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「見張りは五。武器は根こそぎ奪え。食料は燃やしてかまわん…………よし、作戦開始」
静かに呟くディブスの言葉を合図に、茂みに隠れた獣人たちが音もなく動き始めた。近づく影に気づくことなく、声をあげる暇もなく。見張りに立っていた何名かは、自身が死んだことにすら気づいていないかもしれない。
異常に気付かれる前に、残りの班が合流し武器庫から武器を持ち出し、食糧庫に火をつける。見張りを弑した武器を置き去りにするのも忘れない。
作戦時間は茶を二杯飲めば終わる。
ヴァリ王国内の軍備を奪い、燃やす。今日までの間に、それは二十を超えた。
作戦の指示はすべてディブスが行っているが、どこを狙うかはすべてアーデルハイトが決めている。
この作戦のためにイリシャから飛べる者を数人借りてきたのだ。空に目があるとは想像もしていないヴァリ王国軍にとって、裏切り者探しは終わることのない悪夢だろう。ヴァリ王国軍にしてみれば、裏切り者がいるとしか思えないほど情報が筒抜けなのだ
戦争とは、軍がぶつかるよりもずっと前から始まっているもの。ヴァリ王国軍は開戦が決定したわけでもないのに、すでに疲れが見え始めていた。疑うことは疲弊に繋がる。
有翼種族が持ち帰る情報を元に狙うべき軍備倉庫を決め、実際の作戦行動はディブスと獣人族が行う。耳の良い彼らは特別な合図がなくとも、ディブスがただ呟くだけですべてを聞き取る。夜目が利く彼らにとって、夜は最高の舞台だ。
ディブスの集めた独立派たちは参加させていない。ただでさえ心象の悪い作戦だというのに、人間の恐れる魔族が作戦の要だと知ったら士気は大いに下落する。速度が命の作戦だというのに、連携に関わるどころか、下手を打てば内部で割れかねない。ディブスの抱える独立派たちも一筋縄ではいかないのだ。
ヴァリ王国各地に散らばる軍備倉庫と輸送中の物資をちまちまと狙う。ひとつ、ふたつ潰されたところで大きな影響はないが、数が重なれば必ず影響が出る。しかし、軍備を狙うことによる直接的な影響を期待しているわけではない。それは副次的なものであって、少し影響が出たら良い、程度のもの。相手に被害を与えるためにはもっと大掛かりにことをこなす必要があるが、残念ながら相も変わらず人手が足りていない。
ヒューイたちの働きによって、ヴァリ国内では戦争意識が高まり続けている。アーデルハイトの指示によって、囁かれる噂が増えた。
娯楽の少ない民衆にとって、噂話と言うのは一種のエンターテイメント。意図しない世論は国上層部にしてみれば頭の痛い問題でしかない。
『ツムシュテクがメルダースに聖戦を仕掛けるらしい』
『奪われた領地を取り返すには今しかない』
『メルダース帝国の奴らがヴァリの軍備を潰そうとしている!』
『奴らは十年前も罪のない農民を虐殺した!』
『これは奴らのやり口だ!』
ヴァリの軍備倉庫から奪った武器などの類はすべてケイマンの反乱勢力に卸していく。数は多くなくとも、軍事行動を控えた独立派たちには貴重な資源。そのかわりに、ハッセルバムの魔族が過去に奪ってきたメルダース製の武器を襲撃現場に置き去りにして。
「こんな簡単に上手くいくと、違う意味で怖くなってくんな」
「ヴァリ王国は小国だけれど、けして貧しい国ではない。実際に事が起きれば、簡単にはいかないわよ」
「んなこと、俺が一番わかってる」
奪った軍備の数を確認しながら、ディブスの指示でそれらを仕分けしていく。ディブスの態度によるものか、それとも人間に指示されることが気に食わないのか、アーデルハイトの部下たちは揃いも揃って不満そうな顔を隠さない。
