第21話 怪我

「県大会の個人戦、決勝でした。名田も、お相手の選手も優勝を期待される選手で……。まあ、実力は互角。どっちが勝ってもおかしくない感じでした」


 思うに末松は二年部の学年主任であり、剣道部の顧問でもあるのだろう。


「試合終了まで残り三十秒で、名田がメンを取り、もう勝ちは見えたようなものだった。そのとき」


 末松が言うには、なにかに足を取られたように、名田が体勢を崩したのだという。


「たぶん、汗で滑ったのでしょう。よくあることです。そこを、お相手の竹刀が狙ってきた」


 真っ直ぐ下ろされた、相手選手の竹刀。

 それは名田の面に炸裂した。


「有効打突部位に当たり、名田だけじゃなく、わが校みんなが、しまった、と思った瞬間」


 竹刀が砕けたのだそうだ。


 いや実際には、折れたのだが。

 末松の目には、つぶてか弾丸が当たって、竹刀の中締なかじめあたりから砕け、そして折れたのだと思ったそうだ。


「折れて、ざっくりと尖った先端が、面金めんがねを通して名田の顔にめり込みました」


 うわ、と言いかけて翠は必死に声を堪えた。


「試合は当然ですが中止です。あまりにも深く顔に刺さっているので、抜くことははばかられ、救急車にも顔に竹刀を突き刺したまま、名田は運ばれました」

 末松の語尾は吐息交じりだった。


「試合は中断しましたが、怪我をするまでは名田さんが優勢であったため、彼女は優勝。全国大会への切符を手にしましたが。……それまでに癒えるかどうか」


 校長が痛ましそうに首を横に振る。


「やはり、重傷……だったんでしょうか」


 無意識に自分の顔の右部分をさすりながら翠が尋ねる。可哀想に。思春期という一番難しい時期にまさか顔を怪我するとは。


「多少痕は残るでしょうが、失明も骨折もしていないそうです。医師が言うには、化粧でカバーできる程度だ、と。ですが、その……」


 校長は言葉を選びながら、慎重に話をする。


「こんなことを言うのはあれですが……。非常に綺麗な生徒でした。剣道の月刊誌が取材を申し込むこともあったほど」


 翠は察する。『化粧でカバーできる』ということは、傷は残るということだ。この先ずっと。その綺麗な顔に。


「本人も、自分の外見については自覚していたと思いますよ」

 末松は視線を落とし、無意味に床を見た。


「随分とふさぎ込み、時折ご両親に意味の分からないことを訴えているそうです」


 校長は頷き、石堂を見た。


「実は、ご両親が石堂様にお会いしたい理由は……、謝罪のためというより、その不法侵入した土地について聞きたいらしいのです」


「……中洲」


 我知らず翠が呟く。校長と石堂の視線を感じ、慌てて口を手で覆った。


「名田は、ずっと『あんなところに行かなければよかった』と泣いているらしく……。その場所が、保護者にはわからんらしいのです」


 末松が心底困り切った、と言わんばかりに眉をハの字に下げた。


「もちろん、学校の方にも問い合わせがありましたが、わたしらにもわかりません。中学生というのは、大人のように見えてまだまだ無鉄砲な子どもだ。突発的に考え、行動してしまうと大人の範疇を超えるのです。

 お恥ずかしい話ですが、ここのところわが校の生徒が問題行為を起こすことが増えておりまして……。なんとなく校内が……、というよりこの町全体が不穏なのです」


 末松が言い、校長も深く頷く。


「石堂さんからお話を伺ったとき、気が付いたんです。名田が言っている『行かなければよかった』という場所は、不法侵入した場所ではないか、と」


 校長が末松と顔を見交わした。


「それで保護者に連絡をしたところ、明日にでもお会いしたい、ということで……。もちろん、お詫びもかねて、でしょうが」


 末松は「ご都合いかがですか」と続けたが、石堂は柳眉を若干しかめた。


「明日、ですか」


 そういえば、ついさっきランチミーティングを入れていたな、と翠は石堂に申し出た。


「私が代わりに聞いてきましょうか。あの場所に行ったのか、ということと、なにか見聞きしたことがあるのか、ということと」


「なぜ、そこに行こうとしたのか、もお願いします」


 石堂が言う。それもそうだ、と翠は頷いた。


「それでは、保護者さんとの席を用意していただけますか?」

 石堂が言うと、末松と校長は立ち上がる。


「すいません、ちょっと保護者に連絡してきます」

「もうしばらくお待ちください」


 ふたりは小声で何か言いあいながら校長室を出る。

 図ったように、始業のチャイムが鳴った。


 びくり、と翠は肩を震わせる。


 チャイムが鳴る前の、きぃいん、という音が昔から嫌いだった。


(これ、今もあるんだなぁ。ほんといやだ)


 小さなころのように耳塞ぎこそしないが、気持ちが悪くて耳たぶをひっぱる。「布士さん」と、隣から声をかけられた。


「はい」

 慌てて顔を向けると、石堂が難しい顔をしている。


「本当ならわたしが同席してしかるべきなのですが……」

「お仕事なら仕方ないじゃないですか。それに私、これでお給料頂いていますし」


 にこりと笑うが、石堂は相変わらずしかめっ面だ。


「ですが、なにが起こるかわかりませんから……。ひとりは危ない。さっき連絡をしました。水地みずちを同席させますので、ご心配なく」


 水地、とは。


 そんなことを考えながら、「はあ」と翠は返事をした。

 はて、どんなやつなのだろう、と想像しながら。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る