第123話 備忘録CaseIX・ぽっちゃり姉ともこもふ兄①

 ユリナは秘蔵の魔道具をいくつかイリスに託し、一人旅に送り出した。

 それでも不安は消えなかったと見え、室内を意味もなく行ったり来たりするユリナを麗央は何度も目撃している。

 常に冷静たらんとする表向きの顔――為政者としての一面を持つ妻を知るだけに驚きを隠せない。

 だが彼女が弱い姿を見せるのは自分の前だけとの自覚もあった。


(普段の態度も……いや。あれはあれで悪くないしなあ)


 悩み事がない普段のユリナを思い出し、「負け惜しみ~♪」と揶揄われることが既に癖になっていることに気付き、少しばかり落ち込む麗央を他所に事態は静かに動く。


 ユリナはイリスとテラの末っ子ペアが『川古の大楠公園の迷宮』の探索を難なくこなすライブ配信を見て、ようやく一安心した。

 ほっと胸を撫で下ろしたユリナは途端にいつもの調子を取り戻す。


「うふふふふ」

「ど、どうしたの、リーナ?」

「えー? レオは気付かないの?」

「何の話?」


 麗央はユリナの表情から、ある程度を察する。

 両手で口許を押さえながら、きらきらと星が飛びそうなほどに輝きを見せている。

 「また、いつもの悪い癖が始まった」と確信した麗央の推理は見事に当たっている。


「まぁ、そうよね。レオは……うふふふ」

「な、何かな?」


 彼女が何かとあれば、麗央にお姉さん風を吹かせたがるのは拗らせた性癖だ。

 物心ついた頃から続いており、思春期を迎え、恋をして愛を知ってからも治る気配はまるでない。

 むしろ下手に知識を得て、学んだことでより悪化していると言ってもいいだろう。


「何よ? レオ、負け惜しみなの?」

「いや、そういう訳ではないんだけどさ。気になること言うから……」

「レオは本当に気付かなかったの? 信じられないわ。知りたい?」

「ま、まあ、知りたいかな」

「正直でよろしい。じゃあ、教えてあげるわ♪」


 麗央も薄っすらと気付いてはいたのだ。

 イリスとテラの仲の良さは誰の目にも明らかな周知の事実だった。

 麗央以上に鈍感なイザークですら、察することが出来る代物なのだ。


 だが、このやり取りは夫婦の戯れ、スキンシップでもある。

 麗央が知っているのか、知らないのか。

 それはユリナにとってあまり重要ではない。

 麗央を揶揄い、彼とじゃれることがユリナには愉しくて仕方がないのだ。

 とことん厄介な性癖である。




 ちょっとをした麗央とそれほどにスキンシップを終え、ユリナはなぜか息が上がっている。

 心無し、頬は上気して桜色に染まっており、事後のようだった。

 しかし、この夫婦の間はそこまで進展していない。

 疑似的な睦み合い程度までが二人の限界である。

 それでも息の上がっているユリナと慌てて、浴室へと向かった麗央を見るとキャベツ畑に二人の愛し子がやって来るのは当分ないことが分かる。


 ユリナは、実に充実した一日だったと締めくくろうとして、大事なことを思い出した。

 伊佐名月いざな るなと交わした密約が未履行だったのだ。

 反抗期を迎えた弟のテラをどうにか更生させたいとする切なる姉の願いはどうにか、達成した。

 イリスとの間に何かが起きない限り、テラが道を踏み外すことはまずないと確信している。


 ユリナがテラを見て、思いを馳せるのは少年時代の麗央だった。

 二人はどこも全く、似ていない。

 容貌だけではなく、全てがあべこべなほどに似ていない。

 ただ真っ直ぐな思いを胸に秘め、ひたすら前に進もうとする姿が似ているのだと……。


「そうじゃないでしょ……。レオのこと考えている場合じゃないわ」


 独り言つとユリナはメモ帳にイラストを描く。

 少しぽっちゃりを通り越し、丸々と肥えた狼の面影がない羊のようにもこもことした生き物だ。

 円らな瞳と丸々もこもことしたもふもふ生物はそのままキャラクターグッズとして、販売出来そうな完成度の高さだった。

 実際、ユリナが以前、デザインした白いウサギの髪飾りは彼女自身がライブで付けたことも反響を呼び、グッズ化されている。

 その売り上げは馬鹿にならず、「レオに何を買ってあげようかしら」とユリナが良からぬ企みをするほどである。


「ダメよ、ダメダメ。お兄様は絶対領域アブソリューターベライヒでダイエットが必須ね」


 ところが何とも勿体ないことにもふもふ生物にはバツ印が付けられた。

 次にユリナが描いたのは丸っこいお餅のようなもちもちとしたと形容したくなる女の子だった。


「ルナから聞いた感じではこんなのよね。これもダメだわ。でも、まずはお兄様からどうにかすべきよね」


 ユリナの中で兄が祭壇に捧げられることが決定した瞬間である。

 寝室のベッドで既に微睡んでいたイザークが言い知れぬ悪寒を感じ、飛び起き辺りを見回したのは決して気のせいではない……。

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