第30話 純白のドレス。
「それであれば、仕方がありません。正直に言うといたしましょう。もう情報としては十分でしょうから」
「……情報?」
「えぇ、俺が聞いた情報を元に、婚姻式でのアンナ様のウェディングドレスを見繕ってもらっていたのです」
シルヴィオ王子の口から語られたのは、まるで思いがけない話だった。
だが考えてみれば、繋がるものもあった。
今日の突然のお誘いは、そういえば目的を聞かされていなかった。ただ王子が街へ出かけたいものと思ったけれど、それにしては彼は自分の服についてはほとんど見ていない。
「もしかして、今日は初めからそのために街へ?」
「ただドレスをプレゼントしようと言っても、アンナ様はついてきてはくれないだろう? だから少し嘘をついたんだ。非礼を詫びよう」
私はすぐさま、いやいやと首を横に振る。
謝罪してもらうどころか、むしろ私の方から感謝しなければならないのだ、本来は。
彼は私がドレスを自ら欲しがらないことまで読んで、わざわざこんな手を回してくれたわけである。
それを責めることなんて誰ができようか。
「じゃあ最初に店の方と喋られていたのも、最初から話を通していたからですか」
「あぁ、その通りだ。店には先回りをして、念のため人払いもしてもらっていた」
どうりで、他にお客さんもいなかったわけだ。
状況が腑に落ちたところで、男性の店員がひとり、少しバツが悪そうに店の方が裏手から出てくる。
「あの、お妃様のお好みに合うちょうどいいドレスがあったのですが……」
怯えたように両手をこねながら、シルヴィオ王子の反応を伺っていた。少し腰が引けてさえいる。
どうやらこの方も、王子が冷酷だという噂を信じている側らしい。
だがその実は、こんなにもあたたかい。思いやりに溢れた人だ。
「アンナ様、あなたは与えてばかりでいらっしゃる」
「私が、ですか。なんのことでしょう」
「今日、カルロスらにポーションを作ってやっていただろう? それだけじゃない、洗濯や炊事といった屋敷周りのこともそう。アンナ様は周囲の人間にそのお力を惜しみなく与えていらっしゃる」
そんなふうに見られていたとは、思わなかった。
与えるだなんて、そんなことをしていたつもりはまったくない。
「私はただ自分のできることをやっただけにすぎないですよ。当たり前のことだけです」
「その当たり前に、周りの人間は救われているんだ。使用人たちはみな、あなたが来て雰囲気が変わった、仕事がしやすくなったと言っている。救われているのは、俺もそう」
シルヴィオ王子は目元をそっと細めて、端正な顔にアクセントをつけるみたいに口元を少し緩ませる。
庶民になじめていると言ったけれど、撤回しなくてはなるまい。
この人はどこまで行っても貴公子だ。格好を地味にしたところで、その美しさは隠しきれない。
「アンナ様もたまには受け取ってください。みなの分を纏めて、俺からの恩返しです。遠慮ならいりません。それに、婚姻式にドレスは必要不可欠ですから」
ここまで言って、シルヴィオ王子は店員へと目を流す。
その視線で、意図を察知したらしい。
店員は裏へと駆けて行って、戻ってきたその腕の中には大きな衣装ケースがひとつ。
台の上へ、それは慎重に置かれる。
ゆっくりと上蓋が開かれると、中にあったのは白のドレスだ。
光を弾くと薄桃色にも見えるそれは、文句なしの逸品だった。美しくなめされた絹が丁寧に何枚も重ねられており、まるで今に羽ばたいていきそうな蝶のよう。
一目見て、つい息をするのを忘れる。
吸い込まれるみたいに一歩ずつ近づき、中を覗き込んだ。
「触ってみてもよろしいですか」
確認をとってから裾先のレース部分にそっと触れれば、この上なく滑らかで声にならぬ感嘆が、吐息となって漏れる。
私ははっとして手を引っ込めるのだけど、もう遅いらしかった。
「気に入ってくれたようですね、アンナ様」
「いやでも、えっとかなりお高いんじゃ……」
「俺も一応はこの国の王子ですよ、アンナ様。これくらいは、全く気にならない。それよりも気に入るかどうかだけを考えるといい。
アンナ様に似合うのは確かだな、店員よ」
店員は突然に振られて、ぶんぶんと頷くが、半ば言わせているに等しい。
たしかにいいものだろうとは思う。
けれど私自身、これを着た自分を想像してみても、うまく像が結んでくれなかった。
……ただ一方で、作業着でさえ眩しくて目がくらみそうな男の人の隣に立つことになるわけだ。地味な衣装では認められないことも、また分かっていた。
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