4
翌日、メディは妙にそわそわして落ち着かなかった。
いつも通り、軟膏や薬草茶やら、生活の糧となったり売り物になったりする各種あれこれをつくろうとするのだが、頭の半分は十年ぶりに再会した少年のことが気になっている。
彼が狼を見つけることはできない――のだが、あの健気な少年だった彼が成長し近くにいて、森中を探し回っていると思うとなんだか落ち着かない。
(クロード……、クロードか)
十年越しにはじめて知った名を心中でつぶやいてみる。
そしてまた、テーブルの上を見る。
艶やかに光る果物の詰め込まれたバスケットがある。
今朝、クロードが持ってきたものだ。
『ささやかだが……。あなたに協力を乞うているので』
律儀な様子に、メディの申し訳なさはますます募った。
これをメディに渡したあと、クロードはさっそく狼捜索に出かけた。供もいないようだった。この広大な森の中を一人で捜索するなど、無謀だ。
しかし、しどろもどろなメディの言葉では、青年を迷わせることすらできなかった。
(危ない目にあってないといいけど……)
この森に、極端に危険な捕食者はいない。小型で群れをなして狩りをする魔獣はいるが、狼(メディ)の領域にはうかつに踏み込んでこない。
が、なにぶんクロードは生身の人間で、しかも一人だ。万が一、領域を侵す不届きな捕食者と遭遇でもしたら。
そう考えると、とたんにメディは落ち着かなくなった。
(あ、危ないかも……!)
いまのいままでその可能性に気づかなかった自分を殴りたくなった。
立派になったとはいえ、メディの中にはあの繊細で優しい少年の姿がまだ強く残っている。
メディは狭い台所をうろうろ歩き回っていたが、少ししてすぐにいてもたってもいられなくなった。
クロード青年のもとに行こうと決め、家を出る。
何気なく狼に変化しようと無意識に胸に手を当てたところで、はたと気づいた。
(だ、だめだわ! 狼のときに出くわしたら元も子もない……!)
いままで森の中では人目をはばかる必要はなかったから、自由に変化できた。森を歩き回るには、狼のほうが圧倒的に便利なのだ。追跡するのも、狼の嗅覚をもってすればたやすい。
しかし、いまはそうもいかない。
そしてこれまで狼の姿で森を闊歩していたということは、小屋からそう遠くない半径の範囲をのぞいては、もとの人の姿ではあまり歩き回ったことがないということだ。
人の姿で考えなしに飛び出していけるほど、森は甘くない。
メディは玄関でまた歩き回り、足踏みする羽目になった。
クロードが戻ってこないか、ひたすら木々の群れを見つめる。いやもう、いっそ狼になって飛び出して行ってしまうべきか。クロード青年の身の安全のほうが重要なのではないか――。
時間はひどくゆっくりと過ぎ、やがて日が暮れ始め、夜になった。
――クロードは戻ってこなかった。
「……メディ、殿? 顔色がお悪いようだが……」
――悪いですとも、あなたのせいで。
メディはじっとりと恨みがましい目で青年を見た。
翌日の朝である。
昨日はクロードに戻って来て欲しい、探しに行こうかどうしようかと落ち着かない気持ちで過ごし、結局一日何も手につかなかった。夜も眠れなかった。
朝になったら森を出て、クロードが泊まっているという近隣の村へ行ってみようと思っていたところで――けろりとした顔の当人が現れたという次第だった。
「……ちょっと眠れなかっただけです。あの、怪我とかしませんでしたか」
青年の全身をさっと見ながらメディが言うと、明るい緑色の目が驚いたように見開かれた。ぱちぱち、と瞬く。
睫毛が長い、とメディは妙なことに気づいた。
「大丈夫だ。これでも武芸は一通り修めている。それより、狼について何か情報はあるだろうか?」
あっさりと流され、青年が無傷であることに安堵しつつもメディは頭を振った。
そうか、とクロードはわずかに落胆の調子を滲ませた。だがそれ以上何かを言うでもなく、それでは、と挨拶もそこそこにまた捜索に向かおうとする。
メディは慌てて声をかけた。
「わ、私も行きます!」
明るい緑の瞳が見開かれる。それから戸惑ったような間があった。
「あなたが、捜索に同行してくれる……ということだろうか? 申し出はありがたいが……」
「いえ、一人より二人です。この近辺なら多少は案内できると思いますし」
メディはすかさずたたみかける。丸一日やきもきさせられたことで、決意したのだ。
心配するぐらいなら行動を共にしたほうがよい。――彼の動向がわかったほうが、色々と安全だろう。
クロードは戸惑っているようだった。
「しかしその……長時間歩き回ることになるし、平坦な地でもない。繊細な女性の身には負担が大きいと思う」
今度はメディが目を丸くする番だった。
そして、なんともいえない複雑な気持ちになった。
――こんなふうに女性扱いされるのはいつぶりだろう。こそばゆい。
同時に、自分のほうがよほどこの森に長く住んでいるのだ、という妙な意地がある。
とはいえ、狼の姿が使えないとなると、ただの女の体力でしかないのは事実だった。
それでも、メディにはもはやただじっと待つつもりなどなかった。
「足手まといにはならないようにします。準備しますので少々お待ちを」
「……い、いや、足手まといなどとは……」
真面目なクロードは、そんなところを律儀に否定した。
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