三徹

「三徹、何で?」


 非常にシンプルな疑問を口にすると、美鶴は「違う違う違う」と首を振った。


「ごめん! そうじゃなくて!」


「そうじゃなくて?」


「恋人のフリをして欲しいの!」


「恋人のフリ、何で?」


 至極真っ当な疑問を口にすると、美鶴は「違う違う違う」と首を振った。


「イチャイチャのバカップルのフリをして欲しいの!」


 悪化した。一体、どういうことだろう。


 また訂正が入るものだと思ったが、それはなかったので、事情を尋ねる。


「えっと、受ける受けないの前に、どうしてそうなったか聞いていい?」


「う、うん」


 美鶴はぽつぽつと小雨が降るようなテンポで話し始めた。


「実は、私がイラストを担当しているラノベ作家が、どうしてもイチャイチャを書けないって悩んでて。それで、書けないまま締め切りが迫っててさ、このままだとかなり不味い状況みたいな」


「何となく、話は読めたよ。つまり、その作家さんに書いてもらうために、イチャイチャしてるところを見せたい、ってことだよね?」


「うん、まあそういうこと」


 腑に落ちる。今日の美鶴の変な行動は、俺にそのことを頼むためか。いろいろする代わりに、ってことだろう。


 美鶴の行動の理由はわかった。だけど、疑問は残る。


「でもさ、どうして美鶴に白羽の矢が立ったの? 別に誰でもよくない?」


 そう言うと、美鶴は目を逸らして、乾いた笑い声をあげた。


「あ、はは、じ、じつはさ。高良と付き合ってることになってて」


「へ?」


「ち、ちがくて! そのぅ、ほら、自分で言うのも何だけど、まぁまぁ有名なイラストレーターじゃん? だから、色んな人がさ、ことあるごとに男を紹介しようとしてくるから……その」


「だから、彼氏がいるフリを?」


「……うん。それも、結構なバカップルって言っちゃったり、妄想のイチャイチャを話したりしてて。案外ノリノリで喋っちゃってる自分もいて。あれ、何か哀しくなってきた」


 このまま追求するのは酷な気がして、話を変える。


「まあ事情はわかったけど、それでも、美鶴じゃないとダメな理由はなくないか?」


「う〜ん。それがなんだけど、その作家、交友関係がひじょーに狭くて。私くらいしか友達がいないし、近くに住んでいるのが私くらいだから」


 それに、と美鶴は続ける。


「私の商業デビューはその作家の作品なんだ。有名にしてくれたきっかけの人だからまあ、力になってあげたいっていうか……」


 少しの沈黙の後、美鶴は笑った。


「あはは。やっぱり、嫌、だよね?」


「恥ずかしいけど、まあそういうことならいいよ」


「ほんと!? あ、でも少しでも嫌なら断ってくれてもいいからね?」


「別に嫌じゃないよ。美鶴には色々お世話になってるからさ、恩返しになるかはわからないけど、大抵のお願いなら聞きたいくらいだし」


 そう言うと、美鶴は嬉しそうにはにかんだ。


「ゃた。高良といちゃいちゃ」


 そんな蕩けた顔で言われると、急に顔が熱くなってくる。こんなことで照れていたら当日ちゃんとイチャイチャするフリができるか……って、あ、そういうことか。


「だから、三徹か。人によっては酒飲むより、徹夜の深夜テンションの方が上がるって聞くし」


「あ、うん。その……照れちゃうから、三徹くらいのテンションじゃないと、恥ずかしくてできないと思って。でも、高良はしなくていいよ。日常生活に支障が出るのは困るし」


「いや、俺もするよ。てか、しないと、恥ずかしくて出来ない」


「だ、だよね〜」


 妙な空気が流れる。甘ったるいような気まずい空気。そのときのことを想像しているのか、美鶴は伏した目を時折向けてくる。そのせいか、こっちまで想像してしまう。手を繋いで歩いたり、小突きあったり、キスしたり……。


 美鶴を見ていられず、目を逸らす。それがまた甘い空気を呼ぶ。が、声が聞こえて霧散した。


「ブルーマウンテンとグランドエスペランザペルセポネハーデスでございます……ひっ」


 突如立ち上がった美鶴の黒いオーラに小さな悲鳴を上げ、マスターは「ご、ごゆっくり、と去って行った。


 俺はそれを見てないことにして、グランドエスペランザペルセポネハーデスという名のやたらフルーツが多いフルーツサンドに手を付けることにした。

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