離宮勤め(その3)

 今更になって脳裏に浮かんだのは、先の対面の折に、座れと言われても座らずに直立していたハイネマンの姿だった。ユーライカから叱責されては大変とばかりに、言われるがままにその席に座ってしまった時点から、彼女は間違えていたという事か――そのような思いに至って、今更のように蒼白になるのだった。

 それを横目に、ユーライカは涼しい態度で話を続ける。

「そなたは厨房の担当ではないから、まだそのような指導は受けていないと思うが、先の給仕の者などは真っ先にそう教えられているはずだ。私にどれだけ強く勧められたとしても、私の前では茶も菓子も決して口にしてはならぬ、と。そもそも同じテーブルに座るところから丁重に断り、下がってよいと言われるまでは床にしゃがみ込むこともならぬ、と」

「はあ……」

 そのような基本的な事項すら何も心得ていなかった自分が何だか恥ずかしく思えて、リアンはただうつむくばかりだった。

 ユーライカはと言えば、それをただ意地悪そうににやにやと笑って見ているのだった。

「勿論、下々の者が断るしかないと分かって無理強いするのは上の者の振る舞いとしてはいささか行儀が悪い。……だから、この場合はお前に食べろと言った私が悪い」

「そ、そんな。姫殿下のせいなどでは」

「いずれにしても、私がどのような気まぐれを示した所で同じテーブルにつける身分ではない、という事だな。そういう事になっているから、私にはお茶の時間に話し相手もいなくてな。……誰かを招けば公的な会談となるし、非公式であっても茶会という形で一席設ける事になる。堅苦しい作法からはどうあっても逃れられぬ。まったくもって窮屈でかなわぬよ」

「……」

「たまに女官長を呼び出して愚痴に付き合わせたりもするが、あれも暇ではないし、私がどれだけ薦めたところで茶も酒も口にはせぬのはあの女も同じことであるし。仕事は出来るが本当につまらない御仁だよ」

 ユーライカはそう言いながら、今しがた好みではないと言った菓子を口に放り込む。じかにつまんで口にひょいと投げ込む仕草は良家の子女らしい行儀のよい所作とは少々言い難かったが、それを指摘出来る立場にあるリアンではなかったし、どのみち私的な居室でどのように振るまおうが、この離宮のいちばんのあるじは何と言っても彼女自身なのだ。

「常であれば、王家の姫ともなれば年頃になればどこかでそういう席に招かれて、一つずつ立ち振る舞いを覚えるものだ。だが私が年頃の娘であったときは、王国はそのような事をしている局面ではなかった」

「……いくさ、ですか」

「そうだ。私の話し相手と言えば、そなたの母しかおらなんだ」

「母が」

「私が座れと言って、臆することなくその通りに私の眼の前のテーブルについたのは、そなたの母が初めてだった」

 ユーライカがそういって遠い目をするのを、リアンはただじっと見つめていた。

「……まあ、人造人間であるから、当然といえば当然、言われたままにしただけのことではあろうがな。それにお前の母は人造人間だから、そもそも菓子など食べぬ。村でも、そうであっただろう?」

「招かれた席であれば、多少口にする事はありますけど」

「では、多少は礼儀作法を覚えたという事だな。……不思議なものだ。ギルダと同じ面差しのお前が、こんなにころころと笑ったり驚いたりしているのを見るのが面白くて仕方がない」

 リアンはそう言われて、終始仏頂面のおのが母親を思い出して、一人苦笑した。

「その調子だと、村でも様子に変わりはないようだな。だがお前はそのギルダに育てられたのだろう? 泣きわめく赤子のお前をどのような態度であやしていたものか、見物だったろうな」

「母は村の診療所で働いています。父は早くにいくさで命を落として、診療所には看護婦のアンナマリアや、先生や、他のみんながいて……そこが私の家みたいなもので、そこの皆が家族のようなものだったかも」

「そうか。……であれば、ギルダもよき人々の助けに恵まれているという事か」

 ユーライカはそのように相槌を打つと、改めてリアンに向き直る。

「リアンよ。先だって、ハイネマン医師と共に私に初めて私に会った日の事を覚えておるか?」

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