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物語も終盤に近づいてまいりましたので一日二話更新します。次の更新は夜
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『ヴァリ本国はメルダースに領地奪還戦争を仕掛けようとしている。まだ以前の戦争の傷跡も言えていないのに、また農民たちは徴兵されるだろう』
『ハッセルバムは小国であり、同盟国を求めている。ケイマンの独立が成功した暁には力を貸してくれる』
ケイマンの各地でそんな噂が散見されるようになってから、およそふた月。
アーデルハイトは、ヴァリ王国での活動をヒューイに任せ、ケイマンでの活動に勤しんでいた。ヴァリ王国が領地奪還を目論んでいる、というのはケイマンで活動するノアたちが流したものであるが、その噂の巡りが早いのはヒューイら二十名が上手いこと動いているからだろう。
聖ツムシュテク教皇国での活動は首都シットメットの範囲に抑えていたが、ヴァリ王国とケイマンはそうもいかない。聖ツムシュテク教皇国は領土は広いものの、情報も人もとにかく首都シットメットに集まる。逆をいえば、シットメットで流れた噂は、馬車よりも早く各地に届く。信仰でできたかの国は西大陸の中でももっとも安定した統治で、首都郊外にまで噂をばらまく旨味が少なかった。
ヴァリ王国とケイマンはふたつの領土を足しても聖ツムシュテク教皇国にも満たないほど小さい。簡単に全土を回れるほど小さいわけではないが、膨大な労力を伴うほどでもない。配下たちに負担をかけることになるが、農村を焼いて回るよりマシだろう。血の気の多い魔族といえど、その悪行に耐えられるほど強い者も、心が鈍い者も、どこかが狂った者もなかなか見つからない。
ヴァリ王国ではメルダース帝国に対する戦争意識が高まっている。アーデルハイトはもともと燻っていた種火に空気を送り込んだに過ぎない。
そもそもがヴァリ王国とメルダースは友好国ではない。十年前の戦争で、漁夫の利を狙われ領地を奪われた。挙句、数年前から特産である砂糖の輸入量も激減している。
しかし、小国であるヴァリ王国はいかに民心の不満が膨らんだところで、メルダース帝国へ自ら仕掛けることはないだろう。領地を奪い返すどころか、さらに土地を削られるのが目に見えている。
戦争を起こそうとしている。戦争をしたいと思っている。これでは足りない。確実に、着実に、ヴァリ王国はメルダース帝国との開戦に踏み切ってもらわねば。
だから、アーデルハイトがケイマンにいる。ヒューイが優秀に育ってくれて良かった。なるべく長くアーデルハイトの手足として動いてもらうためにも、彼にはなるべく五体満足に生きていてもらわねばならない。
行商人に扮したノアら五十名が複数名に分かれてケイマンの各地を飛びまわり、二十名がゴルダイム辺境領レッドラインで傭兵を勧誘し続けている。傭兵に支払うための報酬は行商で稼いだ分をすべてつぎ込むつもりでいる。それでも足りなければ国庫から引き出すしかあるまい。
アーデルハイトはケイマンの王都プァンナモで待っている。
彼は確実に動く。間違いなく。そして、アーデルハイトがアーデルハイトだと確信をもったうえで訪ねてくるはずだ。
プァンナモは『王都プァンナモ』と呼ばれるが、それは三十年前の名残である。ケイマンをおさめるのはたしかにケイマンの名を継ぐ王族であるが、王そのひとはヴァリ王国の王子だった人間だ。実際に血の正当性があるのは現在王妃の座におさまっているお飾りの姫。齢十四歳。王の年齢が五十を超えていることについては何も言うまい。
