第11話 迷子の荷物
「よしウィル! これはなんだかわかるか!?」
目の前に出された物体を、ウィルは半眼で見た。
ほとんど同じ形をした、あきらかにふたつでひとつの物体。外側はなんらかの皮で出来ていて、僅かな縫い目によって袋状に形を整えられている。一方の端からは何かを包み込めるように穴が空き、袋状になった先端は少しだけ反り上がっていた。この殻を纏いさえすれば、地を覆う石からも熱い砂からも身を守ることができる――。
すなわち。
「……どう見たって靴だろ」
「おー、正解!」
カナリアは明るい笑顔で、箱の中に靴を戻した。
この館にたどりついて数日経った頃。
ウィルは既にげんなりしはじめていた。
記憶喪失――それは相変わらずだ。どこから来たのか、どうやって来たのか、自分の名前すらわからず、仮の名前としてつけられた「ウィル」を名乗ることになったのはいいものの。
「じゃあこれは!?」
今度はスリッパを突き出すカナリア。
「スリッパ……」
「正解!」
「というか、似たものを出してくるな!」
どういうわけか、モノを見せられてはその名前を答える、という謎の実験をやらされていた。
「そもそも何の意味があるんだ、これは?」
「だ~か~らぁ~」
カナリアは段ボールに頭から突っ込む。
「お前に残ってる記憶がどこまでなのかを探る、みたいな?」
いいながら、次の靴を出してくる。
……たぶん、鉄で出来た靴だ。靴といえるかはさておき、形状は靴だ。
「記憶……なあ」
記憶喪失とはいえ、何もかも失ったわけではない。
食事や睡眠、生存に必要な知識はまだ存在する。衣服が何なのかわかるし、言葉も忘れてはいない。男と女の違い。小さな痛み。流れる血の色。何もかもがすっぽ抜けたわけじゃない。もちろん文字もわかる。
つまるところ、何を忘れたのかというと。
過去すべてにわたる、自分が体験してきた
自分がどこで生まれ、どんな名前で、誰と過ごし、どんな人生を過ごしてきたのかの喪失だった。
だがそれだけならまだいい。
よりにもよって、「落っこちた」先が次元の狭間――などという、自分の世界ですらない場所だというのだから、より事態は複雑化してしまった。
「ウィル、世界の名前ごと忘れてるだろ。だったら、何を知ってて何を知らないかは結構なヒントだぞ!」
「だからってありったけの靴を持ってくるんじゃない」
「靴だけじゃないぞ! シャツとズボンも持ってきた!」
「……」
ほぼ一緒だろうが、と喉まで出かかる。
「……とにかく、そんな細かいことを調べててもしょうがないだろうが」
「わかんないぞ。男女の呼び方が逆かもしれねぇし、『靴』を見て『生きものの死骸か?』って答える可能性もゼロじゃないだろ」
「あるかそんなこと!?」
「まあ起きた時にオレが用意したスリッパ履いてたから、あんま意味ねーな!」
高らかに笑うカナリアを見て、ウィルは呆れた目を返した。
もしかして揶揄われているんじゃなかろうな、と思い始める。
だが、少なくとも靴もスリッパも足に履くものだし、目の前の少女を「少女」として認識できている。意味記憶的なものは、ちゃんと頭の中に残っているようだ。
だが、それを履いてきた記憶はなかった。それでどんな地を歩き、どんな場所を歩いてきたのか。靴底ごと、ごっそり削り取られたみたいに。
――ということは、俺からすっぽ抜けてるのはやっぱり俺個人の記憶か。
ウィルが頭を掻くと、ドアをノックする音が聞こえた。
「二人とも! 調子はどう?」
ひょこりとドアの向こうからシラユキが顔を出す。
「ん~、いまのところダメっぽいな!」
断言したカナリアに、お前が言うのかよ、とまた喉から出かかった。
「自分のいた国の名前ごと忘れちゃってるものね」
「せめて日本とかマドゥベルバルとか覚えててくれれば違ったのにな」
「どこなんだそれは」
ウィルにとってはどちらも現存するか怪しい国の名前である。
「ちゃんと実在するところだぞ! 別々の世界だけど」
「本当か?」
「そうねぇ……、国や街の名前を覚えていないなら、地形とかはどうかしら?」
「地形か、いいだろう。……たぶん、森と海と山はある!」
自信しかない顔で言うウィル。
「どこにでもあるだろ」
「どこにでもあるのだわ」
「だろうな!?」
即刻ツッコミが入ってしまった。
「……もう一度聞くが、これはどういう意味があるんだ……」
「あら。どんな世界に属していたか知るためには、必要なことなのだわ。なにかを知っていれば、ウィル君のいた世界にも同じ文化や技術体系があるってことなの」
シラユキは段ボールの中に頭から突っ込んで、底の方から何かを取り出した。
手に持てるほどの道具で、取っ手のついた筒のような形をしている。筒の片方は大きく、もう片方は細く。全体はつややかな色合いで、なめらかなシルエットだ。金属か何かで出来ていて、細い方は金属の線がついている。取っ手の部分には小さなボタンや指でも動かせるレバー。そして取っ手の先からはゴムのような細いものが繋がっている。
「……それはあれだろ、髪を乾かすやつ。ドライヤーだったか?」
「そうそう! オレが教えたやつな!」
風呂からタオルを引っかけて出てきたウィルに、髪を乾かさないのかとカナリアが言ったのだ。
「うん。だけど、髪を乾かすってことや、なんとなくの用途はわかっても、
「……ああ」
壁の穴に差し込んで、エネルギーを通す。そうすることで使えるようになる、というのを、ウィルは理解できなかった。
つまり、機械の道具はウィルの中に存在していない。少なくともウィルにとっては身近ではなかった、ということがいえる。
「ただこれも、世界によって動力や仕組みが違ったりするのだわ。もしかしたら動物の骨で作られたものや、そもそも髪をかわかすのに道具を必要としない場所もあるかも」
「……」
少しずつ出自の輪郭めいたものは、照らし出されていっていた。
その断片を少しずつ拾い集めても、それでも――まだ決定的な形にはならなかった。
「いまのウィル君は、宛先不明の荷物みたいなものなの」
館に落ちてきた荷物を保護はした。だが住所はかき消され、どの世界の、どこの国の、誰宛なのかがわからない。
この館ですら、ウィルという荷物を「どこへ返せばいいのか」をなかなか認識できずにいる。
――世界レベルの迷子。
それがウィルの現状だった。
ウィルは、宛先の消えた荷札を胸の奥に抱いたような気分で、静かに息をついた。
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