー、と悠里は笑った。


「子どものころもその格好で行事に参加してたんでしょう? 法事じゃないよ、それ。明らかに」


 笑われても仕方ないと翠は口をへの字に曲げた。


「今から考えたらそうだけど……。当時はそう思ってたのよ」

「赤は魔除けですからね。子どもを参加させるのなら妥当な色でしょう」


 榊が頷くそばで蘆屋が目を輝かせた。


「なになになになに! 面白そうな話しているじゃない。どういうことよ。あとで詳しく教えてね」


 蘆屋建設と刺繍の入った作業着には乾いた泥がついている。彼も作業員のひとりとして中洲で竹を伐採してくれたのだろう。昼には石堂が大量の差し入れを作業員たちにしていた。


『特に事故はありませんでした。蘆屋さんもほっとしておられます』


 折箱に料理を詰めながら石堂が教えてくれたが、彼自身も随分と表情がやわらかくなっていた。彩が『伐採しても大丈夫』と言っていたとはいえ、今まで多くの事故が起こった場所だ。気も張っていたのだろう。


「可愛いですね。とてもよく似合っていますよ」


 目が合うと、石堂が表情を緩めてそんなことを言うから顔が熱くなる。


 途端に榊が、ぴうと短い口笛を吹き、悠里が、きゃははははとくすぐったくなるような笑い声をあげるから更に恥ずかしい。


「感無量だよね、悠里くん。あの石堂くんが恋人を手に入れるなんてさ」


「ほんとだよー。尊って独身のまま寂しく死ぬのかとおもってたもんねー。三十路の春だ、三十路の春。尊から男の臭いするもん。やらしー」


「なになになになになに! その話も面白そうじゃないか! 詳しく詳しく!」

 榊と悠里の間に蘆屋が丸い顔を突っ込んでいる。


「そんなことより、このあとの進行について詳細を伺いましょうか」


 うひひひひ、あのね、と話し始めようとした悠里の言葉を断ち、石堂が咳払いをする。


「今から、私とみどりとで……。村中から集めた穢れに料理や酒を提供します。みなさんは引き続きここで待機をお願いできれば」


 彩が告げると、蘆屋が親指でもう一基のコンテナを差した。


「あれの中にいるのかい? 穢れが」


 蘆屋は興味津々だ。

 だが、翠はあれがおぞましくて仕方がない。


 朝、石堂とともに研修施設から河原にやってきたときは、ただのコンテナだった。

 まだ蘆屋建設は到着しておらず、前日に設置したと思しきコンテナだけが漂着した異物のように翠の目には見えた。


 そのあと彩がワゴン車に大量の食材や調理器具を押し込んで到着し、石堂と共にコンテナ内に移動させていると、蘆屋建設がやって来て中洲の竹を伐採し始める。


 時折調理を翠に任せて、彩が中洲に行って作業の確認や指示をしていたが。

 そのとき、窓から見えるもうひとつのコンテナは風景と同化してさえいた。


 それが一変したのは彩が河原に立てていた竹の先端を切り取って中に納めてからだ。


 途端に禍々しい雰囲気を内部から吐き出し始め、翠は見るのさえ嫌になっていた。

 その雰囲気は悠里や榊も気づいているらしい。


 石堂に呼ばれてやって来てくれたらしいふたりは、到着するなり『あのコンテナ何』と目を丸くしたらしい。


「笹や竹は依り代になる」


 一体どこから取って来たのか、榊自身も竹の葉がついた枝を持ち、ぶらぶらさせた。


「河原に立たせた竹に、村中の穢れを集めさせたんでしょう。ほら、まだたくさん集まってきている」


 榊が穏やかな顔で河原にぽつりと立つ一本だけになった竹を差すが、当然石堂や蘆屋の目にはそれ以上なにもわからない。


 榊は相変わらず表情を変えないが、悠里などは顔を背けて「うげぇ。みたくない。枯葉でくしゃみが出そう」と手でなにかをはらっている。


「そして、あのコンテナの中に穢れを入れ続けている」


 榊が持っている竹の枝でコンテナを差した。


 ごおおおおおお、と。

 山から風が吹き下ろし、川に沿って流れる。


「良い風だけどまだ弱い」

 彩が風に目を細めた。


「宴席が終わるころには山姫さまの息吹いぶきが走る。穢れも一晩で吹き散るでしょう」

 彩は石堂に顔を向けた。


「そうすれば、多少、布士正雄の力も弱まる。それを狙うしかない」

 石堂は無言でうなずく。彩はそんな彼に尋ねる。


「お願いした酒はどこに?」

「こちらに」


 石堂が身をかわし、テントの隅を指差した。

 コンテナ内にもあるような簡易の長机の上には瓶ビールや日本酒の瓶が幾本も並べられている。


 彩は無言でひとつ頷くと、長机に近づいて一升瓶を持ち上げた。


「みどり。これを持っていきましょう」

 促され、翠は両手で受け取った。彩は再び石堂に顔を向ける。


「たぶん足りるとは思うのですが……。ひょっとしたら追加で買いに行っていただくかもしれません」


「それは問題ありません。遠慮なく言ってください」

「ええ、それでは石堂さんはここで待機を」


 石堂が物足りない顔をしたのだろう。彩は苦笑いを浮かべる。


「この中で一番穢れの影響を受けるのはあなたです。本当は研修施設に残ってほしかったんですがそれじゃあ納得しないでしょうし……。私的にもかなり譲歩してここにいてもらっているんですから、これ以上私と翠には近づかないようにお願いしますね」


「……わかりました」

 不承不承返事をする石堂に、翠は小さく手を振った。


「じゃあ行ってきます」

「気を付けて」


 遠慮がちに手を振り返してくれる石堂に笑いかけ、翠は彩とともにコンテナに向かう。

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