第13話 ヨロシク、先生
四十崎は興味深げに問うた。
「その古川って人とは、もともとつながりが?」
「いいえ。チャンネル開設するにあたって、動画作成してくださる方ということで講師の先生が募集かけてくださったんです。たまたま彼が応募してきてくれて」
「へえ。縁のある話だ」
「とっても多才で、もったいないくらいの方です」
といって史織はうつむいた。
「コンサートといえば」将臣が顔をあげる。
「チャンネル登録者数を記念したコンサートを開くそうですね。自分の知り合いもチケット買えたそうで、とても楽しみにしていました」
「良かったです。──今回はチャンネル登録してくださってる方の中から抽選で、チケット販売をおこなう形にしたので。例によってお手配はぜんぶ先生や古川さんたちスタッフさん任せなのですけれど」
ふたたびうつむく。
妙な空気を前に、四十崎と将臣もつられて黙る。いっしゅんの沈黙。が、つぎの瞬間恭太郎がふたたび跳ねるように椅子の背もたれからからだを起こした。
「アンタ。真嶋さん」
「は、はい」
「…………」
「…………」
唐突だった。
恭太郎が机に身を乗り出して真嶋を見る。
初めはかっぴらいていた瞳が、やがて細められる。彼の美麗な顔立ちも相まってその圧は相当のものだった。圧に負けた史織はわずかに身をひく。しかしどれほど至近距離で見たからといって、彼の視力では輪郭を捉えることはかなわない。彼の首がわずかにかしげられた。
音を、聞いているのだ。
恭太郎のくちびるがゆっくりと開かれる。
「その旋律──どこで聞いたんだ?」
旋律。
恭太郎はそのまま、あの旋律を口ずさむ。
♪────────♪
あの物悲しく虚ろなメロディ。
将臣と一花がハッと恭太郎を見て、四十崎は息を呑んだ。
「このメロディ。アンタ知ってるだろ」
「え……?」
「分からないですか」
「え、ええ。ごめんなさい、出てこなくて」
「なら結構」
というと、恭太郎は糸の切れた凧のように椅子の背もたれに身を投げだした。先ほどの威風とはうって変わっただらしないようすに、史織は困惑の面持ちで固まる。さてどうしたものか──と四十崎が身じろぐと、すぐさま史織のとなりに座った一花が「あのさア」と彼女にすり寄った。
「記念コンサート、あたしも行きたいな」
「えっ」
「だめ? なにか登録しなくちゃだめならするわよ、よくわかんないけど」
「いえ……」
「お前な。さっき登録者限定の抽選だって話があったろ。そういうわがままはおれたちだけにしておけ、突然でめいわくだろう」
と、あきれ顔の将臣。
しかし史織は一瞬だけ逡巡するも、パッと晴れやかな笑みで首を横に振った。
「登録なんてかまいません。チケット残数も危ういですし……いろいろとお世話になってしまってお礼もしたかったんです。招待というかたちで皆さんをお呼びするとか、いかがでしょうか」
「よろしいんですか」
「ぜひ!」
彼女の顔には、プロのピアニストたる悠然とした笑みが浮かんだ。
開催日は四月六日──。
が、日程を聞いた四十崎は辞退すると言った。その日は外せない学会出席があるのだという。それならば三人分、といって史織はスマートフォンでだれかにメッセージを飛ばす。
将臣は恐縮した顔で頭を下げた。
「ありがとうございます。楽しみにしています」
「こちらこそ。皆さんを退屈させないように精いっぱいやらせていただきます」
いよいよ自信がもどったようだ。
史織はぐっとガッツポーズすら見せている。
「それじゃあ諸々決まりましたらご案内を──ええと、連絡先を聞いても……?」
「はーいッ。あたしの教えたげる」
「ありがとう古賀さん」
「イッカでいいよ。みんなそう呼ぶの……将臣以外」
「それじゃあ──イッカちゃんで」
こうして、図らずもチャンネル登録者数百万人を超えるピアニスト真島史織と友人関係となった三人は、当初の予定どおり学食で遅い昼食をとることにした。ふたりにも共にどうかと声をかけたものの、四十崎は仕事、史織は迎えが来るということで、この学食で別れることとなった。
別れ際、将臣が史織を呼び止める。
「ちなみに真嶋さん、今日はいつからあそこに」
「みなさんが来る一時間前くらいからだったかと」
「一時間。……」
一花の目の色が変わった。
ゆっくりと顔をあげて、首をこってりとかしげる。
「じゃああたしが見た女の子、だれだったんだろ」
「真嶋さん、おれたちの前にだれか来ました?」
「さあ──すくなくとも音楽室にはだれも。あの、なにか」
「いや失礼、なんでもありません。コンサートまでの準備等たいへんでしょうが、がんばってください」
「ありがとうございます」
フフ、とわらって史織はこんどこそ学食から立ち去った。
その背を見送る三人。と、四十崎。
どしたの、と一花がうごかない四十崎を見上げた。
「やっぱりアイちゃんもいっしょにご飯食べる?」
「いや……真嶋くんがうれしそうでよかったと思ってな。なにせ彼女、高校時代から周囲の期待を受けすぎていたもんだから、どことなく一目置かれてしまっていて。親しい友人というのが出来なかったんだ」
「えーなんでエ」
「あそこまで高尚な感性だと下民はそうそうついてこれまいッ。僕にはよくわかるぞ!」
「おまえの場合、顔だけは高尚だが一度話しちまうとまるでダメだからな。良かったな、恭」
「ウルサイよ将臣」
ギスるふたりを横目に、四十崎は苦笑した。
「まあ彼女もむかしは他者とのコミュニケーションが苦手で、他人と壁をつくるところがあったから。悪気はないんだけど。まあだから、自然と周囲とのあいだに距離が出来ちまっていたんだな。……でもいまの彼女を見ていると、やっぱり大学院に進んでだいぶ変わったのかもしれない」
「チャンネル活動の影響も少なからずあるでしょうしね」
と、つけ加える将臣の表情はやさしい。
あらためて、と四十崎は三人に向き直った。
「礼を言うよ。真嶋くんに助言してくれたことも、彼女と友人になってくれたことも」
「ふふん」
「えへへん」
なぜか得意げに鼻をとがらせる恭太郎と一花。
四十崎は肩をすくめて疲労の見える瞳をふたりに向けた。
「聞いていた以上におもしろいな、君たちは。さすが世の奇人変人が集まると噂される、白泉大文化史学科なだけはある。後期課程で君たちが所属することになるゼミの先生には心から同情するよ」
「アッ。そうだアイちゃん、後期からよろしくウ」
「え?」
「僕たち、民俗学」
「…………」
一花と恭太郎は無垢の瞳を四十崎に向ける。
四十崎は無言のまま視線をスライドさせ、将臣を見た。
「すみません。入学前から決めていたんです」
「…………ああ、まあしかしなんだかんだ浅利くんがいるなら大丈夫か。頼りにしてるぞ、あさ──」
「あ、ちなみにおれは宗教ゼミにする予定なので、四十崎先生のところにはいきませんけど」
「…………」
「ふたりのこと、くれぐれもよろしくお願いします」
将臣は憐れみと歓喜のたっぷりこもった目を四十崎に向け、微笑んだ。
つづく恭太郎と一花も、にっこりと笑みを浮かべて、
「ヨロシク」
「アイちゃん」
と小首をかしげた。
四十崎は──しばらく沈思し、やがて哀愁と悲嘆をその背にのせて学食を出ていった。
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