04 安らげる場所
喫茶店には様々な客が訪れる。
談話を楽しむ主婦、教科書やノートを拡げる学生。
そしてかなり稀ではあるが雑誌や芸能事務所の関係者が交渉や商談の場としても用いる。
その事自体は瑠惟も絋夢も大して気にしていない。しかし、それが自分達の身に、何らかの影響を及ぼした場合はまた別だ。
産まれ持った容姿故、今までにも何度かスカウトをされたことがある絋夢は、その都度適当にあしらっていた。しかし、今回は相手が悪かった。
「あなた……ここの店員?」
絋夢が水を運んだところで、黒のパンツスーツを格好良く着こなし、長い黒髪のサイドを編み込んでひとつにまとめている、キャリアウーマン風の女性に話し掛けられた。
「はい」と答えると、「モデルの仕事に興味は無いですか?」と尋ねられる。
いつもの様に「申し訳有りませんが……特に興味がありませんので」と断った。それで終わりのはずだった。
しかし、会計時に瑠惟の顔を見たその女性が声をあげる。
「瑠惟くん?」
呼ばれて相手を見つめた瑠惟の目が一瞬間を置いて、見開かれた。
「
愛里沙と呼ばれた女性はしめたとばかりに瑠惟の手を両手で握り締め、ホールに視線を送る。
「ん?」と言ってその視線を辿ると絋夢と目があった。
それに気付いた絋夢が、瑠惟の手が握られているのを見て慌てて近付いてくる。
「今度はルイかよ!?」
怒って瑠惟から剥がそうとする前に、その手は絋夢に移動した。
何が起こったのか不思議そうに見つめていた瑠惟に、愛里沙が含みのある笑みを見せる。
「瑠惟くん……この子貸して!!」
「貸す?」
何の事だろう? と首を傾げたその視線は愛里沙から絋夢へと移った。
絋夢は掴まれていた腕を振り払い「俺はやらないって断っただろ!」と怒鳴る。
それを見てさらに首を捻った瑠惟は愛里沙に「何の話?」と尋ねた。
「さっきね……この赤髪の子にモデルやらないかって誘ったの。でもOKしてくれなくて。それでね、瑠惟くんからも勧めてくれない? これだけのルックス持ってるんだから勿体ないじゃない!!」
勢い良く話されて、瑠惟は引きつったような複雑な表情で微笑む。
「俺の事にルイを巻き込むな。俺はやらない!!」
二人の間に割り込み、強い口調で告げた絋夢を瑠惟が下からじっと見つめる。
「何?」
視線に驚いて尋ねると「正直な気持ちを聞かせてね」という前置きをして話し始めた。
「絋はおれに遠慮してやらないって言ったんじゃないよね? ちゃんと正直に答えたんだよね? もしおれに遠慮してるなら……」
そこまで言ったところで口を手で覆われる。
「俺はココ以外で仕事をする気は無い」
そう告げた後、口を塞いでいた手を退かして瑠惟にだけ聞こえるよう耳元で「何よりルイを独りにしたくない」と囁いた。
その言葉に瑠惟が苦笑する。
「何かおれがガキみたいだ」
呟いた瑠惟に絋夢が小さく笑う。
「そういう意味じゃないよ」
笑いながら告げた後、次に愛里沙に向かって「そう言う訳なので申し訳有りませんが……」と再度断った。
愛里沙は大きくため息を吐いた後「わかったわ」と頷く。しかし「もし気が変わったら連絡してね」とちゃっかり名刺を押しつけた。
そしてドアを開けたので、いい加減帰るだろうと思ったが、振り返り瑠惟を見つめる。
「もちろん瑠惟くんも歓迎するからね」
意味深にウインクを残して出ていった。
「今の……どういう意味だ?」
視線を投げ掛けると、瑠惟が困ったように笑う。
「あの人……おれの中学の時の先輩なんだけど、ちょっと変わってて……ね」
そのまま説明を続けようとしたところで、チリンと鈴が鳴り扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
瑠惟は話すのをやめ、入ってきた主婦ふたりを案内しながら、絋夢に「あとでね」と囁いた。
◇◇◇
あの後、結局客が途切れず、ゆっくり出来たのは閉店した後だった。
「はいっ絋」
声が聞こえたと同時に、絋夢の前にティーカップが置かれる。
「これは?」
目の前の瞳を覗き込むと、大好きな優しい微笑みが返ってきた。
「アッサム。絋ミルクティー好きだろ?」
言いながらミルクを差し出す。
「さんきゅ」
渡されたミルクを入れて混ぜていると、隣から紅茶の香りが漂った。自分に淹れてくれたものとは明らかに違う香りに、絋夢が瑠惟の手元の紅茶を引き寄せる。
「フレーバーティー…だよな? 何?」
くんくんと匂いを嗅いでいる絋夢にくすくすと笑いながら「アールグレイ」と答えた。
