9


 ねぇ、ノア。と話しかける。


 新たに迎え入れた二十名の駒たちに「あなたたちが一番の部下になるのです」と発破をかけたところ、なぜかノアが拗ねて面倒であった。

 アーデルハイトは部下のご機嫌を取るほど優しくない。


 わざわざあの二十名に語って聞かせたのは、彼らにやる気を持たせるために必要なことであり、ノアにそれは必要なかろう。

 ノアは森人たちのなかでまごうことなく落ちこぼれであったが、出会ったときから捻くれたところのない真っ直ぐな青年だった。素直すぎるきらいもあるけれど、それもまあ悪くはない。


「はい! アーデルハイト様の一番の側近がお答えします!」

「…………首都に戻ってきてから視線を感じるのだけど、なにか心当たりは?」


「えっ、アーデルハイト様、誰かに狙われてるんですか……?」


 それを知るために声をかけたのだ。

 ノアが答えを知っているとも、この視線に気づいているとも思っていない。今こうして魔王城の廊下で言葉にしたことに意味がある。


 この瞬間にもじっと観察されるような視線を感じていた。間近で見られているような、それでいて遠くにいるような。

 視線に気づいているぞ、と主張はしてみたが、どうにも気分が悪い。


「殺気がないのが気持ち悪いのよね……」

「殺気なんて向けられたら怖いだけですけど」


「あなたに暗殺者を差し向けたらサクッと殺せそうね」


 ノアが真っ青になって震えた。



 アーデルハイトが向かうのは魔王城にある使われていない一室。

 この城は常駐している人数の割に空き部屋が多い。側近が暴れて壊すたびに修繕されているが、未使用の部屋は壊されたままのところもある。

 ハッセルバム建国の際、クリセルダに恩義のある岩窟人たちが気合を入れて作り上げた美しい城だ。人間たちが想像するような邪悪な見た目はしていない。


 すれ違う者たちが当たり前のように頭を下げていく。


 魔王クリセルダのお気に入りであるというのは有名らしく、とくになにもしていないのに怯えられている。第四軍のウルを返り討ちにしたとシナリーが広めたのも大きいだろう。ハッセルバムでは強い者が尊重される。

 そのウルには『なよっちい耳長を侍らせている』と吹聴されているようだが、状況的に間違えていないので訂正の必要もない。


 扉の前に立つと、ノアが率先してそれを開ける。アーデルハイトに開けさせるな、と教え込んだ。アーデルハイトが椅子に座るときはそれ引くし、レッドラインで仕入れた紅茶の淹れ方も覚えさせた。出かけるときには外套を用意し、荷物も全てノアが持つ。

