【BL】LOVE LETTER FROM A DEAD END
あおいあおい
第1話
ラーメンの残り香が漂うリビングに、それぞれのパソコンに向き合うふたりの男がいた。謎を求めてニュースサイトを漁る男と、不器用な仕草でブログを更新する男。一人が「退屈だ!」と声を上げたタイミングで、もう一人のパソコンが着信音を奏でた。
「事件か!?」
好みの事件しか請け負わない自称探偵業を営む丹野は期待で目を輝かせる。
「出版社の編集者から、本を書きませんか、とDMがきた」
マネージャー兼助手の僕も当然ながら暇である。
お金の匂いに、思わず小鼻が膨らんだ。
僕たちは貧乏をすりあわせて、同居しているからだ。
「野田のブログを読んでいるのか」
「そうだよ。愛読してるって」
「無能編集者だな」
「類いまれな構成力と文章力だってさ。ブログをそのまま本にするのではなく、実際にあった事件を参考にした推理小説を書いてみませんかって。いやあ、まいったなあ、僕は小説家デビューしちゃうのか」
丹野と僕が関わった事件を元に、僕はブログを書いている。タイトルは『世界一の名探偵丹野の事件簿』。多少の誇張はビジネスには必要なのだ。
丹野はノートパソコンをぱたんと閉じた。表情が険しい。
「本気か?」
「もちろん実際の事件をそのまま書くわけにはいかないな。フェイクをいれる必要がある。訴訟になっても困るからね。完全なオリジナルに仕上げないと」
創作意欲がむくむくとわき上がってきた。丹野と自分をモデルにした小説ならば、大長編が書けそうな気がする。キャラクター設定はばっちりだ。
「そこで丹野君にききたい。僕が知らない事件で印象に残っているのはあるかい。これまでにたくさんの事件を扱ってきただろう。たとえば精緻なトリックやおぞましい怪事件、不可思議な現象」
丹野は僕と知り合う前から探偵業をしていた。案件を選り好みしていたせいで窮乏を極め、家賃を滞納してアパートを追い出されたあとは、SNS上で名推理を披露するホームレス探偵として、そこそこ有名だったらしい。ただしビジネスとして成り立つようになったのはここ半年くらいである。つまり僕とタッグを組むようになってからだ。
「しかし、トリックに関しては現実的には稚拙なものばかりだったぞ。幸運が重なって奏功したものの、しょせんは警察に見破られた程度だからな。俺なら別のもっと良い手段で完全犯罪を成功させることができるだろう」
「ほほう、たとえば?」さっそく、メモを取る用意をした。
「野田。君の日頃の言動から推察するに、君が書こうとしている推理小説は、不必要な恋愛要素が混じって消化不良になるはずだ。読んだ者の体調をそこねる。訴訟案件だ。やめておいたほうがいい」
「れ、恋愛体質なのは否定しないけど、僕が書くと読者の体調をそこねるとは酷い言いようだな」
丹野は恋をしたことがないのだろうか。以前、僕がバイト先で出会った素敵な女性の話をしたら銃弾の射出角度の話で遮ってきたし、デートに出かけようとしたらイヌサフランの毒性について講義するからキャンセルしろと無茶なことを言ってきた。おかげで僕はフラれた。彼に言わせれば『遅かれ早かれフラれるのだから、時間と金を浪費しないで済んだのだからむしろ感謝してもらいたい』ときたもんだ。
僕は大きく息を吸って、はきだした。
丹野相手に精髄反射しても、何もいいことはないとこの半年で充分学んでいるからだ。
深呼吸を三回もすると、心の器が大きくなった気がした。
「オーケー。では丹野が書いたらどうだろう。誰にも真似できない新感覚の推理小説になりそうだし」
「難解にならないように加減して書くのはかえって難しい」
「興味あるよ。読んでみたいなあ」
「……ふん、ではやってみよう。自室で執筆する」
丹野はリビングを出て行った。なぜか唐突にやる気スイッチが入ったようだ。創作に集中している間は「退屈だ」と騒がないでいてくれるだろう。
僕が考えていた推理小説は名探偵と優秀な相棒の冒険譚だぞ。何が不必要な恋愛要素だ。そんなものはなくったって……まあ、あったっていいけど。あるほうが読者にウケるのかな。
「できた」
丹野が一枚の紙を手にリビングに戻ってきた。僕を見るなり「気持ち悪い顔をしている」とほざく。
恋愛要素に神経を持って行かれていた僕は慌てて頬を引き締めた。
「う、うるさい。何ができたんだ」
「君は認知症か?」
「え、まさか小説じゃないだろう。まだ3分も経ってないし、1枚だけだし。プロットか?」
「目を通してから言いたまえ。処女作だ」
僕は丹野が書いた小説を人類で初めて拝読する栄に浴した。ざっと目を通す。結末まで読んでから、もう一度頭から読んだ。三度、四度。
意味が分からない。
「丹野君、あのさ、変死体が地下鉄で発見される出だしはいいと思うんだけど……」
「続けたまえ」
「探偵役が現場を見にきたあとが急展開すぎないか」
「スピード感を重視した」
