戦場を駆ける(その5)

 だがたとえ田舎剣士と侮られようが、彼がそうやって死線をくぐり抜けてきた歴戦の猛者であるのには違いなかった。

 消し炭にするな、と釘をさされてはいたもののこれでは埒が明かない。ギルダはもう一度火の球を放つべく、左手の指で印を組んだ、ちょうどその時だった。

 足元の岩がぐらりと動いたかと思うと、そのままギルダの立つ足元ががらりと音を立てて崩れ始めたのだった。

 彼女は人造人間だ。慌てふためきこそしなかったが、それが自らを危機に追い込む決定的な災難であることを瞬時に悟った。

 迂闊だった。リカルドからはロシェの首級をあげることのみに専念するように指示を受けていた。結果を急がずともじっくりとロシェを追い込んでいけばよかったのだ。

 彼女の身はそのままぐらりと傾いて崖下へと滑り落ちていこうとしていた。

 だがそこで……今度こそ人造人間の彼女が意外な成り行きに目を剥いたことに、滑落していくギルダを黙って見ていればよかったはずのロシェが、自らの安全も顧みずに大きく身を乗り出し、ギルダが剣を握る右腕の二の腕に掴みかかってきたのだ。

 この男は一体何をしようというのか?

 彼女がまず思ったのは、武器を持つ手を掴まれれば反撃が出来なくなるということだった。何はなくともこの男は敵だ。この腕を振り払わねば剣が自由にならない。

 肘から先をどうにか振り動かして、右手の剣をおのが左手に投げ渡せないか? そうも思ったが、そもそも左手は左手で、魔導の火球を放つべく今しがた印を組んで術を発動させたところであった。

 その火の球を目の前のロシェに投げつければ、それで剣士はただの消し炭になって、それで終わりのはずだった。

 そう思って、彼女が左手をロシェに向かって突き付けようと高く掲げようとした、その瞬間――。

 彼女がつま先をひっかけていた足場の岩が、もう一度大きく崩れて、ギルダは再びがくりと身体のバランスを失った。

 右腕は剣を握ったままロシェに掴みかかられていたから、いよいよ彼女は宙づりになってしまった。その拍子に、先程火球を放つべく高く掲げた左手から、その火球が誤って零れ落ちてしまったのである。

「……!」

 足場が崩れるよりも先にそれをロシェに投げつけて、ロシェを消し炭に出来ていたならばまだ良かったのかも知れない。

 だが狙いを外した火球は、剣を握ったままロシェに手首をつかまれた、そのままのおのれの右腕を猛然と包んだのだった。

 これに音を上げたのがロシェだった。自分を殺しに来た相手にうっかり救いの手を差し伸べてしまったのはまだいいとして、さすがに炎の熱を耐え忍ぶことなど出来るはずもなく、一度は掴んだ腕を離してしまうより他になかったのだった。

 いよいよ支えを失えば、あとはギルダは崖下へと滑落していくだけだった。

 崖場の斜面を転がるように落ちていく彼女は、ほぼ半身を魔導の炎に巻かれ、まさに火だるまといった様相で峻険な谷あいへと真っ逆さまに墜落していくのだった。

 先程まで刃を交えていたロシェ以外に、彼女がこのような命運をたどったことを見ていたものはあっただろうか。彼女を率いていたリカルドの部隊の誰かが彼女が谷に落ちたことに気づいて、襲撃作戦が失敗したことにすぐにでも気づいただろうか。

 恐らく彼女はその時、この世に産み落とされてからの短い生涯の中で、もっとも深い混乱を覚えていたに違いなかった。命じられた作戦をしくじったこと、今まさに半身が炎に巻かれていること、そのまま谷底に落ちて、生きていられる保証が全くなかったこと。

 それが果たして死への恐怖と言えたかどうかは、彼女自身にも分からなかったが。



(次話につづく)

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