返信(その2)
彼が村を去ったあとのウェルデハッテは、ギルダの他に彼の下で学んだ若い医師が持ち回りで当地に赴任しては代理を務めることとなり、それをギルダとアンナマリアとで支えながら切り盛りしていく事になったのだった。
幼き日に父を失ったのち、この僧院で育ったリアンはやがて年頃の娘へと成長していった。栗色の髪は並べば母の灰色の髪と色味は近く、色白な肌やその整った顔立ちなど、ギルダに似ていると言えばとてもよく似た者同士の親子であった。決定的に違うのはその茶色の瞳で、母親のもつ空色の双眸とは印象がまるで違って見える。何より作り物めいた怜悧な表情を片時も崩さないギルダとは違って、彼女はとにかく喜怒哀楽がはっきりとしていた。当のギルダはギルダでまったく歳を取らないから、事情を知らぬものが見ればこの二人が並ぶ姿には困惑しただろう。
そのリアンは、母親やアンナマリアを手伝って診療院で下働きをしていたが、村からはほとんど出た事がなかった。冗談でハイネマン医師に付いて医者になる勉強をしてはどうか、とアンナマリアが薦めた事もあったが、日常に必要な読み書きや算術を教えたのは当の彼女自身で、その中で人並み外れて飛び抜けて頭が良いわけではないことは薦めた当人も気づいている事だった。貧しい村でつつましく育ち、大きな高望みをすることも無かった。
そんなおのが娘の成長を見守るギルダが、ある日不意にアンナマリアに問いかけた。
「アンナマリアは、どうして看護婦になろうと思ったのだ?」
「どうしてって……」
気が付けばリアンはあでやかな娘に成長していた。ギルダは出会ったときのままの白磁細工のような外見に変化はなかったが、相対するアンナマリアはそうではない。結局今に至るまで伴侶とすべき相手もおらず、もはや若いとも言えぬ年齢になってしまった。そうやって長年一緒に診療所で働いてきて、今更といえば今更な質問だった。
「とくに深い理由があったわけではないけど……女が身一つで稼ぎを得るのは、そんなに簡単な事ではないわ。男にまじって力仕事というわけにもいかないし、耕す田畑を持っているわけでもないし。であれば街に出てどこかのお屋敷に使用人として勤め口を探すか、さもなくば夜の往来で春をひさぐか……」
そういうのはもう沢山、と声にならない声で彼女は首を横に振る。
「そう思えば、今の仕事なら人の助けになれるのだから、悪いことではないでしょう?」
「それは、そうだな。立派な心掛けだ」
形式的に受け答えただけであろうし人造人間の彼女が今更何かに感銘を受けたりはしないだろうが、改めて言葉にされるとこそばゆい。
「どうして急にそんな質問をする気になったのよ」
「私を造ったのはクロモリで、そこには人造の兵士という、明確な目的があった。だが人間は誰かが作るわけではない。アンナマリア、お前という人間がこの世に生きているのは、自然の摂理で父母から生まれてきたからに他ならない」
「それは、まあ、そうね……」
アンナマリアの表情がわずかに曇ったのは、普段あまり語ることのない自身の生い立ちを思い起こしてしまったせいだろうか。
「では、リアンはどうだろう」
「同じよ。彼女もまた、自然の摂理ってので生まれ落ちてきたのよ」
「リアンの父親はそうだとして、私はそうではないぞ」
「……」
「リアンにしても、私自身がかくあれと強く望んだわけではなく、成り行きだったのは否めないが、だとしてあの子は何を為すべきとしてこの世に生れ落ちてきたのであろうか。……そのように自然の摂理でこの世に生まれ出でた者たちは、おのれが何をすべき存在であるかを、どのように規定するのであろうか」
「それは……」
一連の問いを投げかけてきたギルダの本意はアンナマリアにも測りかねた。だが、いい加減に受け答えるわけにはいかない問いだ、と思い直し、彼女は居住まいを正しこのように答えたのだった。
「……それはいずれ、リアン自身が決める事ではないかしら。そもそもギルダ、今のあなただってもう兵士ではない。ハイネマン先生の下で学んで医者の真似事をしているのは、誰かにそういう風に造られたからだ、なんて風には説明できないんじゃないかしら。私やあなたが自分で決めたように、リアンの人生も結局はあの子が自分で面倒を見るしかないのだと思うわ」
「ふむ……」
「あなたはぴんと来ないかも知れないけど、若いうちにはそういう風に思い悩む時期が人間にはあるものよ。この村の暮らしは決して裕福ではないかも知れないけど、かと言って生きていくのに必死でそんな事すら考えられないほどつらい暮らし向きをさせているわけでもないのだから、いつかそんな事を自分から言い出す日も来るんじゃないかしら」
「そうであろうか」
真摯な回答ではあったが、ギルダを納得させるには至らなかったようだった。彼女はなおも釈然としなさそうな表情のまま、アンナマリアに向かって問いを重ねる。
「例えばあのフレデリクも、そのように思い悩む事はあっただろうか」
そのように人生を思い悩むこととは一番縁の遠そうな名前が不意に出てきて、アンナマリアは思わず吹き出した。
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