第13話 無人都市:観測する都市――①

 猫はどこにでもいて、どこにもいない。


 館をうろつく猫たちを、住人たちは気にしない。

 なぜなら、猫たちは自ら世界の境界線を越えることができるからだ。

 常連のように居着いているものもいれば、冬の間だけ館に留まるもの、たまに来ては去っていくもの。常に流動的で自由気まま。敵対する猫種やら、見えない猫やらいるものの――基本的に彼らは猫であるがゆえに、猫なのだ。

 結局のところ、いつの間にか増えて、いつの間にか消えている。

 そういうものである。


 だから、その日もウィルが廊下を歩いている時に、二、三匹の猫が足元を追ってきていても気にも留めなかった。

 ウィルの足がひとつの扉の前で止まると、猫たちも同様に足をとめて見上げた。

 奇妙な扉だった。

 奇妙というのは館によくある茶色いタイプのものでないというだけだ。ごく一般的な作りのドアだが、この館のどれとも似ていない。

 おそらく向こう側の世界のものだ。よくあることである。

 だが、すぐさまその手をドアノブに引っかけ、開けようと思ったのは――扉の向こうから強烈な視線を感じたのが原因だ。指先にピリリとした感触を覚えたとき、僅かに扉を睨み付けた。この館に――いや、少なくとも元の世界に帰るまで、この拠点に何かあっては困る。ただそれだけだ。他に理由はない――と、ウィルは自分に言い聞かせるように確かめた。

 だから、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せたあと、ウィルはドアノブを傾けて開けた。

 にゃあ、と向こう側から猫の声がした気がした。

 そのせいだろうか。ウィルの足が中に入るのと同時に、見上げていた猫の一匹が入り込むのに気がつかなかった。


 普通の家だ、というのが最初の感想だった。

 なにしろ廊下は狭くて、人ひとりが通るので精一杯くらいの広さ。そうでなくても、家の作りからしてごく一般的な家の建て方だった。古臭いすすけた花柄の壁紙に、古びた色の床板。まるでどこかの部屋からごく自然に廊下に出てきたかのような感覚。

 

 ――さっきの視線は……、無いな。

 

 視線の主はいないようだった。というより、うかうかしてはいられない。少なくともこの家からどうにかして出なければ、不審人物として通報されても困るのだ。

 明かりはついておらず暗かったが、玄関や窓のある場所は明るい。外は昼間なのだろう。幸か不幸か、人の気配は無かった。

 軋む床をゆっくりと歩き、明るい室内を覗く。


 視線を廊下の反対側に向けると、居間らしき部屋があった。

 ソファとテーブル、そしてテレビ。新聞がテーブルに置いてあるのに、テレビのリモコンは床に落ちた状態だった。魔力は感じない。機械文明であるのは確かだ。

 廊下の反対側にはキッチンもある。レースカーテンが開け放たれていて、花柄のクロスが敷かれたテーブルには、調味料のボックスが置いてある。椅子は四脚あり、壁には家族写真や子供が描いたような絵が大事そうに飾られている。

 まるでごく普通の民家だ。


 ――なんだ、これ……?


 だがそのテーブルには、ヤカンと、開けっぱなしの菓子の箱が置いてあった。床にはティーカップが割れたまま落ちている。割れた破片もそのままだし、そのくせ人の気配は無い。しかし、ヤカンに入っているのは水だけだった。すっかり冷めたのか、それともこれから沸かすところだったのか――どちらにせよ、お茶の準備をしようとした直前に何かがあった、というような様相だ。

 

 ――なにか妙だな、この家……?

 

 周囲を見回そうとして、足元に突然ふわりとした感触が通り過ぎた。思わず肩が跳ねる。


「なんだ、というかお前……」


 ようやく猫に視線を下ろしたウィルは、しゃがみこんで片手を差し出す。

 妙に見覚えがあると思えば、館にたむろする常連猫の一匹で、身体の小さな黒い猫だ。


「ついてきたのかよ」


 喉元を軽く掻いてやると、猫はみゃあ、と鳴いた。

 顔見知りのせいか、黒猫はウィルから逃げない。


「お前、ここの出身か?」


 背中を軽く撫でる。


「そうじゃなきゃ、とっとと館に戻――」


 はっと自分を見る視線に気づいて顔をあげる。猫の尻尾のようなものが、窓の向こうで微かに見えた。

 なんだ猫か、とステレオタイプすぎる台詞が出そうになって、やめた。

 だが確かに猫だった。少なくともあのふわりとした尻尾のサイズは猫のものだろう。

 ウィルは現状を思い出して、立ち上がった。


 ――誰かに、見られている……?


 だが住民に見つかったわけではなさそうだ。

 さっきの視線は、あの猫のものだったのか。だが、扉を見た時に感じたものとは明確に違った気がした。長居はしたくないが、正体が掴めない以上、おめおめと帰るわけにもいかない。


「おい、さっさと館に戻ってろ」


 ウィルは猫に言ったが、黒猫は逆にウィルの足元をくぐり抜け、玄関にたどり着いた。かりかりと玄関扉を爪でひっかく。


「にゃあ」


 それどころか、ウィルを振り返って、「開けろ」と言わんばかりに鳴いた。

 肩の力が抜けた気がした。さては双子の気質でも受け継いだか。


「あーもう、離れんなよ!」


 ウィルはやけくそ気味に言うと、玄関扉を開けてやった。

 明るい外へと黒猫はするりと抜け出していき、目の前には朴訥とした田舎の街が広がった。

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