鳴鐘(その7)

「殿下が獄中で、そなた宛にとしたためた一筆です」

 そういってシャナンは、取り出した書状をギルダに手渡した。それを差し出したシャナンの手が、心なしか震えているように見えた。

「……シャナン殿からこのように姫殿下の書状をお預かりした事が、以前にもあった」

「私を含めてあの時は誰も賛成はしていませんでしたが、当時姫殿下はお前をどうあっても王都に連れ戻そうとお考えになっておられた。この村で対面した折はそなたは王都には戻らぬと明言していたから、姫殿下はあの手紙をもって、そなたが気を変えて姫殿下を頼って王都に帰還する日をそれこそ一日千秋の思いで待っておられたのです。そなたが娘のために殿下を頼って文を寄越したこと、やっと返事が来たとそれはそれはお喜びの様子であられました」

「……そうであったか」

「このような事になるのであれば、お前が結果として罪人としてひきたてられることになったとしても、あのとき姫殿下のために王都に連れ戻すべきであったかも知れぬ。何が姫殿下の御為になるのかを、私も少し考え違いをしていたのかも」

 そうやって肩を落とすシャナンを前にして、ギルダは取り急ぎ手紙を開封し、文面をひろげた。

 見知ったユーライカ自身の筆跡が、そこには踊っていた。

「シャナン殿は、この文には目を通されたか」

「これをしたためた姫殿下は獄中にあり、本来であれば自由に外部に書状を送ってよいお身柄ではありませんでした。王姉でもありごく私的な伝言であるとのことで、特別に許可を得たものを第三者の立ち合いが必要との事で、これも無理を言って私が立会人として封函の場に列席させてもらったものです。……この時点では、まさかこのような事になるとは想像だにしていませんでした」

 そういって、シャナン・ラナンは顔を伏せ思わず目頭を押さえるのであった。そんな彼女が一通り落ち着きを取り戻すのを待って、ギルダは問う。

「シャナン殿。姫殿下は拷問にでもあったのであろうか。何者かが姫殿下に危害を加え、それが元で御命を落とされたのであろうか」

「いいえ、決してそのような事では。身の回りのお世話のために出入りしていた私から見て、そのように厳しい取り調べなどお受けになっている段階ではまだなかったし、ましてや拷問などその御身を損なうような事があるはずもない。ですが収監されていた北の塔は確かに昼なお暗く、夏場でもなければ朝夕の寒さもひときわ厳しい。虜囚の身ゆえに医師の手も行き届いていたとはいえぬ。体調を崩されたかと思えばすぐに重篤となり、治療のために塔から出る折衝をしているさなかに、あっという間にお亡くなりになってしまって……」

 そこまで言って、わなわなと肩を震わせるシャナンを前に、ギルダがぽつりとつぶやくように言った。

「殿下の御身のために」

「……?」

「殿下の御身のために盾となり、殿下の敵を退ける剣となる……殿下には確かにそうお誓い申し上げた。私はどうすればよかったのであろう」

 人造人間のギルダが、ここまで途方に暮れたような声を上げる事があるとは、シャナンにも傍目で見ているアンナマリアにも意外だった。

「村へ帰れと指示をしたのは私です。何故そのように命じたと、そなたに叱責されてもやむなしと覚悟しておりました。……それに、殿下ご自身の思いについては、おそらくはその書状にしかと記されているはず」

 確かに渡しましたよ、と一言念を押すと、シャナンはそのまま背を向けて彼女の元を去っていくのだった。

 騎士オーレンも、挨拶もそこそこにシャナンのあとを追う。あまり長く王都を空けると逃亡の嫌疑をかけられかねないのだ、と騎士はアンナマリア相手にこぼすのだった。

 そのアンナマリアも見送りのため表に出ていった。ギルダは一人取り残されて、その場で改めて書状に目を落とした。二十年ほど前に受け取ったものに比べれば、獄中で取り急ぎ書かれたであろうその筆致は心なしか弱々しげに見えた。



 ギルダへ。

 私のために尽くしてくれようというそなたの心意気、シャナンより聞かされて大変に嬉しく思う。お前は今頃、私をどのようにしてこの牢獄から救い出すべきか思案を重ねている所であろうか。だがあの場で自重せよと申し渡したように、お前は何もしてはならぬ。頑固者のお前に重ねて固く申し渡すゆえ、くれぐれも心するように。

 わが弟が何を思って私を投獄したのかは知らないが、思うようにならぬ不自由な身体を抱え、守るべき大事な家族や仲間を持ったお前が、私ひとりのために心を煩わせ、いかような苦難をおのれに強いようとしているのか、それを考えると文字通り身が引き裂かれる思いである。

 命に代えても、とお前は簡単に言う。それは確かに頼もしくはあろう。またそれだけの力もお前にはあろう。だがあの日同じ人造人間と戦い、傷だらけになったお前をみて、私のためにおのが身をそのように粗末に扱えるものかと、私は空恐ろしくなった。私の命じ方一つでお前を簡単に失いうるのだ、という事実に私は恐怖したのだ。

 そして、そのようにしてお前を失う事が、何よりも愚かな事なのだとその時に知った。

 かつてお前は私の盾となり、剣となると言ってくれた。だが盾も剣も、身を守るためには常に傍らに置いてこそ。私に必要だったのはお前が誓いのままに命を捨てる事ではなく、そのように言ってくれるお前と共にあること、そのものであったのだ。そのためには互いに命あってこそだ。私は今になって、お前にかような事を軽々しく誓わせたおのれを悔いている。私のために命を捨てられるかなど、そのような愚かしい問いをお前にするべきでは無かったのだ。

 お前と違いただの人間である私にとって、まさに時こそは有限である。だがお前が王都に帰参するまでの二十年を待ち忍ぶ事が出来たのであるから、この牢獄を出て今一度おまえに会えるまでのしばしの期日を、私は辛抱強く待つことにしよう。そうやって再びの対面が叶うその時が来たならば、ギルダよ、今度こそそなたには我が身の側にあって欲しい。私を守る剣、私を守る盾、それが常に私と共にあるのだと、その確証こそを私は求めるのだ。

 ギルダ、今の私はお前にそれだけを望む。それこそが、私がお前に求める全てである――。



(第4章おわり 次章につづく)

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