無人都市:観測する都市――②
「……」
ウィルはなんとも言えない、引きつったような困惑の表情で目の前を見ていた。
住宅街に面した道路には、車が一台、電柱にぶつかった状態で放置されていた。もはや煙すら出ておらず、前方は電柱の形にひしゃげている。扉は助手席だけが開けっぱなしになっていた。
「こいつは……車? 車だよな?」
自分が知っている『車』とは見た目が違うものの、確かに四輪車とも呼ばれる自動車に間違いなかった。
本来であれば事故なんて起こそうものならおおごとになるはずだし、いくらこんな田舎だからといって住宅街に放置されるわけもない。
中を覗いてみる。誰かいるわけでもない。椅子に軽く触ってみるが、すっかり冷え切っている。
運転席の方はエアバッグがすっかり萎びた状態で垂れていた。事故を起こしたのは間違いない。だがどういうわけかシートベルトが引き出され、バックルに装着された状態だった。人がいないせいか椅子にぴったりと張り付いている。まるで運転手が突然消えてしまったような状態だ。それとも普段からこの状態で運転するような猛者だったのか。
後ろの席を見ると、動物の入りそうな小さなケージが置いてあった。大きさとしては猫か小型犬くらいで、入り口は閉まったままで、鍵も掛かっていた。だが中には何もいない。
「お前、ここ入るか」
ウィルはケージを指さして黒猫に言ったが、当然のように返事はなかった。
「冗談だ」
肩を竦め、歩き出す。
だが奇妙なのはこれだけではなかった。
そこそこ広い街に思えるのに、どこからも人の気配を感じなかった。いくら昼間といっても限度がある。家のほとんどは鍵が掛かっていなかったし、ガソリンスタンドや雑貨店、食料品店に至るまで誰もいない。
花屋の花はみんな枯れていた。花屋特有の、植物の生々しい臭いはすっかり無くなっている。
「……それにしても、なんだこの街……?」
雑貨店のカウンターには商品と金が置きっぱなしだ。
いざ代金を支払おうとした瞬間に人間だけ消え失せてしまったような違和感。
例えば――例えば、街中の全員が宗教関係で、一箇所に集まっているとする。だとしても鍵くらいは掛けていくはずだ。店先の看板に「オープン」の文字など無いはずだし、店先がこんなことになっているわけはない。
次に突発的な自然災害というのも考えたが、地震や火事の形跡が無い。
そもそも死体すら無いのだ。
「こりゃ一体どういうことだ」
雑貨屋の電気はかろうじて点いているが、カウンターに設置されたテレビの方はダメだった。チャンネルを変えてみたが、「しばらくお待ちください」の映像のまま固まっていたり、砂嵐になったままのチャンネルがいくつもあった。
まだなんとか電気は通っているが、このぶんだとラジオもダメだろうと予想できる。
カウンターの中に設置された手洗い場の蛇口を捻ると、なんとか水は出てきたが、見るからに水質が劣化した色をしていた。
手洗い場に乗り込んだ黒猫が茶色く濁った水を触ろうとしたので、ひょいと持ち上げて阻止する。
――これは、おそらく……。
既に人間が滅んでいる可能性がある。
そんな世界は山のようにある。だが、まだ断定はできない。
それに、ここで帰るわけにもいかない。最初のあの強烈な視線の持ち主も、まだ見つかっていないのだから。
「ん……?」
水道を止めると、ふと見られている事に気付いた。視線を向ける。
するりと、ふさふさの白い尻尾が雑貨屋の前を通り過ぎていった。
「猫……?」
人間はいないのに、猫はいるらしい。
にゃあ、と鳴いた黒猫が、好奇心を発揮したのか、腕の中から飛び出した。白い猫を追いかけていく。
「あ、こら」
慌てて、その後を追うように歩き出す。
白い猫は意外にもすぐ見つかった。数メートル先を悠然と歩いている。その後ろを、黒猫が追いかけていっていた。
