第2話

 「ねえ、ミコトくん、あの建物何?」

 ミコトは箒を持つ手を止めて零が指さす窓の外へ目を向ける。

 どうやら小プールの奥にある古い建物のことを言っているらしい。

 「あれは北校舎だよ」

 大和が割り込んで答える。

 「俺らが入学する前はあっちの校舎を使ってたらしいけど、今はこっちの新校舎があるから」

 大和がミコトを押しのけて零の前に立つ。

 「せっかくだしこの後の昼休みで俺らが学校案内してやるよ」

 大和が胸をたたきながらそう言うと零はとても嬉しそうに笑った。



 昼休みが終わり、零と大和たちが教室に戻ってくる。

 零はすっかり彼らと打ち解けたようで、先生がやってくるまで教室の後ろの方で何やら楽しそうに話していた。



 ミコトが先生の声を子守歌代わりにうつらうつらとしているとチョンと右手に何かが当たる感触がした。

 驚いて右を見ると零がニコニコしながらこちらを見ていた。

 「あったかいから眠たくなっちゃうよね」

 ふふっと笑う零を見て恥ずかしさで顔が熱くなる。

 零は赤くなったミコトの耳に顔を近づける。

 「ねえ、この学校って七不思議っていうのがあるんだね」

 ミコトは零が急に学校の怪談についての話題を出してきたことに驚いたが、昼休みに大和たちと校内探検をしていたことを思い出す。

 「前の学校にはそういう話、なかったの?」

 「うん。古い学校にはそういうのがあるって聞いたことはあったんだけど…」

 「そうなんだ」

 ミコトは普通の友達のような会話をすることができたのが嬉しくて心臓がどきどきした。

 ドンッ

 座っている椅子に衝撃が伝わる。

 後ろの席に座る大和から椅子の底を蹴られたと瞬時に理解したミコトは冷や水を浴びせられたような心地になり、すぐに教科書へと視線を戻した。



 授業が終わった生徒たちはこの後何をして遊ぶかなどを楽しそうに相談しながらランドセルに教科書を詰め込んでいる。

 外は明るく、澄んだ空には雨が降る様子もない。

 「ミコトくん、あのさ、」

 既に帰る準備を済ませランドセルを背負った零が少し緊張した面持ちでミコトの方を見ている。

 どうかしたのだろうかと不思議に思っていると、零は覚悟を決めたような顔をして大きく息を吸う。

 「ミコトくん、よかったらこの後」

 「零くん、零くん!」

 後ろに集まっていた大和たちが零の言葉を遮る。

 零は一瞬不満げな表情をした後、大和たちの方へ顔を向ける。

 「俺ら今から隣町のカシラギに『くねくね』っていうやつ探しに行くんだけど一緒に行かね?」

 零は聞き慣れない単語に首をかしげる。

 「くねくね?」

 「そ。くねくねっていう白くてくねくね動く妖怪が出たってカシラギで噂されてるってにーちゃんから聞いたんだけど、どう?」

 零が瞳をキラキラと輝かせる。

 「なにそれ!おもしろそう!僕も行きたい!あ、ミコトくんも一緒に行こうよ!」

 零がミコトへ顔を向ける。

 大和たちはあからさまに嫌そうな顔をすると、わざとらしく大きなため息をつく。

 「なあ零くん、あんまそいつと関わらないほうがいいぜ」

 「どうして?」

 大和は刺すような視線をミコトに向ける。

 「あぁ、そういやまだ教えてなかったな。そいつ、何言っても喋らないイワオだし、女子みたいにすぐピーピー泣くからクラスのみ~んなから嫌われてんの」

 周りの4人も「そうそう」「それな~」と大和の発言に相槌を打つ。

 零はふーんと言うと隣でうつむいているミコトをちらりと見て再び大和たちの方へ視線を戻した。

 「でも僕ミコトくんと先に遊ぶ約束してたから、大和くんたちには申し訳ないけどまた今度でもいいかな」

 まさか自分たちが断られることになるとは思ってもいなかった大和たちは動揺の色を見せたが、ミコトを睨みつけると小言を言いながら教室から出ていった。

 気が付けば教室はミコトと零の二人だけになっていた。

 零はうつむいたまま動こうとしないミコトの手をやさしく引きながら教室の出口へ向かった。



 セミの鳴き声が響く道を二人は無言で歩く。

 道の横の細い水路では魚たちがキラキラとした光をまといながら楽しそうに泳いでいる。

 不意にミコトの前を歩いていた零の影が止まる。

 「ミコトくん」

 ミコトは立ち止まったままの零の背を無言で見る。

 「ミコトくん、大和くんたちにいじめられてるの?」

 そう言うと零はゆっくりとミコトの方を振り返る。

 図星を指され、言葉に詰まる。

 「ねえ」

 零が一歩近づく。

 「上履きも大和くんたちにやられたの?」

 ふとセミの鳴き声が止み、静寂が二人の間を通り過ぎる。

 「あ……」

 ミコトが何とかその場を取り繕おうと精一杯の笑顔を作りながら口を開くと、水が頬を伝って地面に落ちた。

 雨が降ってきたのかと思い上を向くが空は青く輝いている。

 「ミコトくん、泣いてるの?」

 零が心配そうにミコトの顔を覗き込む。

 ミコトは自身の頬に触れてはじめて自分が泣いていたことに気が付いた。

 急な出来事に自分自身でも驚きながらも次から次へと湧き出てくる涙をなんとか止めなくてはと思い両手でごしごしと頬を拭うが、涙が止まる様子はない。

 混乱しているのか「あれっ?あれ?」と崩れかけの笑顔のまま何度も頬を拭うミコトを零は少し動揺しながらも近くの木陰へと連れていく。

 木陰につくとミコトはへなへなとその場にしゃがみこんでしまった。

 零はどうすればいいのか分からずあたふたとしていたが、しばらくすると泣いているミコトの隣に腰を下ろしそのまま黙って青い空と山を眺めた。


 落ち着きを取り戻したミコトが膝を抱えうつむいたまま「ごめんね」とつぶやいた。

 零はほっとしたような表情を浮かべる。

 「僕もごめんね。大丈夫?もう少し休んでいく?」

 ミコトは首を横に振り立ち上がると、同じように立ち上がろうとしている零に手を差し出した。

 零は眩しそうに目を細めながら満面の笑みでその手を握り返した。


 二人は雲が何に見えるかなどの他愛のない会話をしながら青空の下を歩く。

 家に帰ってから何をしようかという話題になった時、突然零がミコトの前に立ちふさがった。

 「ねえ、ミコトくん、この後用事ある?」

 「何もないよ」

 ミコトの返事を聞いた零は「よしっ」と言い小さくガッツポーズをした。

 「今から僕の家来ない?」

 ミコトはまんまるに見開かれた目で零を凝視する。

 「家って、おいなり神社の?」

 零は大きく首を縦に振る。

 「そう!僕もっとミコトくんとお話ししたいし」

 それに、といたずらを企てているような顔をして零は耳打ちする。

 「神社のカミサマに大和くんたちに意地悪されませんようにってお願いしたら効果あるかもしれないし」

 どうかな?と尋ねられたミコトは大きく首を縦に振った。

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