御前裁判(その2)

「であれば、残念だが私は貴殿の命令を聞く立場には無い。そのように命じられたとしても応じることは出来ない」

 除く、という話題を持ちかけたのはギルダの方であるのに、まるで突き放すように彼女はそう言うのだった。

 伯爵は唇の端を薄く噛み、つとめて平静にではあるがギルダに食い下がる。

「では、丁重にご依頼申し上げる形であればどうであろう。……拷問吏をあのような目に合わせたそなただ。黙って裁判を受けた結果がそなたや娘に不利に終わったとして、唯々諾々とそれに従うわけでもあるまい」

「だが恐れ多くも、王妃ほどの高貴な御方を手にかければ、私は本物の逆賊に成り下がる。娘にも大きく迷惑をかけることになる」

「王妃を討ち果たしたのち、その場からどうにか逃げおおせさえすれば、あとは私が手を回してそなたを匿おう。そなたが身代わりになった娘御当人にも当然ながら罪科が及ばぬように手を尽くす。夫妻が王都に帰ってきたあかつきには商いの方を伯爵家で贔屓にしてやることも出来よう。何であれば、報酬など俗なものをそなたは要求せぬかも知れぬが、娘のためと思って思い付くままの額をこの場で言ってみるがよい。……どうだろう。悪い話ではないのではないか」

「だが、伯爵は先だって、拷問吏を止めるという約束を反故にしているな」

 静かな指摘だったが、伯爵を苛立たせるには充分だった。

「……そなたにしてみれば、拷問などものの数ではなかったであろう」

「期待を寄せていたわけではないから、別にその点に腹を立てたりしているわけではない。だが、一度言ったことを履行し得なかったのは事実だ」

「その拷問吏、こちらに寄越すよう手配しておったのは王妃の手の者であるからな。私の力がすぐさまに及ぶところではなかった」

「その事情も理解はする。だがあれ以来、誰も私の元に送られてくる事が無ければ、話の流れでこのように裁判などという事にもならなかったかも知れぬ。……話をこじらせてしまって、伯爵には迷惑をかけたかも知れないが、お互い様と思って悪く思わないで欲しい」

「……」

 伯爵は苦渋に満ちた表情でギルダを睨みつけた。彼の本心を言えば、自ら名を出して王妃と対立を鮮明にするなど出来れば避けたかった展開かも知れない。とは言え、この場で繰り言をこぼさないだけの分別は彼にもあったようで、ただ睨むばかりで彼は何も言わなかった。

 そんな伯爵の内心を知ってか知らずか、ギルダはうっそりと告げる。

「……王妃の件、伯爵の要望は理解した。私が取り得る選択肢の一つとして、この胸に留めておこう。ただ、先々の成り行きが仮に伯爵の期待に沿わなかったとしても、どうか勘弁していただきたい」

 それで話は終わりだ、とでも言いたげに、ギルダはそのまま目を閉じて黙り込むのだった。

 それきり、伯爵がギルダの独房を訪れることはなかった。そのようにしてそれぞれに思惑を抱えながら、やがて裁判の当日を迎えるに至った。

 被告人がアルヴィン王子の子である、という話がどこからか洩れ広まっていた。御前裁判であるからには下々の傍聴がかなうわけではないが、成り行きを見守ろうというのか、王宮前の広場には無数の群衆が詰めかけていた。

 とはいえ、収監されているギルダがそのような外の風景を直接目の当たりにする事はなかった。

 塔まで彼女を迎えに来た馬車は貴人用とはいえ囚人を護送するための窓のない頑強なつくりの箱型の客車だった。取り上げられていた義足が返却され、歩けるようになった代わりに今度は両手を戒められた。そのまま、その馬車に揺られて御前法廷のある王宮の一角へと、扉から扉へと護送されたため、市中の様子を彼女がその目でじかに見る事はなかったのだった。ただ王宮に近づくにつれて群衆の足音やどよめきのような物音は大きくなり、大勢の人々が詰めかけているその熱気のようなものはそれとなく伝わってくるのだった。

 連れられてやってきた王宮のその一角は、午前のこれから日が高くなる頃合いだというのに未だ薄暗く、とくに罪人が被告として案内される一角は幾人かの官吏や番兵がいるほかはとくに人が集まっているような気配もない。痩せた官吏から、法廷に引き出されたのちの段取りなどいくつか注意事項を聞かされたのち、彼女は両腕を縄で戒められたまま、広間へと曳きたてられていったのだった。

「被告人は前へ!」

 広間の重い扉をくぐって姿を見せたギルダに、いきなり第一声が浴びせられた。

 彼女が現れた時点で、すでに裁判の間には裁判官や衛兵、集められた聴衆らが、彼女の登場をいまやと待ち構えていたのだった。

 ギルダは傍らの衛兵に背中を乱暴に小突かれ、おずおずと聴衆の眼前に進み出てゆく。

 ちらりと周囲を見回すが、長椅子に膝を詰めて居並ぶ傍聴人たちは決して無作為に集められた民草ではなく、いずれもその身なりから察するに、貴族や高位の騎士など、公にきちんとした地位ある人々なのだろうと思われた。そのような貴人たちが狭い場所に押し込められているのだから、さながら今から始まるのはサロンで行われる旅回りの役者たちの三文芝居のようにも思われた。

 裁判の席は弁明の場でもある。自ら勇ましく弁説を振るう者もあっただろうが、大抵は弁護を任せる弁護官が列席するものであった。これについてはファンデルワース伯爵が何かしら手回しをしてくれたわけもなく、ギルダは一人でその場に放り出されたに等しかった。事前に説明があったのは裁きの間の間取りの中でどのように歩を進めればよいかという歩く段取りくらいのもので、彼女は右も左も分からぬままに、被告席ではなく中央の証言台にそのまま直接案内されたのだった。彼女の主張とファンデルワース伯爵の手引きによって一見公正な裁判が行われているように見えて、結局彼女を一方的に断罪するだけの、弾劾の場にギルダは引き出されてしまったようだった。

 証言台の左手が本来の被告人の席で、ここは無人であった。さすがにファンデルワース伯爵が直接彼女の弁護に進み出てくる事はなかったが、ちらと見やれば彼の姿も傍聴人席の中に確認出来た。そして証言台の右手を見やれば、そこは彼女を尋問する審問官の席があり、ここには裁判のさいの正装を身にまとった男たちが三名、その席についていた。

 そして彼女が立つ証言台の正面には、これも正式の法衣をまとった裁判官の姿がある。その背後の一段高い位置に豪奢な椅子が数脚置かれていたが、人の姿はなかった。

「カタリナ王妃陛下、ならびにエーミッシュ王子殿下、ご入場!」

 ギルダが入ってきたのとは反対側に豪奢な扉があり、その傍らに立ち尽くす門番が高らかに宣言の声を上げる。扉が開いて、お付きの者を従えた妙齢の女性と、まだ年若い少年がそこから姿を現した。

「御前である。頭を垂れよ!」

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