お飾りの王妃に血の正当性があると言えども、直系ですらない。ケイマンがヴァリ王国の属国と化した際、王族のほとんどは弑され、残った者も領地を持たない貴族に押し込められた。『ヴァリの粛清』と呼ばれる、凄惨な侵略劇だ。
現在ケイマンに残る王族の血を引く者は僅か三人。ひとりは現王妃のミズトラ。もうひとりはミズトラの母、伯爵夫人のホナイシュ。ホナイシュは王族傍系にあたる公爵家の娘である。最後のひとりがディブス・トゥシマカサ。彼の母は、粛清当時の王妹であり、戦争が起こる前にトゥシマカサ侯爵家へ嫁いでいたことで処刑を免れた。しかし敗戦による心身喪失が酷く、ディブスを出産した際に亡くなったという。
ミズトラが王妃となる前は、ケイマン王族の血を引く姫が王妃の座についていた。彼女が王妃の座に押し込められたとき、その姫は齢四つであった。病死したことになっているが、王族の『病死』ほど信じられぬものはない。
なんといっても、幼い頃からヴァリ王国主義の教育を受け続けた者だ。前王の血を引きながら侵略国派につく姫など、いつ殺されてもおかしくないというもの。
「青薔薇様。サイハテ商会長に目通り願いたいという者が……」
「客かしら」
「いえ、記憶にない顔ですが……どこかの家の遣いにしても……」
鹿獣人のリィンに頷いて、通すように言う。
かつん、かつん、と軽い違和感を残す足音に、アーデルハイトは薄く微笑んだ。
釣れた。
「青薔薇様、お通し……あの、ベールは……?」
「問題ないから、通して頂戴」
リィンの目が泳いでいたが、それもそうだろう。アーデルハイトの目には金色の力が渦巻き、紅をさして死体らしさを隠したと言えど、人外であることは一目瞭然だ。
ぎぃ、と宿の扉が開き、熊のような体格の男が顔を出した。相変わらず、王族の血を引くとは思えないほど人相が悪くいらっしゃる。
「よぉ、久しぶりだなアーデルハイト」
「あなたが死んでいなくて良かったわ。そんなところに突っ立っていないで中に入ってお座りなさいな」
「今回こそはマジで死んだと思ったが、影武者が間に合ったようで僥倖だったな」
ディブス・トゥシマカサ。その男はアーデルハイトがヴァリ王国の領土をかすめ取った際に協力関係にあった男である。
左足を引きずりながら入ってきたディブスは十年前に比べるとだいぶ老けたようだが、それでも相変わらず健勝なようで、シャツの下には鍛えられた筋肉が覗いている。
なんのことはない。アーデルハイトが待っていたのは反ヴァリ勢力、いわゆる独立派の親玉というだけのこと。そして言わずもがな、このディブス・トゥシマカサがその独立派代表。
十年前のヴァリ王国とメルダース帝国の戦争では、ケイマンの独立意識を高めさせヴァリ王国にぶつけることで漁夫の利を得た。その際に独立派の代表としてアーデルハイトが引っ張り上げたのがこの男だ。
アーデルハイトが生前に蒔いていた種のひとつ。
『ケイマンの独立が成功した暁には力を貸そう』
この文言は十年前と同じ。ディブスであればアーデルハイトという名で結びつけることなど赤子の手を捻るより容易かったことだろう。
あの戦争では最初からケイマンの独立は狙っていなかった。そのことはディブスもわかっている。はじめからケイマンの独立は十年をかけて行うつもりで、アーデルハイトとしてはそのタイミングでヴァリ王国を丸ごと飲み込む予定だった。
マーティアスの地位を押し上げるためには戦争の勝利は必須であり、なるべく早い段階でこなす必要があった。その後若くして即位したマーティアスの地位をさらに固めるために、ヴァリ王国を飲み込む計画を立てていたのである。実際は様子を見てケイマンも飲み込んでしまおうと思っていたことは言わなくとも良いだろう。
結局、ヴァリから奪った領地に残した種や、ディブスのような種を生前に使うことはなかったが、それがこんなところで役にたつとは僥倖であった。