 側近とは名ばかりの侍従と化しているのだが、本人が満足そうなので構わない。


「青薔薇様! お待ちしておりました!」

「どんな感じかしら」


 壁を抜いて二部屋を繋げた広い空間には独特の臭いが充満している。

 アーデルハイトを出迎えたのはイタチの青年ヒューイ。オレなんか、と言いながらも、アーデルハイトに声をかける勇気のあった小柄な彼だ。


 部屋のあちこちに散らばる試作堆肥と、深めの木箱に詰められた暗黙土。ここは肥料のために用意させた実験室である。

 アーデルハイトの狭い自室で行うには手狭であった。この臭いのことを考えると、早々に実験室を用意した甲斐があったというもの。


「ハーイージっ!」

「シナリー、首が落ちるからやめてちょうだい」

「落ちたら拾ってあげるよ」


 後ろからドンと抱きついてきたシナリーはそのままに、まずはズレた首を直す。

 落ちることが問題なのではなく、視界が回って酔うのが問題なのだ。胴体と首が離れているときの感覚にも未だ慣れない。


 地面から自身の体を見上げるなど、そうできる経験ではないはず。


「あら、私が最後? シナリー、ハイジがブチ切れそうな顔をしているから離してあげて」

「ハイジの体、冷たくて気持ちいいんだよね」


 死んでいるのだから当たり前だ。

 というか、自身の体温など気にしていなかった。五感は生きているが、暑さや寒さが気にならなかったのは体温を失っているからというのも今気づいた。


 木箱に暗黙土を準備してくれたらしい森人のユアンがひらひらと手を振る。


 新たに手足となった二十名に実験肥料の管理をさせ、およそ一ヶ月半。

 実験用の木箱は四十を超える。肥料を混ぜていないもの、混ぜ方や比率、材料を変えた複数種類の試作肥料が混ざったもの。どれかひとつでも上手くいけば僥倖だ。


 ちなみに二十名であるが、交代で肥料の管理をさせつつ、アーデルハイトから必要事項を学んでいる。馴染みのない人族領の情勢なんかは、頭に詰め込むのに苦労していた。

 それでも弱音を吐く者も、文句を言う者もいない。


 アーデルハイトの意図を汲んでか、お前らは特別だとノアが常々言って聞かせている効果もあるのだろう。


「準備はできているぞ。種芋ももう植えてある」


「この部屋くっさいわね……」

「あたしはもう慣れたよ」


 魔王側近が集まっているためか、イタチたちは壁際に整列して静かに控えている。帝国流ではあるが、礼儀作法も学ばせているのだ。まだ一ヶ月と短くも、随所に成果が見える。


「じゃあ早速やりしょうか。私がここからそこまで、ユアンはその真ん中あたりで、シナリーはそこね。で、ハイジが向こうのやつね」

「…………わたくし、植物育成などできませんが」


「いやいやいや、ハイジにできないわけないでしょ。私の分身つくったくせに」


 呆れたように言われても困る。あのイリシャ像は人体の骨格についてアーデルハイトが学んでいたからできたことで、植物のことなどほとんどわからない。どの草が猛毒で、どのキノコが猛毒で、どの実が猛毒なのか、知っているのはそれくらいだ。