アーデルハイトの集めた百余名の配下は、どの種族もハッセルバム建国以降に生まれた若い世代であり、人間への直接的な憎しみは少ない。それでも、樹海の奥地という荒れた土地に追いやったのは人間であり、長く苦しい飢えは人間のせいだという意識が根底に根付いている。
魔族は忌避するべきだという人間的な感覚を持ち、ハッセルバムの内情を知らぬディブスには、そんな魔族たちの機微など理解できない。魔族というだけで恐れたりはしないが、だからといって友好的に接するつもりは微塵もないのである。
ディブスがヴァリ王国製の槍を振り回し、ケイマンで主流となっている武術の型をとる。片足が不自由であることを微塵も感じさせない動きだった。
「質があんま良くねぇな。お前が持ち込んだメルダースの武器のほうが良い」
「数が用意できませんでしたので、そちらに卸すことができず残念です」
「ぜってぇ嘘だろ」
嘘である。
ハッセルバムとて軍備や物資は貴重だ。国内の大変革により景気が大幅に上がっていても、つい数年前まで飢えに苦しんでいた事実は変わりない。強い力場の影響で討伐しても討伐しても魔獣が湧きだす国。武器の類は無駄にできない。
それ故、ケイマンに持ち込んだものもほんの少量。戦闘現場にひとつ、ふたつ残しておくくらいしか余裕はなかった。
あからさますぎるほどの証拠は、平時でみれば怪しいことこの上なく、メルダース帝国以外の介入を疑えただろう。ヴァリ王国の上層部は疑っているかもしれないが、学のない平民には難しいこと。絶妙なバランスで保たれていた西大陸の情勢が、各国の民に処る鬱憤で崩れつつある。如何に情報を統制しようとも、どこからともなく真実を含んだ噂が大きくなる。
なによりもメルダース帝国がかすめ取った領土には、反乱勢力の温床となるヴァリ王国の旧貴族たちが残っている。そこに暮らす民たちは十年前まではヴァリ王国の民であり、十年経とうと自身の祖国がヴァリ王国であることに変わりなかった。祖国の声に背中を押され続ける彼らはいずれ立ち上がらざるを得なくなる。
ゴルダイム辺境領に残した二十名も良い仕事をしてくれている。
レッドラインに常駐していた傭兵が戦争のにおいを嗅ぎつけて、続々とケイマンに集まってきた。戦争意識が表面化しているヴァリ王国でも、聖戦の話がやまない聖ツムシュテク教皇国でもない。先んじて情報を流し、金を渡して傭兵を確保したのは、まぎれもなくアーデルハイトの仕業だ。
これから先、傭兵たちにレッドラインにいてもらっては困るのだ。
そして、アーデルハイトの『影』もすでに動いている。印象を残さない影どもは、見窄らしい浮浪者にも、見目麗しい役者にも、精悍な騎士にもなれる。彼らの技術にアーデルハイトの持つ元皇后としての機密情報を組み合わせれば、忍び込めない場所など存在しない。
ヴァリ王国の姫がセンドアラ公国の公子との婚姻に渋り続けているのは、周辺各国では有名な話だ。ヴァリを手中に収めたいのはメルダース帝国だけではない。小さくとも豊かな土地は、どの国にとっても魅力的だ。
婚姻という術を用いてヴァリと手を結びたいセンドアラ公国は、嫁ぐのが嫌であれば公子を婿に出してもかまわないと言い募り、すでに五年が経った。
センドアラ公国の公子といっても、出来損ないと呼ばれる四男坊だ。二十いくつにもなって、お人形遊びのやめられない、頭の作りが壊れた男。センドアラ公国としても体のいい厄介払いである。
婚姻の話が持ち上がってから五年。姫はあの手この手を使って逃げ続けているが、その当人も結婚適齢期を逃しつつある。このまま放置すれば、公子との結婚も時間の問題だろう。
アーデルハイトにしてみれば、『ちょうどいい』のだけれど。