「替え玉も影武者もつかっておりませんよ。マーティアス様が死ねとおっしゃったので、正しくわたくしはあの場で死ぬつもりでございました。わたくしの目をよくご覧になりなさい」
「お? ぅおう! 魔の目なんて初めて見たぞ、オイ」
「そんなに近くで見ろ、とは言っておりません」
ディブス・トゥシマカサは馬鹿に見せかけて、けして馬鹿ではない。自ら砕いた片足がその証拠。ヴァリ王国という鎖に雁字搦めにされたケイマンでは、五体満足の王族は生きていけない。
生き残るために愚かなふりをする、というのは王侯貴族にはよくある話だ。ディブスが優秀さを前面に押し出すような愚か者であれば、今ごろこうして二本の足で立つどころか、生きてさえいなかっただろう。属国化された国のなかに生き残る王族の血は、反乱の温床なのだから。
「首を切られて死んだはずが、魔族として息を吹き返し、紆余曲折在りまして魔族の国ハッセルバムの王妃となりました。わたくしの近況は以上です」
「待て。待て待て。ちょっと待て。いろいろ省きすぎてワケわかんねぇぞ、オイ!」
「わからずともよろしい」
この男ならば知り合いが魔族になったというだけで簡単に恐れたりはしない。使える者はなんだって使う。ヴァリ王国への復讐を果たすためならば、泥を啜り、屍すら喰らうだろう。ケイマンの独立はディブスにとっての目的ではなく、手段なのだ。復讐という面だけとってみれば、クリセルダより何倍も優秀な男に違いない。
故に、魔族という武器を彼は迷わずに握る。一切の恐怖がないわけではなく、その恐怖を覆い尽くすほどの怒りと憎悪、そして狂気。
ディブスはアーデルハイトを『狂った女』と称するが、アーデルハイトにとってすればディブスこそ『狂った男』なのである。
ディブスが見慣れているだろう微笑みを浮かべる。
「わたくしが愛する国はかわりましたが……十年前の約束を、果たしに参りました」
「あぁ、待ってたぜ! お前が魔の目を持とうが、どっかの国に鞍替えしようが、ヴァリを食い尽くしてくれんならなんでもいい。歓迎する」
がっしりと握られた手は、アーデルハイトの手を握りつぶさんとばかりに力が込められていた。
するりとその手を解いて、リィンに渡された
アーデルハイトのこれみよがしに失礼な行いも、ディブスはなにも言わずに笑うだけだった。
「土産がある」
なんでしょう、と問う前に、ディブスが入れ、と声を上げた。
ふとその場の空間が歪むように、幾つかの影が部屋の中に降りた。扉は開いていない。隠れるような場所も、この部屋にはない。それらはまるで、突然この部屋に現れたかのようだった。
リィンの肩が驚いたようにびくりと震える。
馴染みがある。アーデルハイトが名を呼ばずとも、「ここへ」と声を発すればどこからともなく現れる。皇后となってから、アーデルハイトが都合よく使い潰していた影。
「ご無沙汰しております。我らが主よ」
「…………随分と懐かしい顔ぶれね」
他者に印象を残さない顔立ちの男たち。表情もないままに、その目からぽろぽろと涙が出てこぼれ落ちた。
「必ず我らのもとに戻ってくださると、ずっと信じておりました」
「おそばに馳せ参ずることが出来ずにいたこと、どうかお許しください」
「どうか……どうかこの影にその血を注ぎ、昏きこの道にふたたび生きる意味を。この影に、新たな価値のある死を」
それは『影』と呼ばれる者たちの誓いの言葉。主を定め、命令通りに工作、間諜、暗殺を行う、帝国貴族の飼い慣らす暗黙の私兵。その多くは表の道を歩くことすら許されなかった貴族の庶子や、孤児、戦争遺児たちだ。影として育てるために生まされた者も多い。
主人の命令を生きる意味とし、それによる死に価値を見出す。哀しく不毛な生き物たち。