瑠惟は比較的紅茶には何も入れない。しかし絋夢はどちらかと言えばミルクティーを好む。一番はコーヒーではあるが。
とは言えいつもは同じ物を淹れるのだが、こうしてゆっくり話をしたい時には別々の紅茶を作る事もある。
瑠惟は絋夢の前に置かれたカップを自分の元に移動させて、一口流し込んだ。隣をちらっと見ると、紘夢もカップを手にしていた。
両親の教えてくれた紅茶やコーヒーの淹れ方、そして料理の数々。それは店と共に二人が瑠惟に遺してくれた、掛け替えの無いものだ。
「それで、あの人が言ってた事って?」
物思いにふけっていると、隣から話し掛けられた。
違うことを考えていたため、絋夢の言うあの人が誰なのか一瞬悩む。そして久ぶりに会った女性の顔を思い出した。
「愛里沙先輩は、さっきも話した通り中学の時の知り合いなんだけど……あの人写真部で、部活に入ってなかったおれとは初めは何の面識もなかったんだ」
「写真?」
嫌な予感に、絋夢が眉を顰める。
「うん……それである日、どこで知ったのか分からないんだけど、帰宅しようとしたところに先輩が来て、モデルを頼まれた」
だんだん表情を変える絋夢に気付かず話を続ける。
「その頃は平日は店の手伝いとかほとんどして無かったから、まぁ良いかな? と思って引き受けたんだ」
告げた途端、絋夢の両手が瑠惟の肩を強く掴んだ。
びっくりして動きを止めた瑠惟に低い声で「ヌードじゃないよな?」と詰め寄る。
瑠惟は2、3度瞬きした後、どうしてそんな飛躍した考えに至ったのだろうと思いながらも安心させるように優しい声で「もちろん違うよ」と笑った。
「最初に言ったろ? 変わってるって」
言われて「そう言えば……」と頷く。しかし、変わってるがどう変わってるのか分からない。
顔に出ていたのか、瑠惟が「変わっていって言うのはね」と話を続ける。
「先輩は、被写体の一部しか撮らないんだ」
「は?」
絋夢の口から間抜けな声が漏れた。
「一部?」
意味が分からないと訴える瞳に苦笑しながら「まぁ今回のはさすがに違うだろうけど……あの当時は目とか手とか、そういう体のどこか一部分を撮ってた」と応える。
「おれの目ってちょっと緑掛かってるでしょ? それが気に入ったらしくてね」
笑いながら話す瑠惟を絋夢は複雑な顔をして見つめる。瑠惟自身が目の色をあまり好きではない事を知っていたし、過去にその事で傷付けた絋夢にとって無理に笑っているようにしか見えない。
「まぁでも目だけの写真ってかなりホラーだったけどね」
笑った瑠惟を引き寄せてぎゅっと抱き締めた。
「絋夢?」
「俺は、ルイの目も唇も手も足も……ルイの何もかも全部愛してるから」
唐突に告げられた言葉に軽く首を捻る。
「急にどうしたの?」
尋ねたが応えは得られず、ただ唇が触れた。
触れるだけのキスを瞼から唇へと移動させて、さらに強く抱き締める。
いまさら過去は変えられない。傷付けた事実は変わらない。だけど、それを全て許して受け入れてくれた人だから……誰よりも何よりも大切にしようと……そう誓った。
絋夢はもう一度キスを落とし「行かないよな?」と不安そうな瞳で問い掛けた。
「先輩のトコ? 行くわけないでしょ? おれの居場所は此処なんだから」
微笑んだ瑠惟に、絋夢も「俺の居場所もココだけだから……」と瑠惟の胸元に頬を寄せる。
(場所が変わってるよ)
微笑みながら緋色の髪に指を忍ばせた。
絋夢の髪を撫でながら、空いてる手ですっかり冷めてしまった紅茶を口元に運ぶ。
鼻腔を掠める大好きな香りに目を閉じた。
――絋が望んでくれるなら、おれは絋の拠り所でありたい。おれの安らぎが君の隣であるように……君の安らぎもおれにあったら嬉しい。――
「絋、帰ろっか?」
胸に埋めていた顔を上げて、
「明日休みだから5回」
と掌を広げた恋人に優しく微笑んで、「まけても2回」と絋夢の手を包み込むようにして2を作る。
「じゃあ中間の4回」
それは中間なのか? と首を傾げながら「3回」と数を減らす。
「うぅ……分かった。じゃあ3回」
すぐに2階に上がろうと引っ張る手を一度引き止めて、空になっていた二つのカップをシンクに運び水に浸す。そして繋がれたままの指に力を込めた。
「絋っ、約束守れよ」
ほとんど守ってくれない恋人に釘を指すが「さぁ?」と不適に笑われてしまった。
「全く……」
諦めた様にため息を吐き、繋がれた指はそのままに2階へ移動した。
翌日、店の買い出しが絋夢一人になったのは言うまでもなく……。
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