メルダース帝国、聖ツムシュテク教皇国、ヴァリ王国、ケイマン。センドアラ公国とホロホロ族を巻き込む戦争という名の舞踏会。
開幕の火蓋を切って落とすのは、『影』の仕事だ。当初の予定ではもっと回りくどい方法を選ぶつもりだったが、『影』という優秀な道具のおかげで油を差した良い歯車ができた。
ヴァリ王国の姫には熱く、短い恋を贈ってあげる。地位と命を捨てるほど熱い恋になることを祈ろう。
自国を挟む形で二国の情勢が危うくなりつつあるというのに、マーティアスの治めるメルダース帝国は有効な一打を打てずにいた。いかようにもやり方はあるというのにそれを成せないのは、メルダース帝国内の勢力図が分裂している証拠でもある。
おそらくマーティアスの動きを阻害しているのは反皇帝派の者たち。代表はソアラと恋仲にあったコルネルス・バルデルの父、クリストフ・ダン・バルデルであろう。マーティアスを支えるべきソアラが、反皇帝派の貴族たちを抑えておけるとは、アーデルハイトは微塵も思っていなかった。
「おうおう。魔族、すげぇな……」
「ええ。統制のとれた彼らほど怖いものはありません」
「先に言っておく。ケイマンはけしてハッセルバムの敵にはまわらん」
ディブス・トゥシマカサは優秀な男だ。攻め時を伺い、引き際を知り、敵になってはいけない人間を見極める。国を率いていく上でどのように変化を遂げるのかはわからないが、生き残ることにかけては右に出る者はいない。
「敵になってもかまいませんよ。貴方がハッセルバムに牙を剥こうとも、わたくしは国のため、陛下のために策を弄して貴方を殺すだけですから」
「相変わらずトチ狂ってんな……」
「前王妃……いえ、従姉をご自身の手で暗殺するような方に言われたくはございませんね」
ゴルダイム辺境伯領レッドラインから届いた報告書を読み終え、その密書を指先から出した小さな火で燃やす。その内容をディブスに共有するつもりなど微塵もない。ディブスもまた、アーデルハイトに駒として利用されていることを理解し、そして己もアーデルハイトを利用できていると思っている。
ディブス・トゥシマカサはけしてハッセルバムの味方ではなく、それは逆も同じこと。アーデルハイトとディブスは、仲良しこよしの友人ではないのだから。
「はっ、俺に従妹なんざいねぇ」
「ええ、そうでした。いたのは『ヴァリにケツを振る醜悪な売女』だけでしたね」
「お前……四年も死んでたくせにどこで聞いたんだよ……」
西大陸の人間諸国では死んだことになっているが、アーデルハイトはその期間眠り続けていたわけではない。アーデルハイトの目となり耳となる手足は順調に育っている。
ディブスは、アーデルハイトがただ黙ってディブスが訪ねて来るのを待っていたとでも思っているのだろうか。
「ふふ、少し小耳にはさんだ程度ですわ」
「はぁー。マジで怖ぇ。味方でいてやるから、殺してくれんなよ」
味方でいてやる、ですか。
ディブスには権力欲というものがない。一切ないわけではなく、生まれ落ちて三十年、休む暇もなくヴァリ王国を恨み続けてきただけ。ケイマンの独立が成された暁には、それらを率いていくのはディブスとなろう。憎悪と執念という強い狂気の向かう先がなくなった時、その矛先は『都合が悪いもの』として必ずハッセルバムに向かう。
聖ツムシュテク教皇国には聖戦の口実を与えた。
ヴァリ王国には領地奪還戦争の機会をつくった。
ケイマンには独立戦争のお膳立てをした。
あとは最後に、背中を押してあげるだけ。
舞踏会の会場はメルダース帝国。メルダース帝国の元皇后から皆様に招待状を出しましょう。
―――さあ、どうか、わたくしの愛のために思う存分踊ってくださいませ
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