36話 不審の種 (1)


早朝5時にセイレンは欠伸を抑えながらイラーマリン騎士団本部に向かった。


朝から検視が必要で他の検視官はもちろん嫌がったので若くて女性という理由で出勤させられたのだ。


いつも行きに買うパン屋は準備中で仕方なく水筒に入れたホットココアを飲む。


保温作用があまりないので水筒自体はココアの熱で素手で触らないのに中身は少しぬるくなっていた。


本部に着くと騎士団交通課の騎士団員が数人と捜査課のタマルがいた。


「お!申し訳ないね。セイレンちゃんこんな早くに」


交通課の騎士団員が手を挙げてこちらに来るように伝える。


「いえ大丈夫です」


それよりセイレンは連絡鳥で交通事故の検視とそれに伴う調書の作成を言われていたのでてっきりただ雑務処理だと思っていた。


しかし捜査課のタマルがいてしかも一人という事にセイレンは何かあると感じた。


「とりあえず仏さんは遺体安置所に保管してあるよ」


そう言って交通課の騎士団員たちは仮眠室に入って行った。


「ご飯は食べたか?」


タマルは少し目元にクマが出来ていた。


「食べてませんけど」


「その方がいい。今回の遺体はなかなかだぞ」


遺体安置所の扉をタマルとセイレンは開ける。

中は冷たくて独特の匂いがした。


鉄のベットの上に一人の遺体が乗っていた。

顔と頭に長いタオルが置かれていた。


「……この匂い脳脊髄液のうせきずいえきですね」


「交通課の話だと運送馬車の運転手が運転を誤り建物に頭から直撃したそうだ」


セイレンはタオルをどかす。

するとすでに誰だか判明できないほど頭部の損傷が激しく眼球は一つなく頭蓋骨が破裂して脳味噌の大半がなくなっていた。おでこの皮膚が剥がられて骨が剥き出しになっておりそこから透明な汁が出てきていた。


「確かに。これはなかなかですね」


セイレンは頭部の方に回り込んで頭蓋骨の中を覗いた。


「あれ?…なんか変だな」


「何か変なんだな?」


タマルの言い方に少し違うニュアンスを感じたがこの傷に見覚えがあったのだ。


「これ昨日、ベルルベット達に殺されたダールさんの左足首の損傷と同じです。本来、頭から建物に激突した場合は頭蓋が陥没するかバキバキに折れちゃうかなのにこれは頭蓋骨が吹き飛んでいて脳髄が出ている」


「つまり内部からダメージを負っているってことだな?」


セイレンは勢いよくタマルの方を見る。

捜査課のタマルがなぜここにいるか分かったのだ。


「おそらくベルルベットが関係していると思います」


タマルは腕を組んで頷く。


「ダールの供述調書で22区に行くために運送馬車を使ったと書いてあった。この傷じゃその運転手がこの人かどうか分からないが仮にこの事故にベルルベットが関与しているならおそらくこの人がダールを乗せた運転手なのだろう」