「貴女が国を去ったのち、裏切った者も不名誉の死を遂げた者もおりません。捉えられた者も皆、価値ある死を手にしました。どうか、我らにも価値ある死を手にするお許しを」
数名の影が、そうして然るべきとでも言うように自然と膝をつき、こうべを垂れた。
死んだ女への忠誠を守るなど、馬鹿なことを。主人であるアーデルハイトが死んだのなら、自由の身となり、己の人生を歩めば良いものを。
そう思う。そう思うが、けして口にはせぬ。それは彼らにとって、何よりも価値のあるもの。生きたいともがきながらも、絶望を捨てられない。『影』とはそういう生き物だ。
「……許します」
アーデルハイトは親指に歯をあてて、そこに傷をつくった。すでに死した身体であるため、滲んだものが本当に血なのかは怪しいとこ
ろであるが。
影の誓いに返す言葉は様々だ。そもそもが暗黙の私兵であるため、他の貴族がどのように答えているかなど知る由もない。故に、その言葉にきまりはない。ひとつだけ共通するものといえば、己の印を影に刻むということ。
貴族の影には、その身体のどこかに必ず印が刻まれる。捉えられた影がひとりでも裏切れば、その印がどの貴族に属するのかが漏れる。ひとりの裏切りは全ての影の死を、そして主人の破滅を意味する。
死んだとされるアーデルハイトの影たち。捉えられた者が価値ある死を遂げたということは、『アーデルハイト様、万歳』とでも口にしたか。本当に、馬鹿なことを。
「あなたはわたくしが生かし、そしてわたくしが殺します」
生前にも告げた言葉をふたたび告げ、彼らのうなじに傷をつける。彼らのうなじにはまだ、アーデルハイトが咲かせた青い印が咲いていた。
「あなたがたの生と死は、わたくしが預かりましょう」
傷に己の血を押し付け、魔力を軽く流してやれば、上書きをされるかのように新たなアザが咲いた。青い花のような痣が、金の花へと姿を変える。
不思議な儀式だと思う。
アーデルハイトの印は、アーデルハイトが決めたものではない。己が持つ神聖力によって、勝手に形が決められる。まるで、誤魔化すことのできない紋章のように。
この花は、魔族となったアーデルハイトの花。
神聖力を持たぬ者は影の主人にはなれない。束縛する力などないはずのこの印は、けれど影たちを死ぬまで束縛する。
「そいつらな、お前は必ず戻ってくるって言ってたんだよ。お前に死んでも良いって言われてないから、死んではならないとかほざいて」
「バカね」
「お前の名前を聞いたわけじゃねぇが、こんな気持ち悪いくらいにズブズブの忠誠を向けられるような主なんて、お前くらいしかいねぇだろうよ」
数名が捕まり、価値のある死を遂げたのなら、アーデルハイトの青い印はすでに知られたところとなった。アーデルハイト本人はすでに死んだものとされても、悪女の影だ。捉えられ、印が見つかれば問答無用で首を縛られたはず。
他国のなかでもケイマンを選んだのは、延命措置としてもっとも懸命な選択であった。
ああ。しかし。これは本当に嬉しい誤算だ。この数年間、いったい何度、影がいればと思ったことか。
「ディブス。こんなに嬉しい贈り物、そうはないわ」
「感謝しろよ。とはいえ、俺にこいつらは扱いきれなかったからな……」
「あたりまえでしょう」
わたくしの影なのですから。
そう告げた言葉に、ひとりが顔をあげた。
口角をあげて、微笑みかける。これらがいれば、手の届かなかったところにも手が届く。国のために、さらに多くのことをなせる。
「あなたたちが生きていてくれて、良かったわ」
さあ、どうか。
新たな生を受けたアーデルハイトの影たちよ。ハッセルバムのために生き、そしてハッセルバムのために死んでちょうだい。
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