第127話 備忘録CaseIX・死者を弔う者
「あっ」
「痛かったかな?」
「ううん。違うわ。何か、忘れていた気がするんだけど……」
若夫婦のいつもの睦み合いの最中だった。
ユリナが不意に変な声を上げた。
入浴後に
ユリナは身を任せるように全てを委ねる。
うっとりと目を閉じ、安心しきっているとしか思えないユリナを見て、麗央の中であるものが鎌首をもたげる。
僅かな悪戯心とかなりのスケベ心である。
透き通るような白く、すべすべとして柔らかそうなものがちょっと指を伸ばせば、届くところにあった。
手が滑った振りをして、今まさに触ろうとしたところで不意にユリナが「あっ」と叫んだのだ。
ユリナの勘が鋭く、悟られたのかと慌てながらも紳士らしく、応じてみせた麗央は中々に成長したと言うべきかもしれない。
「まぁ、多分大したことじゃないと思うわ」
ユリナは兄を送り出したことを既に忘れていた……。
『巨石パーク』は九州の北端のS県S市にある自然をテーマとした新しいテーマパークである。
名称にパークが付いておりテーマパークと銘打たれているが、管理された公園というよりはかつて御神体と崇められし巨石群が点在する山と捉えた方が早い。
巨大な石の数々からは古代の息吹を感じられるとパワースポットとしても名高い場所だ。
しかし、この地にはかつて凄惨な処刑の行われた処刑場だった
その因果もあってか、パークが『
奇しくもイリスとテラの末っ子ペアが向かった『川古の大楠公園の迷宮』と同じ県にあり、フィールドタイプである点といい似通った部分が多かった。
イザークは確かに同地へと向かった。
だが、ソルは連行されたと表現する方が正しいだろう。
外へと引き摺り出され、さらには狼に変身したイザークによって、強制的に騎乗させられたソルはそのまま、手綱と鞍がない裸馬ならぬ裸狼での旅をさせられたのである。
パークに到着した頃には疲労困憊し、ソルも少しばかり痩せたように見える。
あくまで見えるだけなので実際に減量に成功した訳ではない。
「さあ、このまま行くのである!」
「ま、まじで!?」
目的地に到着し、ようやく人心地つけると考えていたソルは甘かった。
走り続けても未だ疲れ一つ見せないイザークは背にソルを乗せたまま、『迷宮』の結界へと突入する。
当然、彼らの動向を隈なく、報告している
水と食料も与えず、ダンジョンへと肉親を送り出したユリナとルナは、何と薄情なことかと思われても無理はないだろう。
しかし、実のところ、『あやかし』とは実体がある食べ物を口にせずとも生きられる不思議な
肉体を構成するのに十分なオドやマナがあれば、事足りる。
それらを吸収することで飲食の必要なく、生命活動も維持できるのだ。
『歌姫』の唄は安全かつ効果的にオドやマナを集められる手段だった。
彼女の唄を目に見える形で具現化させた物がダンジョンであると考えられていた。
ダンジョンは言わばアンテナに相当する。
さらにダンジョンを目当てに
ダンジョンでしか生成できない物品は彼らを釣る餌と言ってもいいのだ。
その為、イザークとソルの二人は飲まず食わずで問題なく、活動していた。
ほぼ不眠不休で飲まず食わずなので常人であれば、倒れていてもおかしくない。
二人は体内で余分に溜まったモノを消費し、動いている。
蓄えられていたと言えば、聞こえはいいが贅肉に溜まったモノを消費しているに過ぎないのだ。
自然と体型はスリムになる。
何よりこれまでは摂取しなくてもいい過剰な養分を取り入れていただけなのだから。
「ったくもう。何だか、むしゃくしゃするわ」
「吾輩は楽しいのである」
「ええ、そうでしょうね。あんたは
ソルは不眠不休に無飲食で動かねばならない現状に相当な鬱憤が溜まっていたのか、八つ当たりに近い勢いで
服は部屋に立てこもっていた時のそのままで着替えもなかったせいか、近所のコンビニに行くのも憚られるだぼだぼとしただらしがなく、野暮ったさが前面に出てくるやや黄ばみが目立つ元は純白のスウェットだった。
ぽっちゃりでも余裕をもって着られることを重視した服だったこともある。
スリムな体型に戻れば、ぶかぶかでだらしがないように見えるのも致し方ないのだ。
お守り代わりとして、首にぶら下げていたのが黄金のチェーンを付けた『
この鏡は神話上に描かれている代物より、大分小さい。
メイク直しで使う折り畳み式のコンパクトミラーと同じくらいの大きさなので掌サイズと言ってもいいだろう。
その小さな鏡がソルの放出した光の魔力を増幅し、不浄なる輩を焼き尽くす浄化の炎と化しているのだ。
一方のイザークは獣形態から、人の姿を取っている。
暗殺者スタイルと言っても十分に通る例の黒尽くめの装束である。
むしろこの専用装束がなければ、イザークは丸裸のままで獣から人に人から獣へと変身していただろう。
獣形態であれば、他を圧倒する巨狼であり駆け抜けるだけで衝撃波が発生したが、人の姿ではさすがにそうもいかない。
とはいえ、イザークは上背があり、筋肉質な麗央と比べても何ら遜色のない偉丈夫である。
アスリートの如き、体格それ自体が武器だ。
徒手空拳で纏わりつこうとする輩を文字通り、粉砕していた。
体術は何者かに師事した訳ではなく、ほぼ独学に等しい。
見よう見まねでありながら、形になっている。
地上における
「さっさと終わらせて、帰るのである」
「そうね。その意見にはあたしも同意するわ!」
イザークとソルが突入したダンジョン『巨石パークの迷宮』を現出させたのは
あちら側の柱にしては比較的、穏やかな神性を有している。
ただし、彼女の信者と言うべき者――それは死に魅入られた人間である。
彼女は顕現した瞬間、信者に安息なる永遠――死を与えるのだと言う。
それゆえに彼女は慈悲深く、穏やかな
従来、腰が重く滅多に動きを見せないキノトグリスにしては珍しく、自主的に動いた。
それが『巨石パーク』の迷宮化である。
S県内有数のパワースポットとして知られる『巨石パーク』だが、数百年前は処刑の行われた地だった。
罪人を生きながらにして、皮や肉を削ぐ皮剥ぎの刑が見世物になっていた。
この刑はあまりにも過酷な為、男性にしか行われていない。
しかし、女性の罪人が刑に処されるのは住人にとってはこれとはない娯楽だったらしい。
髪を剃られ人に非ずとの烙印を押された女性が厳罰に処される姿もあったと言う。
これらの罪に処された者の亡骸は、同地で供養されることなく撒かれたのである。
その怨念は数百年を経ようとも残っていたようだ。
キノトグリスは死者を弔う者である。
座所にてこれを感じた彼女が死者を弔うべく迷宮化したのだ。
そのせいなのか、『巨石パークの迷宮』は迷宮の名は冠しているがフィールドタイプの結界で構築されており、結界内には動く屍としか例えようのない悍ましきモノが闊歩していた。
彼らは生前に処された見るも無残な姿そのままに生きている者への恨みをぶつよけようと彷徨う。
ただ、突入してきた
圧倒的な破壊する力と全てを浄化せんとする強烈な光の前に『巨石パークの迷宮』はなすすべもなく、踏破されるのを待つだけだった。
しかし、キノトグリスは特に何も感じないのだろう。
彼女は怨念を抱えたまま、彷徨っていたモノを弔ったのに過ぎないのだから。
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