セイレンは遺体の頭部にまたタオルを乗せる。


「私にもそのダールさんの供述調書、見せてくれませんか?」


「………わかった」


セイレンとタマルはオフィスルームに向かいタマルのデスクで止まった。


まだ本部に来ている騎士団は少なく夜勤をしていた者が帰る支度をしていた。


「俺のデスクに入ってるがここで見るのは危険だ。書類格納庫で見よう」


タマルはダールの供述調書と押収品とダミーの書類をいくつか持って格納庫にセイレンと向かった。


格納庫はまだ薄暗く古い紙の匂いがした。


タマルは格納庫にあった長机に供述調書を並べる。

押収品を置いた。


「多分ていうか絶対ですけどここのダールさんの会話不自然ですよね?」


タマルもセイレンが見ていた供述調書を覗く。


「どれだ?」


「この21区で運送馬車に乗って22区に行ってる所なんですけどポケットに大量の札束を入れてるのに通すわけないですよね?」


「賄賂だろうな」


「ええおそらく賄賂です。でも運転手が自分の金を使うはずないんですよ。おそらくダールさんの札束から払った。その時に多く貰っていたから今回殺された」


「そういうことか。この賄賂を貰った検問官もマフィアの金を持っている」


「そういう事です」


タマルはいきなり慌て始める。


「その検問官もすでに殺されているかも知れない!」


セイレンも立ち上がった。


「ここに書いてる無精髭の検問官って誰だか分かりますか!?」


タマルは目をつぶって考え始める。


「えーと確かモンドールさんだった気がする」


「だったら早く会いに行かなきゃ!」


格納庫から出ようとするセイレンの腕を掴む。


「待て!よく考えてくれよ。今俺達がモンドールさんに会いに行ったらこの事を話さなきゃいけなくなる。もしベルルベットの周辺を嗅ぎ回っている事をビジール団長の耳に入ったら…」


セイレンは肩を落とす。


「そう…ですね。じゃあモンドールさんが今日無事に来ることを祈るしかないって事ですね」


タマルとセイレンの予想に反してモンドールは8時40分に出勤してきた。


仕事はまだ始まっていないのにすでに20時間以上働いているぐらい顔に疲れが溜まっており目の下のクマはタマルの比ではなかった。手には包帯が巻かれていた。


タマルとセイレンは目を合わすとモンドールが動くまでじっと待った。


20分してモンドールがコーヒーを飲みに休憩室に向かった。


仕事が始まって20分しか経っていないので休憩室には誰もいなかった。


モンドールは大きなため息を二度して髪をかきむしった。


コンコンと休憩室の扉がノックされてセイレンとタマルが入ってきた。


「あれ?モンドールさん?どうしてここに?」


タマルはモンドールがいる事に驚いたフリをした。


「……いやちょっと」


「顔色が悪いですよ?昨日なにかあったんですか?」


セイレンが心配そうに尋ねた。

タマルはいきなり過ぎるだろと思いながらモンドールの顔を見ていた。


「え?あ、昨日?なに?」


モンドールは狼狽し始めた。


セイレンとタマルは目を合わせる。


「やっぱり昨日なんかあったんですね?」


モンドールは驚きながらセイレンの顔を凝視する。


「その手どうしたんですか?」


タマルが包帯が巻かれている手を指差した。

モンドールはさっと手を隠す。


「いや別になんでもない」


セイレンはじれったくなっていた。

ベルルベットが関わっている確実な証拠が欲しかった。もし昨日、ダールに関わっていた人物が次々に何かあったとしたなら蚊神にも危険が及ぶと考えたのだ。


「ベルルベット・ギルジーニと何かあったんですか?」


セイレンは思い切ってそう尋ねた。


「お、おい!何言ってんだ!」


タマルが止めに入る。

しかしセイレンはタマルの顔に見向きもせずにモンドールの表情を見逃さないように目を逸らさなかった。


モンドールは目を大きく開くとほとんど聞こえないように声を出さず「どうして」と口を動かした。


その様子を見てセイレンは確実だと思った。


「なに言ってんだかセイレンさんは昨日あんな事があったからって考えすぎだし失礼だろ?」


タマルは嘘笑いをしながらセイレンの肩を叩く。

モンドールは下を向いていた。


「そ、そうですよね。失礼なこと言ってすいませんでした」


セイレンは頭を下げる。


「あ、ああいいんだよ」


モンドールはセイレンを見ずに小さな声で言った。


セイレンとタマルは休憩室を後にする。


「なに考えてるんだ!セイレンさん!あんなことしたらすぐに!」


セイレンは全く違う事を考えていた。


蚊神さんに危険が迫ってる!

私…あの人を助けたい。あの人が死んだらやだ!


「タマルさん!お願いがあるんです!」


セイレンはタマルの手を握る。


「え?な、なに?」


「私、蚊神さんを助けたい!」









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る