「ノア」

「俺にできると思います?」


「……仕方ないわね。やればいいのでしょう」


 イリシャに言われた木箱に近づくと、木箱の高さに合わせた低い椅子がささっと用意された。今のは鹿の女。名はリィンと言ったか。


「よく躾られてるねぇ。ハイジ、女王さまって感じ」

「皇后様よ、元だけど」


「はーい! おしゃべりはそこまでにして始めるわよ!」


 肥料が混ざっていることで元の暗黙土とは色を変えている。

 土に手を置き、慎重に魔力を注ぎ入れていく。勢い余って芋を爆砕するわけにはいかない。


 芋の内部を魔力で探る。育成するのだから包み込んでも意味はないだろう。

 成長。育成。ふむ、芋に変化はみられない。


 ああ。魔力の方向性は減衰であったか。


 寿命を奪う。早めると言うのはこういうことか。恐る恐る流し入れていた魔力が、ある一定のところでずるりと芋にもっていかれた。なるほど、こういうこと。


「わぁお! なにこれ、すごいわね!」


 イリシャの興奮した声を聞きながら次の箱にうつる。シナリーもすでにふたつめの作業に入っていた。

 集中している最中にも視線を感じて煩わしい。イタチどもの視線とは違う。


 作業時間はそこまで長くなかった。


「肥料の有る無しでここまで結果が変わるのか……」


 ユアンの言う通りであった。


 肥料のない暗黙土の上に伸びる力無い蔓。それに比べると、残りの木箱は一目瞭然だ。

 どれも太い蔓に青々とした大きな葉をつけている。


 なかでもイリシャの担当したひとつは異様なほどであった。


「とりあえず抜いてみましょ!」

「うわ、うわ! なにこれすご! みてみてイリシャ! 大量ー!」

「こっちもすごいわよ!」


 イリシャとシナリーが引き抜いた蔓からぼろぼろと芋が転がり落ちる。暗黙土そのままの箱と比べると倍どころの話ではない。


「ノア、ヒューイ」

「はい、青薔薇様!」


 ノアとイタチ獣人のヒューイが、アーデルハイトの担当した箱から蔓を引き抜く。どちらも他と遜色ない、良い出来と言える。

 しかしまあ、神聖力や魔力を用いた育成は便利だ。この方法を用いねば結果を確かめるために何ヶ月、何年とかかっただろう。


「やっぱりイリシャのそれだけ違うねぇ」

「比べると大きさにそれぞれバラつきがあるな」


「ヒューイ」


 はい、青薔薇様! と、ヒューイが良い返事で木の板を差し出す。そこに書かれているのは肥料の配分や混ぜ方だ。

 シナリーたちがアーデルハイトの周りにわらわらと集まってくる。


「イリシャのものはこれね。草木の灰を土に混ぜ、豆油の油かすと熊系魔獣の骨粉、あとは神羽族の羽を……」


 言葉が止まってしまった。


 シナリーが積極的に協力していることは知っていたが、肥料の材料まで提供してくれるとは。そもそも何を思って羽を混ぜようと思ったのか。


「あたしたちの羽、毎日めっちゃ生え変わるんだよね。布団の材料として売ったりもしてるけど、それでもほとんどゴミになっちゃうし。肥料の材料がゴミばっかりだから、いけるかなーって思ったの」

「あ、シナリーの部屋の隅に山積みになってるアレね」

「そう、アレ」


 ふたりが話している横で、ユアンがそれぞれの芋を半分に切っていた。大きさはあるが中身がすかすかのものもある。

 シナリーの羽を使ったものは中身も問題なさそうだった。


「これは成功した……のか?」

「ユアンくーん、これが成功でなくて何を成長と呼ぶのかね!」

「よ、喜んでいいんだよな!」


 芋に関しては成長と言って良い。数も大きさも申し分ない。

 アーデルハイト自身もまさか一回目でここまで成果が出るとは思っていなかった。


 しかしこれで終わりではない。


「ノア、ヒューイ」

「はい、青薔薇様! ここに」

「芋を片付けて、どれか植えてくれる?」


 ぽかんとしている三人を横目に、イタチたちに芋を片付けさせる。この芋は魔王城の厨房か街に卸せば良い。


 芋を片付けたそばから、二十名の配下がそれぞれの土を整えては種を埋めていく。


「ハイジ、これ何させてるの?」

「種を植えさせているの。育てる作物によって、肥料には向き不向きがあるらしいわ。今植えているのは……ノア?」


「これはグーリュニーの種ですね。種から育てることができますが、虫に弱いそうです」


 ということらしい。


 種はすべてあの老婆に譲ってもらったものだ。他にも苗を作る必要がある野菜や、芋の別品種も貰っているし、どれも昔からゴルダイムの暗黙土で育てられてきたもの。ノアが全て育て方や特徴を記録しているので、ここで上手くいけばハッセルバムの農耕地で栽培できる可能性が広がる。

 農耕地を巡回するイリシャやユアンにも情報の共有をせねばならない。


「え、じゃあ全部やるってこと!? めちゃくちゃ面倒くさくない!?」

「もう全部植えちゃえばいいんじゃないの、ハイジ」


「あなたたちは生肉を召し上がる?」


 食べないよ! と大きな返事をくれたシナリーに、そのとおりだと頷いてみせる。神羽族も夢魔族も森人も、様々な獣人たちも、生肉を食すことなどほとんどない。


 それは植物とて同じこと。


「けれど、魔獣や肉食動物は生の肉を食べるわ。帝国の南部地方では虫を食べないけれど、北部では食べる。大陸西部では小麦のパンを食べるけれど、東方では稲からなる穀物を食べる。人間でありながら人間を食すホロホロ族もいる」


