王姉殿下(その4)
「……おそれながら、一言申し上げたき儀がございます」
それが求められている事なのかどうか確証は持てなかったが、ハイネマンは平伏したまま口を挟んだ。
そもそもが、本来は直接自由に口をきいてよい身分では無いのだ。そう口にしたきり、ハイネマンは恐れ多さのあまり、伏したまま顔を上げることが出来なかった。
「許す。申してみよ」
「お話に水を差すようで申し訳ありませんが、彼女をこの村に置いていったロシェ殿の言では、彼女はかつての近衛師団の士官として、いくさの責任を問われる恐れがあるとか」
「ふむ」
「しかも彼女は人造人間です。裁判を経ることなく処分が下される可能性もある。私も医師としてこの者の救命にあたり、今はこの村にて人々を救済する私の仕事にも手を貸してもらっております。そのギルダが刑に処されるというのであれば、どうか寛大な処置をいただけるよう私からもお願い申し上げたい」
それだけの言葉を吐いて、あらためて床にひれ伏したハイネマンを、ユーライカはじっと睨みつけた。
「自分が救った命を、この場で庇い立てするという事か。ハイネマン、医師として見上げた心意気であるな」
「……恐縮であります」
「この場でそのように申せと、シャナンが言ったか」
「それは」
ユーライカのその指摘に、ハイネマンは平身低頭したまま絶句した。顔を伏せたまま狼狽する医師を見下ろしながら、ユーライカは冷ややかに告げる。
「私には分かる。そこなる女官長殿の入れ智恵であろう。どうあっても私の邪魔をしたいという事なのだな。……ギルダ、そなたもそなただ。シャナンに遠慮などする必要はない。この私がそなたを守るとひとたび約束したからには、どのような手を尽くしてでも私はそなたを守り通して見せる」
「……それでは、話があべこべでございます」
医師とは対照的に、反論したギルダの態度は冷静だった。
「かつて私は姫殿下に申し上げた。剣となり盾となり、この命に代えて必ず姫殿下をお守り申し上げると。……ですが今この身体で、しかも人造人間を相手にそれがかなうかどうかは危うい。ましてや、この私を探さんがために視察を名目にしてこの地まで来られたという話であれば、みすみす曲者に狙わせるために私自らが姫殿下を窮地に陥れたようなもの。そのような具合で、いかにしてそのお約束を果たすなどと申し上げられたものか」
これ以上姫殿下にご迷惑をおかけするわけにはまいりません……そういって、ギルダはあらためて、かしこまって頭を垂れたのだった。
今度はユーライカが黙り込む番だった。無言のままギルダを見つめ、平伏する医師を見て、そしておのれの背後に控えるシャナンをちらりと振り返った。
周囲の者たちは、次にユーライカが何を言い出すのか気が気ではなかったが、彼女はそこで一度目を閉じて深く深呼吸をすると、絞り出すような声で言った。
「今日のところは、そなた自身の意思でこの地に残る、そう申すのだな?」
「このような私でも、この地であれば任されている仕事もあります」
「そうか」
ユーライカはため息まじりに短く相槌を打つと、表情を曇らせたままギルダの前から踵を翻した。
「……では、勝手にするがいい。そなたの事などもう知らぬ」
そのように言い残して、足早に天幕の奥へと引き下がっていくのだった。去り際にシャナン・ラナンの前で足を留め、二言三言何かを告げる。
シャナンはユーライカが天幕の奥へと姿を消すところまで黙って見送ったかと思うと、ギルダ達の元へと歩み寄ってくるのだった。
その表情には心なしか安堵の色が浮かんでいた。
「……シャナン殿も、災難であった」
「このように激昂されるなど久しく無かった事ではありますが……これもお役目と思えば」
そういって彼女は打たれた頬をさすった。無論主従の関係は絶対ではあったが年齢で言えば一回り以上も年長の彼女に対しても、まるで容赦がなかった。
「私はやはり、姫殿下のご不興を買ってしまったのであろうか」
「あとからまた我々がお叱りを受けるかも知れぬが、お前が気にする事ではない。それに、お前を連れて帰った場合にどうなるかという話はもとより私どもも懸念しており、あらかじめ姫殿下にも繰り返しお伝えしてきた事です。……姫殿下はああいったものの、本当にお前の身を保証できるかどうかは分からないのですからね」
そのやり取りの横で、身を起こしたハイネマンが冷や汗を拭った。
「過ぎた発言ではなかったでしょうか」
「ハイネマン医師も相当に肝を冷やした事でしょう。あれはまさに私が求めていた助け舟でした。私から繰り言のように言い重ねるよりも、医師どのからも懸念を口にしていただいたのは良かった。そなたもご苦労でした。今日のところは二人とも、下がっていただいて結構」
シャナンの言葉に、ハイネマンはもう一度深々と礼をした。これまでもなし崩しに村の代表者の役を勤めてきたが、今日のユーライカとの対面が彼にとって一番の心労であっただろう。さすがにそのような針のむしろはもう勘弁、とばかりに、彼はそそくさと天幕を引き下がろうとする。
ギルダはといえば、しばしの間ユーライカが去っていった天幕の向こうをじっと見つめていた。だが結局はハイネマンに促される形で、ともに診療所へと引き返していったのであった。
(次話につづく)
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