投獄(その3)

「このような事を言いたくはないが、それをわざわざ私が告げに来た事自体、姫殿下を煩わせているのだと思ってもらいたい」

「……分かった」

 そう返事をしたギルダの表情が、これまで見た事のないくらいに、まるで作り物の人形のように生気が消え失せていた。ただそう返事をするだけの仕掛け人形のように実感のこもらぬ受け答えだった。

「ではこの件、シャナン殿に託す。必要となったあかつきにはシャナン殿の口からぜひ私に命じてほしい。命を捨てて姫殿下を牢獄からお連れしろと。そのために死ねと一言命じて下されば、私はいつでも姫殿下のために働いてみせる。……かなうのであれば姫殿下にもそのようにお伝えいただきたい」

「……分かりました。殿下の身の回りをのお世話をするのに、いつでも自由にとは参りませんがまた近いうちに面会の許しが出ましょう。姫殿下にお会いすることが叶えば、その時はお前のその言葉をしかとお伝えいたそう」

 それから数日、ギルダはハイネマンの邸宅の片隅にあって、何か思案でもしているのか本当に一言も口を利かなくなってしまった。心配してリアンが声をかけるが、おのが娘を相手にしても生返事しか返ってこない。何より、無言を貫く母の横顔が本当に無表情で、リアンの目にはまるで別人のようにすら見えたのだった。

 一体ギルダはどうしてしまったのか、と皆で案じていた折、彼女が急に立ち上がった。

「少し、出かけてくる」

 この一言に邸内は騒然となった。まさかただの気晴らしというわけでもあるまいし、一人で行かせるわけにはいかない。

「わ、私! 私が一緒にいく!」

 慌てて同行を名乗り出てきたのは、この日もハイネマン邸をメルセルとともに訪れていたリアンであった。

「少し歩くことになるが、かまわないか?」

「うん、一緒に行きましょう!」

 メルセルが心配して同行を申し出て、少し迷ったがリアンはギルダと二人だけで出かける事にした。

 ユーライカの離宮は王都の東側の丘陵地帯にあり、ハイネマンの邸宅も私塾とともにその近辺にある。ギルダはその日午前のうちにハイネマン邸を出発し、王都の中心部を目指していく。

 思えば、リアンもギルダに言いつけられるがままに王都を訪れ、そのまま離宮に務める事になって、満足に王都を見物して歩いたことがあまり無い。中心部にある壮麗な王宮や、その前の広場などメルセルに連れられて一緒に見物に出かけたくらいのもので、離宮を離れると途端に地理に疎くなる。

 そこはギルダの方が心得たもので、人造人間の彼女の頭の中には王都の地図がすっかり叩き込まれているのか、角を一つ曲がるのにもいちいち迷いがなかった。リアンがメルセルと二人で歩いた王宮前の広場を一緒に過ぎ、さらに王宮の北側を目指していく。母と子でゆっくりと王都見物などというものではなく、杖をついてもなおギルダの足取りは忙しなかった。

「お母さん、一体どこへ行くつもりなの?」

 ところどころで足を止めながらの物見遊山ではなく、ギルダは明らかに目的があってその場所をまっすぐに目指していたから、それを歩き通しというのは山育ちのリアンであっても確かにひと苦労ではあった。ギルダ自身二十数年ぶりの王都であったはずだし、ともすれば地図で知っていただけで訪れるのは初めてだったかも知れない。だが到着してみて、リアンは初めて母の外出の目的を知るのだった。

「リアンよ、あれが悪名高き北の塔だ」

 丁度広場から見て王宮の反対側、文字通り北側の方角にその塔は立っていた。

 まさに、王宮の北側にあるから北の塔と呼ばれている。おもに貴族など位の高い者が収監される牢獄として、王都では知られていた。

 おおよそ、母親が娘を連れてくるような場所ではなかった。

「あの塔に、まさにユーライカ殿下は収監されているのだ」

 ギルダは独り言のようにそうつぶやくと、そびえ立つ塔の威容を遠巻きに、だがまっすぐに見据えた。

 どういうつもりでここに来たのか、母はここまでの道のりで娘に語ることはなかった。今こうやって塔を目の前にしても、じっと見入ったまま後ろにいるおのが娘には目もくれていなかった。母さん、と何度も呼びかけたが、答えはない。

 呼びかけても、まったく返事もしないギルダの存在が、リアンにはなんだか空恐ろしいもののように思えた。どうしてよいか分からずに、リアンは言い知れぬ不安と、なるようにならぬ苛立ちのままに、思わず声をあげた。

「……衛士ギルダ! 返事をしなさい!」

 不意のその呼びかけに、ギルダははっとして振り返った。

 無論、振り返った先にいるのは自分がここまで連れてきたおのが娘だった。

「娘の私の言葉が届かないのなら、職を辞したりとはいえ姫殿下の側仕えの端くれだった者の言葉なら聞き入れてもらえるかしら。……母さんが何をしにここへ来たのかはわからないけど、母さんを罪人にしたくはないという姫殿下のお気持ちはどうか忘れないで」

 今にも泣きそうな顔でそういった娘を目の当たりにして、ギルダは目を伏せ、ため息をついた。ここまでまるで自身を人間らしく制御する機能が失われたままだったかのような彼女が、ようやく母としての顔を取り戻したように思えた一瞬だった。

「リアン、そなたにそのように心配をかけてしまって、済まない。……シャナン殿のお許しが出たときのために、今日の所は下見に来ただけだ。私一人の判断では何もしない」

 帰ろう、と言ってギルダは踵を返す。

 今日この場で何かをするつもりでは、と気が気ではなかっただけに、リアンは胸を撫で下ろした。そこで初めて、目の前にある塔をまじまじと見る余裕が生まれた。

「あそこに、姫殿下がいらっしゃるのね?」

「うむ。どうかご無事であってほしい……」

 そのように言葉を交わし、母子はハイネマン邸への帰途についたのだった。

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