 老婆に話を聞いたときは驚いたものだ。しかし言われてみればそのとおりで、人間と野生動物どころか、人間だって地域や人種によって食すものが違う。

 ツムシュテク教国へ足を踏み入れた際も、宴は動物の肉ではなく魚などの海産物がメイン料理だった。


「野菜も同じで、それぞれの種族にとって必要な栄養素が違うらしいの」

「なるほどぉ。ハイジかしこい」


 賢いのはアーデルハイトではなく、知恵と知識を積み重ねてきた先人たちである。アーデルハイトの知識など付け焼き刃も良いところ。


「それに、寝床だって種族で違うでしょう? シナリーやユアンは普通のベッドで寝るけれど、イリシャはほら、特殊な……」

「仰向けで寝れないから、私」


 けして手入れを欠かすことのない艶々の翼を軽く動かして主張してくれる。普段は畳んでいるものの、左右に広げるととても大きい。

 イリシャのような有翼種族は仰向けで眠れないために、特殊な寝床を自前で用意している。


「わたくしも棺桶ですし」

「ハイジが一番特殊よ……」


「食べるものも違えば寝床も違う。どうしてもわたくしを受け入れられないウルのような存在もありますね」


 得心があったようにユアンが頷き、用意された種を指先でつついた。


「喧嘩するかもしれないってことか。僕らと獣人が相入れないのと同じように」


 老婆にはいくつか『これとこれ、それとそれは一緒に植えてはいけない』というようなことも教わっている。ただし、何度も言うようであるが、いくら樹海を挟んだ隣人といえども条件はいくつも異なってくる。

 教わったもの以外にも相入れない組み合わせがある可能性も、今の時点では否定できない。


 どの作物にどの肥料、作物同士の組み合わせ。アーデルハイトはその全てを試させるつもりだ。

 神聖力や魔力を用いない通常の農耕にうつった際、気候や湿度によってうまくいかないこともあり得るだろう。その確認はこれから数年間の長期的な調査が必要になる。


 ひとまず主食の芋が成功したことで幸先は良いのだ。


「今日はイリシャたちにお任せするけれど……そうね、ノア。あなたたち、これで力の使い方を練習なさいな。今後あなたたちに任せる仕事に必ずしも必要なことではないけれど、力や知識はあって困るものではないから」

「はい。じゃあ、今やっている交代制の面子も変えたほうがいいですか?」

「任せるわ」


 アーデルハイトがハッセルバムに来てから四ヶ月。死んでから四ヶ月とも言える。

 生前と比べると手足として使える駒がまだまだ足りない。


 人族領の情報収集はこれからイタチたちを動員するにしても、ハッセルバム首都内の情報すら足りていない。

 ついでに言えばアーデルハイトのお世話係も足りない。


 今でこそノアが侍従の役割を果たしているが、彼にはいずれ駒たちのまとめ役となって貰わねばならない。ハッセルバムでは侍女や侍従がいないのも困りものだ。

 アーデルハイトがいちいち教育するのは面倒くさい。


 国として機能していない割に人間たちから奪った金銀財宝で国庫に余裕があるのだから、職にあぶれた者たちを城仕えとして雇ってしまえばいいのに。

 駒も足りなければ情報も足りず、権限も足りない。


 頭の中に計画はあれど、足りないものばかりだ。

 まだ四ヶ月。否、もう四ヶ月とするべきか。聖ツムシュテク教皇国が痺れを切らして動き出す前に、できればアーデルハイトから仕掛けたいのだが。


「ノア。行くわよ」

「えっ、ハイジ離脱!? 一緒にやろうよ!」


「陛下に報告と……あとは次の国家事業の提案をしなければならないの。ヒューイたちは……イリシャの指示を聞きなさいな」


 はい、青薔薇様! の大きな声を背中に、アーデルハイトは臭いのきつい実験室を後にしたのだった。

 部屋を出るときに目に入った、芋が詰められた麻袋。たった四十ばかりの木箱でもこれだけの収穫だ。考えているのだろうか、これをどう国内にばら撒くのか。


 本当に心底不思議だ。この野蛮な魔族たちは、いったい五十年間なにを考えて生きてきたのか。不思議だ。


「アーデルハイト様、次の国家事業ってなんですか?」

「ノアにはこれから先、部下たちの指示役になってもらうのよ。わからないことを素直に聞けるのは美徳だけれど、もう少し自分で考えることを覚えなさい。あなたの頭は飾りではないのでしょう?」

「うっ……手厳しい……精進します」


 期待しているわ、と返して、アーデルハイトは宙を睨む。

 いったい誰の手先で、何の目的があってアーデルハイトを監視しているのか。そもそもこの視線は監視が目的なのか。



「そこにいるのはわかっているわよ。逃げも隠れもしないのだから、いい加減姿を見せなさい」



 ため息をつく。国庫をばら撒き、芋をばら撒き、さらに魔物対策になる国家事業。魔王クリセルダは、さて何と言うだろう。


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