第12話 天才の葛藤
天才。
投稿動画に寄せられる多くの称賛コメントのなかに、大多数見受けられる単語であった。コメントを書き込む者のほとんどはそれを史織の才能に対する素直な賛美として用いているのだろう。
──ホントに天才。鳥肌たった。
──しーちゃんはピアノの神に愛された天才です。
──あなたが神か! 天才ピアニストの演奏をタダで聴けちゃうって、もはやYouTubeも神。
等々。
初めは、ひとりでも多くの人間が自身の演奏を聴き、そこに承けた感動をコメントとして示してくれるのがうれしかったという。演奏会などでは、スタンディングオベーションでの拍手喝采をもらうことはあっても、ダイレクトな言葉の感想はそうもらえない。そういう意味でもチャンネル活動は史織にとってモチベーション向上に繋がるものであったという。……初めは。
次第に、真嶋史織という人物像へのイメージの押し付けがはじまったのだと、史織はくるしそうにつぶやいた。
「最近の曲をアレンジで弾きたくて、たまにそういうのを投稿すると……原曲が好きな方などから、いろいろな意見をいただくようになったんです。好意的なものも多いのですが、でも、やっぱり目につくのは否定的な意見で。原曲をここまで変えられるとリスペクトが足りないのでは、とか──そもそも真嶋史織が、ロック系の歌に手を出すのも解釈違い、とか。それでコメントを受けて改善してみると、なんとなく自分が弾くピアノの音が違うように聴こえきて。次第に、そういうのが続いてなんだか、……息苦しくなってしまって」
と。
史織は水の入ったコップを、両手でぎゅうと握りしめた。ここは大学食堂。一行は史織の話をゆっくり聞くために老朽化著しい旧校舎から出てきたのであった。大学食堂ならば部外者が紛れ込んでもまず気付かれることはない。
史織の対面に座る四十崎は、ふむ、と頷いた。
「それでピアノを弾くことが嫌になった、と」
「いやになったわけじゃ──ありません。ただ、ピアノって、私の音っていったいなんだろうって……すこし、分からなくなってしまったというか。でもさっきそちらの方に」
チラ、と史織は恭太郎を見る。
「言われてすこし勇気をもらえました。私は私の音で、いいのかなって……」
「藤宮くん──君は、あの段階で真嶋くんの悩みが分かっていたのか」
四十崎が好奇心をはらんだ瞳で彼を見る。
心の声を聞いたのか──という質問であろう。しかし恭太郎はどこ吹く風で、椅子にふんぞり返ったままうんにゃ、と奇妙な声をあげた。
「ピアニストの悩みなんてだいたいがそんなとこだろ!」
「なんだ。当て推量か?」
「んなこたあどうでもイイ。それで真嶋さんが元気になったのなら」
といって、恭太郎はにこぉ、とわらう。
つられて史織はぎこちないながらにニコッと口角をあげた。
それを横目に一花がフーン、と鼻をならす。
「天才か、天才ね……」
「なんだ一花。不服そうだな」
「あたし天才っての、きらいよ」
「きらい?」
「だってさーあ、そんなん向き不向きジャン。……努力して出せた結果を生まれつきの才能って言われちゃアさ、努力ってなんなのって感じよ」
ねエ、と一花は馴れ馴れしく史織に首をかしげた。しかしそれに答えたのは恭太郎だった。
「当たり前だッ。だれも他人の努力なんか見たくないだろ。そんなもん見てなにが楽しい。はいそうですかお疲れ様ですと、それで終わりだ」
「ウン……」
「“天才”ということばの定義は将臣に聞くがいいが、ともあれコメントとやらで称賛する下民どもは、そんな深いこと考えちゃアいない! 感動を与えてくれる者はぜんぶ神だし、努力含めて自分にできないことをやってのける者はぜんぶ天才となる。それだけだ!」
「ネット民ってバカだわ」
という一花に、そう馬鹿だ、と恭太郎は腹筋でからだを起こし、身を乗り出す。
「しかしそんな馬鹿のことばに一喜一憂する者もまた、馬鹿なのだ。わかるか真嶋さん!」
「え──ええ」
「よーするに、ネットの意見なぞ聞き流せと、こういうことだ。ネットリテラシーの基本だぞ」
鼻をならしてふたたびどっかりと背もたれに身をあずける。それからは嘘のように沈黙した。まさか、人生におけるリテラシーをもっとも必要としないであろう男から『ネットリテラシー』という発言が飛び出たことに、将臣と一花はおどろきを隠せない。互いに顔を見合わせてから恐々と恭太郎を盗み見た。
史織の対面では、四十崎もまたウンウンと感心したようにうなずいている。