ウィルは導かれるように歩き出した。よく見れば、石柵の上で縮こまっている茶色い塊も猫だ。そうかと思えば、喧嘩しながらゴミ箱を蹴飛ばして追いかけていく猫たちもいる。
どうやら猫たちだけがこの世界に取り残されているらしい。
白い猫が曲がった先へ行くと、家にしては大きめな建物に入っていくのが見えた。
玄関先の看板には公民館という文字が見えている。
公民館の扉は開けっぱなしになっていた。そこから黒猫が追いかけていくのが見えた。足早に中に入る。変なところに入り込まれる前に、取り押さえておいた方がいい。掲示物には目もくれず、これまた開けっぱなしになった両開きの扉へ飛び込む。
「おい」
広い部屋の中で立ち尽くしていた黒猫を拾い上げた。
「だから、勝手にどっか行くなって――」
視線は自然と、部屋の中央へと向けられた。
テーブルの上には新聞や記事が散乱していた。いましがたまで誰かがいたような形跡だけが残っている。周囲には荷物が置いてあるが、持ち主の存在はなかった。小さな動物用のケージもいくつかある。どれもこれも、中に動物は入っていない。
ここまで歩いてきた白猫はどこにもいなかった。
黒猫を抱えたまま、テーブルに近寄る。
新聞と記事を抑えるように、小さな黒い機械が鎮座していた。明らかに人の手で書かれたメモも挟まれている。
――『ここにたどり着いた人へ、これを残す』……。
たどり着いたわけでもないし、むしろこの世界の人間ですら無いが――。
ウィルはちらりと明後日の方向を向いた。湧き上がってくる好奇心を抑える。これは、館に危害が及ばないか確かめるためであって――そんな言い訳を一通りしたあと、ボイスレコーダーに手を伸ばした。
何度かボタンを弄っていると、やがて泣きそうな女の声が聞こえてきた。
『……43日目。とうとうこの……バズウィードの街にたどり着いたわ。だけど……』
何度か鼻を啜る音。
『だけど、トミーが……トミーが消えてしまったの。このバズウィードの街に乗り込んだときに……アビーがケージから出てしまったの。不幸な事故だったわ。トミーは忽然と私の隣で消えてしまった。車は電柱に激突して、使えなくなってしまった……。……ここからは私一人で行く。この公民館で待ち合わせをしていた人達も、消えてしまったから』
――もしかして、あの事故った車か?
『この人間消失現象は、やっぱり、バズウィードの街が起点になっていたの。私はこれから、その真相を確かめに行く。もし、もしも……、』
にゃあ、にゃあ、とボイスレコーダーから猫の声がする。
『ああ、アビー、いい子ね。もう少し我慢して』
にゃあ、と小さな声がした。
『もしも、私たちより後にたどり着いた人のために、行き先を示しておくわ。バズウィード量子力学研究所。そこがすべての始まりになっているはずよ。……戻って来れなかった時のために、このボイスレコーダーを置いておきました。これを聞いたあなたに、希望がありますように』
ブツンと音がして、ボイスレコーダーはそこで終わっていた。
「……」
ウィルは黙ったまま、目線をテーブルに広がる新聞へと向けた。
いくつもの記事が、雄弁に語っていた。
『各地で頻発、奇妙な行方不明事件はなおも発生』
『人間消失事件は国外でも――』
『各地で起きる人間消失事件は広がりを見せている。だれが、なんのために――』
ウィルはボイスレコーダーを元の位置に戻すと、あたりに散乱する紙類にもう一度目をやった。新聞。記事。雑誌。多くのメモ。そして地図が数枚。
地図を手にして黒猫を抱えたまま公民館の外に出ると、壁に掲げられた看板を見た。
『バズウィード公民館』と確かに書いてあった。
手元に視線を戻す。
地図には、量子力学研究所への道が示されていた。街の北側。中心地から少し外れた、山の中腹。
金色の目を向けた先には、田舎には似つかわしくない無骨な建物が少しだけ見えていた。
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