「いきなり『犯人は睡眠不足の図書館司書。凶器は茄子。探偵は喝采の中退場。エンド』ってどうよ。1ページと最終ページをくっつけただけじゃん。あいだはどこいったのさ」
「あいだって?」
「複数の犯人候補を登場させて読者を惑わせたり、ミスリードを誘ったり。探偵は苦心してトリックをみつけたり、動機を探ったり。そういう醍醐味がない」
「ヒントは出だしに全部書いてある。俺なら現場を一目見れば犯人は推測できる。あれこれ迷うほうが真実味がない」
なるほど、天才の思考とはこういうことか。推理小説の読者とは、うまく騙されたい凡人なのだと理解していない。
「1を聞いて10を知る、ってのは凡人には無理だよ。ちゃんと2から9までを書いてくれないと」
「肝心な要点が伝わればいい」
伝わらないって言ってるのに、伝わらないものだ。
「君さ、ラブレター書くときもそうなの。『拝啓、好きだ、敬具?』」
「ラブレターは書かない。書いたことがない。もし書く必要ができても、それと大差ないだろう。その文章の何が悪いのかがわからない。ラブレターの2から9とは何のことだ」
「丹野君さ、今誰か好きな人いないの?」
「は?」
丹野の眉間に深い縦皺が現れた。
「僕はもちろん書いたことがあるけど、楽しいもんだよ。ラブレターってさ、その人のことを思い浮かべながら書くんだ。頭の中がその人のことで満たされる。あなたのこういうところが好きですって言葉に置き換えてみると、ああそうだったんだって、あらためて納得したりして」
「……丸みのある頭がなかなか良い、とか……?」
「うん? そうだね、外見について触れるのも必要かな」
「ニンニクくさい小さな手を見ると胸が高鳴るとか……泥だらけの猫を拾ってくる超絶お人好しなところにときめいたとか……」
「そうそう、面白いたとえだけど。面と向かって告白しようとすると緊張して言えなくても、感情を言葉に置き換えると自然と整合性を求めるんだよね。理性が働くから気持ちの整理にもなる。実際には手渡すことがないラブレターだって有益だし、僕のブログも有益だし、僕はベストセラー作家になるかもしれない」
「では野田の書いたラブレターの見本を見せてくれ」
「……いや、それは……。もう残ってないし」
「新しく書いてみてくれればいい」
「それにはまず君が試作してみるのが先かな。僕はいわば師匠クラスだから」
「ふむ。俺が書けば君も見本を書くというのだな」
丹野はふいに立ち上がった。ピザのチーズのような伸びやかさだった。
「ラブレターなぞ僕の手にかかれば簡単だ。扉は絶対に開けるな」
「ああ。ごゆっくり」
僕はこっそり安堵した。早く見本を見せろとごり押しされなかったからだ。書くことはできるけれど、誰に対してなのか、簡単に見破られてしまうのは癪だ。絶対に書いてやるものか。今書きたいのは推理小説のほうだ。
だが指は麻痺したように動かない。全ては丹野のせいだ。あいつが10分経っても20分経っても部屋から出てこないからだ。おそらく苦戦しているのだろう。なにしろ、彼の口から愛だ恋だという単語を聞いたことがない。中身がなければいくら絞りだそうとしても無理だろう。
僕は気分転換のためコーヒーをいれることにした。
部屋の前までコーヒーの香りをばらまきにいったが、出てくる気配がない。丹野は僕がいれたコーヒーは大好物のはずなのに。
キーボードに載せた指はとたんに重くなってしまった。
肩を掴まれて揺り起こされた。どうやら寝落ちしてしまったようだ。時刻は既に深夜。
「書きあげたぞ、野田」
「……あ、ラブレターのこと?」
「俺にとってはまるで推理小説だった。11通りの感情の分岐を発見した」
丹野は艶やかなゆで卵のような顔をしていた。まさに一皮むけてさっぱりした表情。その手には分厚い紙束。長編推理小説一冊分はありそうだ。『最後まで読んで貰えるようにラブレターは適切な長さで簡潔に』と言っておくべきだった。
「それ、誰かに送るにしても推敲が必要だと思うよ」
「必要ない。完璧な出来映えだ。読んでみたいか?」
「……」
丹野が書いたラブレター。とても興味がある。だが僕が読んでいいのだろうか。
「続編も考えた。続編の展開には2通り、その後5通り、そして最終的には37通りの可能性を見出した。野田の助言があれば聞きたい」
僕は無言で手を伸ばして紙束を受け取った。
そのときは、まさかその傑作のせいで体調をそこなうとは思っていなかった。ページを繰るほどに息苦しくなり、動悸が激しくなり、顔がほてる。
「野田の書くラブレターが楽しみだ」
などとほざく目の前の男の顔をまともに見上げられないくらいに自律神経に異変が生じて、僕は愕然とした。
【BL】LOVE LETTER FROM A DEAD END あおいあおい @penguinya
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