「いやまさか、藤宮くんの方に諭されることになるとは思っていなかったよ。とはいえ言うことはもっともだ。顔も見知らぬ有象無象の声なんぞに振り回されて、自分のピアノを見失う必要はない。君自身を一番理解しているのはお前さんなんだから、気にするな。もちろん君も、頭では分かっているのかもしれんがね」
「ええ……でも、ほんとうの意味ではあまり理解出来ていなかったのかもしれません。大多数の方に喜んでもらいたいと、そんな気持ちばかりで、多少自分に無理をかけすぎたのかも。とても気が楽になりました。ありがとうございます」
といって、史織は出会って初めて、心からの笑みを見せた。その顔を見てようやく四十崎は安堵したらしい。ホッと頬をゆるめる。
自身のなかに渦巻く葛藤が緩和され、多少の余裕が出たのだろう。史織は改めて四十崎とともにいる三人の生徒たちについて疑問をもった。
「あの──四十崎先生、それでこの方たちは。先生のゼミ生さんですか?」
「あ。ああ、そういや紹介がまだだったか。ちがうよ、このガキどもは本日入学してきた新入生さ」
「エッ……」
史織の目が点になる。
当然の反応である。先ほどから繰り出される弁舌はおよそつい先月まで高校生だった者のソレではない。そんなことを言うなら、恭太郎の態度といったらもはや生徒のソレですらないのだけれど。
史織はじっくりと順番に三人を見、やがて将臣に視線を置いた。いちばんまともな会話が出来るとおもったからか、たまたまなのかは分からない。
「申し遅れました。本日より当大学の文学部文化史学科生になった、浅利将臣です。こっちはおなじく藤宮恭太郎と、古賀一花」
「あらためまして真嶋史織です。……東京音大大学院の器楽専攻でピアノを専門にしています」
「東京音大というと、ピアノ科の難易度が高いことで有名ですよね。そこの大学院に進まれているということは、矢張り学校側の期待もかなりのものなんだなァ」
将臣が感心したようにつぶやく。なぜ一音楽大学の学科難易度まで知っているのか──と四十崎は彼の底知れぬ知識におののく。
が、史織は気にせずに下を向いた。耳が赤い。
「大学院なんて、一番は本人のやる気次第ですもの。でもたしかに院生になってみておもうのは……学部生のときと比べて、よりピアニストとしての活動チャンスをいただけるようになったことでしょうか。演奏会やコンサート出演とか、実践的な動きも多いんです。私そういう、だれかと協力するとか、表に出るとか苦手だったのですけれど……耐性もついてありがたくって」
「ああ──」
四十崎はうなずいた。
とかく真島史織という生徒は、いつもひとりだった。極力他人と交わることはせず、つねに自分の世界に引きこもってはピアノだけと向き合い続けていたのである。だから動画投稿サイトにチャンネルを開設したと聞いたときはおどろいた。彼女ならばまず手を出さないジャンルだとおもっていたから。
「チャンネルを開設しようってのも、その耐性がついたからかい」
「いえ。それは……昔からお世話になっているピアノ講師の方が。時代はネットに移り変わっているから、そちらにピアニスト活動の根を広げるのも一手なんじゃないかって言ってくださって。私はあんまり乗り気じゃなかったのですけれど、だからといってピアニストが内にこもってばかりでもしょうがないでしょう。だから、えいやっとおもって」
「真嶋くんの腕も相まって、目論見は見事に当たったわけだ」
「それだけじゃありません。古川さん──あ、あの動画作成をおもにしてくださっているスタッフさんなんですが、彼の腕がいいんです。音響とか映像とか編集とか、私はなんにも分からないので。彼が撮影して編集した動画って、とても見やすくて飽きないんですよ」
彼──古川というスタッフには相当の信頼感があるらしい。
いや、言葉の端々からは淡い憧憬も見え隠れする。ふと一花が「スタッフ?」と口を挟むと、史織は微笑んだ。
「編集とか、コンサートチケットのお手配とか。ほかにもスタッフさんはいるんです。でも古川さんってば仕事ができるからぜんぶやってくださって。私はピアノを弾くだけで──あ、あとはその、チャンネル活動とは関係なく、支えてくださる方もいるんですけど……」
「いーなぁスタッフ。あたしのスタッフっていったら今んトコこのふたりくらいのもんだし」
「断固拒否」
「右に同じ」
恭太郎と将臣の声色が格段に低くなる。そもそも何用のスタッフが必要なんだか。
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