片思いは恋愛じゃない
片思いは恋愛じゃない、
と思っている。
恋愛は、お互いの思いが通じ合って、いろいろなことを共有してからのこと、
と思っている。
でも、初恋のときは片思いでも恋なのかなあ、と思って書いたのが「金色の鳩」です。
目が合うだけで嬉しいとか、手を繋いだだけでどきどきするとか。
いいねえ、初恋!
年を重ねて、そういう初々しい気持ちをすっかり忘れて、セックスもしてないのにつきあっているとか気持ち悪い、などと思っていた自分が洗われるようでした。
わたしの中にはちゃんと、初恋をしたときの気持ちが残っていたようです。
ああ、でも自分が恋愛真っただ中だったら、書けなかったかもしれない。
少女漫画によくある「告白してキスしてハッピーエンド、って何⁉」と毒づいていたので。
恋愛って、続けることが難しいと思う(ここは変わらない)。
ところで、片思いでも恋、と認定出来る期間は有限だと思うのです。
何歳あたりにその境目が来るかは考え中。
恋愛も、年齢が上がると、どんどん「好きだけじゃだめなんだ」(ドリカムの歌にもあるけれど)となる(「好きだけじゃだめなんだ」は泣ける)。
そういうのが絡まない時期の恋って、やっぱりいいなと思うのです。
片思いは恋愛じゃない、と思うのは、それって、結局のところ、好きなのは自分だよね? と思うからです。よく話したりもしていないのに好きとか、それは自分の中の幻影を好きでいるだけ。好きな相手は存在しない。
仲がすごくよくて相手のことをよく知っていて、でも片思い、という場合は「片恋」と呼びたい。これはあくまでも個人的な語彙感覚ですが。
しかし、仲がすごくよくてセックスもしていて、でも「つきあっていないよね」となる相手からは全力で逃げろ! と言いたい。相手は気持ちを利用して、都合よく使っているだけだと思うから。
坂口安吾は『堕落論』で「恋は人生の花です」と言った。
夏目漱石は『こころ』の中で「戀は罪悪ですよ」と言わせている。
恋は確かに花であり、罪悪にもなりうる。
でもこの恋は「婚活して結婚しよう!」とか「マッチングアプリでいいひとに出会いたい!」とか、そういう中にはない恋だ、と私は思う。
花でも罪悪でも、恋愛はいいものだ。
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